2016-08-04

2016年世界情勢はこうなる!11~アメリカ「自作自演テロ」の手口~

 

 

一次世界大戦 真珠湾攻撃

1835年「アラモ砦」→メキシコ攻撃、1898年「メイン号事件」→米西戦争、1915年「ルシタニア号撃沈事件」→第一次世界大戦、1941年「真珠湾攻撃」→太平洋戦争開戦、1964年「トンキン湾事件」→ベトナム戦争参戦。

ここで紹介するだけで、これだけの戦争をアメリカは仕掛けている。その手口が全て自作自演とのこと。

 

しかも、この演出によって多くの人々が実際に犠牲になっている。そして、その目的である戦争によってさらに数え切れない犠牲者が生まれている。

 

許せない思いが込み上げてくる。

 

金貸し勢力のスパイの証言(3)~金貸しの手によってつくられた歴史が「正史」~にもあるように、歴史は彼らの意のままに作られている。まさに自作自演。

 

以下、崩壊するアメリカ 巻き込まれる日本~2016年、新世界体制の樹立~(ベンジャミン・フルフォード著)

からの紹介です。

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■アメリカ「自作自演テロ」の手口・その1――メイン号事件

 

まず、紹介したいのは「メイン号事件」だ。

19世紀、アメリカとスペインは「米西戦争」に突入する。その結果、勝利したアメリカはスペイン領だったキューバ、グアム、フィリピンなどを次々に支配下に納めただけでなく、中南米一体をアメリカの勢力下に置くこととなった。

 

中南米を支配したいアメリカ政府はスペインとの戦争を望んでいたが、アメリカ市民の多くは南北戦争の傷跡が生々しく、戦争には断固、反対していた。

 

そこで仕掛けられた謀略が、「メイン号事件」なのである。

 

1898年、アメリカの戦艦メイン号が爆破沈没される。アメリカの新聞は、「これは一方的なスペインのテロだ」と報じたことでアメリカ世論は一気にスペインとの戦争に傾き、開戦へと突入していく。

 

戦争になることを知っていたかのようなアメリカ軍の手際の良すぎる対応から、当時から「メイン号爆沈は本当にスペインの仕業だったのか」と疑問視する声は存在していた。

 

アメリカ軍による自作自演のテロという国際謀略説は、事件から70年を過ぎた1970年代になって「真実」だったと証明された。アメリカ海軍自身がスペインの騙まし討ちではなく、自作自演だったという事実を正式に認めているのだ。

 

■アメリカ「自作自演テロ」の手口・その2――ルシタニア号撃沈事件

 

次に第一次世界大戦にアメリカが参戦した切っ掛けとなった「ルシタニア号」事件を紹介しよう。こちらも1915年、イギリス船籍客船ルシタニア号がドイツUボートによって撃沈、アメリカ人128人を含む1198人が犠牲となった事件である。

 

それまでアメリカ市民は参戦に否定的だった。戦争は大西洋の向こう側の出来事。戦争特需でアメリカ経済は史上空前の好景気に沸いている最中、どうして銃を手にとって闘わなければならないのか、というわけだ。

 

その厭戦気分を一変させたのがルシタニア号撃沈事件だった。アメリカのメディアは、ドイツが客船を一方的に攻撃、多くのアメリカ市民が「虐殺された」と大々的に報じた。その結果、「悪辣なテロを起こしたドイツ許すまじ!」と、世論は参戦へと向かう。

 

(中略)

 

そのルシタニア号事件にも謀略説があった。

ルシタニア号は軍需物資を運ぶ「イギリス海軍のチャーターした偽装輸送船だった」という説である。実は撃沈したドイツは、長らく、そう主張していたのだ。

 

(中略)

 

実際、積荷目録には船倉に173トンの弾薬と記入されており、そうなれば国際法に照らしても敵国に軍事物資を運ぶ船への攻撃は合法となる。この場合、アメリカ政府が批判すべきは、民間客船を「軍の偽装輸送船」に仕立て、それを隠蔽してきたイギリス政府だ。この「事実」が明らかになれば、アメリカ世論は「対イギリス」で参戦せよ、となってしまう。まさに歴史が変わる重大な事件だったのである。

 

ルシタニア号事件の謀略計画は、ドイツ側にはルシタニア号がイギリス海軍の偽装輸送船であるという情報を流し、そこに多くのアメリカ市民を乗せて、わざと撃沈させる。いわばイギリスとアメリカが共同で「対独参戦」のために仕掛けた罠といっていい。

 

世界史を変えた重大事件だけに2000年代半ばからルシタニア号事件の再検証が活発となる。その成果として沈没した船の引き上げなどから「偽装輸送船」だった証拠が数多く見つかった。動かぬ証拠を突きつけられたイギリス政府は、事件からちょうど100年過ぎた2014年、ついに「事実」と認めた。

 

■アメリカ「自作自演テロ」の手口・その他――トンキン湾事件・真珠湾攻撃・アラモ砦の闘い

 

○「トンキン湾事件」→ベトナム戦争参戦

 

1964年、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ軍駆逐艦に2発の魚雷を発射した。これをきっかけにアメリカは本格的なベトナム戦争に突入するわけだが、もちろん、これもアメリカによる自作自演あった。

 

事実、1971年6月、ニューヨークタイムズのニール・シーハン記者は、7000ページに及ぶペンタゴン・ペーパーズと呼ばれる機密文書を入手、トンキン湾事件がアメリカによる謀略だったことを突き止めているのだ。

 

2005年以降、ベトナム戦争に関する機密指定が解除されて、数多くの機密文書が公開となり、これらが全て「事実」だったと証明されている。

 

公開されたジョンソン大統領とマクナマラ国防長官の電話会談の内容では、はっきりと「トンキン湾事件をベトナム攻撃の口実として使う」とあったぐらいだ。

 

○「真珠湾攻撃」→太平洋戦争開戦

 

昨今、「真珠湾攻撃」がアメリカによる謀略だったことは、もはや「常識」のレベルになっていよう。日本軍に先制攻撃をさせるように、ときの大統領のルーズベルトの命令を受けた太平洋艦隊司令官は、2隻の空母と新鋭艦19隻を外海に移動させ、老朽艦16隻だけ真珠湾に残した。これらの状況証拠もあって、「卑劣な日本軍の騙し討ち」はもはや古くから定番の「謀略論」であり、その後、公開となった外交文書から事実と判明している。しかし、その実態は、想像以上に悪辣であったことを日本人は理解すべきであろう。

 

この謀略を成功させるためにルーズベルトは、日本軍の侵攻を察知した司令官をわざわざ「更迭」までしている。さらには真珠湾のレーダーを不能にする工作を行い、日本軍の潜水艦が入港できるように海門を開くように指示。日本の戦闘機が撃ち易いように艦船を直線に配置する「気遣い」までしているのだ。

 

こうして日本の攻撃を成功に導いたあと、2400名のアメリカ兵が日本軍の「騙し討ち」で「虐殺」されたとアメリカ中に流し、当時の反戦気分を吹っ飛ばしたわけだ。

 

○「アラモ砦」→メキシコ攻撃(真珠湾攻撃の元ネタ)

 

1835年、当時メキシコ領であったテキサスに移住したアメリカ人達が「非道」なメキシコ軍によって一方的な攻撃を受け、アラモ砦で徹底抗戦。アメリカ軍がすぐさま援軍を向かわせるも、時すでに遅し、勇猛果敢に戦った男たちは全員、玉砕していた・・・というのが一般的な情報であろう。

 

このアラモ砦事件後、アメリカはメキシコに宣戦布告、見事、勝利してテキサス州を割譲させた、アメリカ建国史上の重要な事件の一つとなっている。

 

だが、この「アラモ砦」事件の真実は、一般的な史実とは全く違う。まずテキサスに移住したアメリカ人は農民ではなく、テキサスの独立運動を起こすために訓練を受けた「工作員」(アメリカ軍兵士)。メキシコ軍が攻撃するのも当然だった。

 

アラモ砦に追い詰められた工作兵士達は、アメリカ政府に何度も援軍を要請するが、政府は「無視」を決め込んで見殺しにする。そしてアラモ砦が全滅したあと、「メキシコ軍によって虐殺された」と宣伝、対メキシコ戦争の口実にしたのだ。

多くの自国兵士を「犠牲」にして戦争を仕掛ける。

 

アラモ砦の「成功」が、真珠湾の謀略となっていることに気付くだろう。

アメリカは建国以来、常に、この方法で対外戦争を仕掛け、国内世論を参戦に誘導し、国際世論を味方につけてきた。

 

アメリカの関わった戦争は、全て同じ手口なのだ。

もはや、その手口はすっかり見抜かれている。バレバレの工作なのだ。

 

(後略)

 

 

List    投稿者 tasog | 2016-08-04 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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