2012-08-17

近代市場の成立過程(15)〜イギリス産業革命・金貸し世紀の幕開け〜

「近代市場の成立過程」シリーズ第15回はイギリスの産業革命がテーマです。
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17世紀にピューリタン革命、名誉革命という二つの革命により、封建領主など古い特権をもった勢力が衰えます。その結果、多様な生産活動が可能になっていなっていきます。(第14回 ピューリタン革命・名誉革命参照)
上記を背景に以下の3点の発達により、イギリス産業革命が実現されました。

①金融市場の発達
②農法の発達
③科学技術の発達

この3点を軸にイギリス産業革命の成立過程を明らかにします。
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①金融市場の発達
(イングランド銀行)・・・蓄積した富をもとに大規模に金融が発達。現在まで続く中央銀行制度の始まりである。これまでの武力による序列体制から資本による序列体制が確立されていくことになる。
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イングランド銀行は,こうした金匠銀行業者や,トーリー党系の地主によって企画された土地銀行などの妨害をしりぞけ,名誉革命の経済的総決算として,ロンドンの近代的商人層やその背 後にある広範な各地の商工業者層の営みを金融的に支援したのであり,重商主義的な産業保護育成の一環として,イギリスを産業革命に導く一因となった。リンク

当初イングランド銀行は,「どうみても銀行ではなく,むしろ投資信託にはるかに似ており,約 1,200人から集められた総計120万ポンドの基金はすべて政府へ貸出され,見返りとして年10万ポンドの収入が保証されるというもの」であった。つま りそれは民間の金融機関というよりも政府のための金融機関としての性格が濃厚であった。投資した人びとも1,000ポンド以上の大口投資者が多く,ロンドン大商人・金融業者・官職保有者が主であった。民間への貸し付けも東インド会社や南海会社などへのものが多かった。政府への貸付金が結局は重商主義的植民 帝国を建設するための対フランス戦費に充当され,しかもおもな投資先が貿易会社であったことは,当時のイングランド銀行がイギリス商業革命を支えていたこ とを示している。リンク

このように、金貸し主導で“債務から通貨を創造する”方法を国家ぐるみで行ったのが初の中央銀行である、イングランド銀行だった。全ては、国家の中央銀行に対する借用証書が不換紙幣の裏付けとなっている(国債の原型)。その借用証書をもとに、マネー(不換紙幣)を発行し、さらにその借用証を準備金として2重に民間に貸し出す。このシステムを世界の国家が真似することで近代国家群が出来上がった。そして、その結果必然的に、天文学的な国家債務 →マネーを溢れさせ、好況と不況、インフレとバブルを繰り返す近代以降の経済構造が出来上がった。リンク

(ロイズ保険)・・・リスクの高い航海が保険整備により植民地支配が加速される。ロイズは海運情報の独占機関。高い情報収集能力構築と独占こそが金貸しの狙いであったのだろう。
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17世紀の中頃ロンドンにコーヒー・ハウスが出現して以来、数多くの店ができ人々の社交、商談の場として利用されるようになり、それぞれの客層や職業も固定化が進むようになりました。1688年頃エドワード・ロイド(Edward Lloyd)という人物の始めたコーヒー・ハウス(Lloyd’s Coffee House)は、テムズ河畔の船着場に近いタワー街(Tower Street)にあったため、海運業者、貿易商、海上保険業者の溜り場となり、店内では船舶や積荷の売買、海上保険の取引が盛んに行われるようになりました。店主であるエドワード・ロイドはより正確な海外情報をいち早く収集し、店内の客に閲覧させたためますます繁盛し、やがてここを本拠地とする海上保険業者はUnderwriters of Lloyd’s Coffee Houseとして知れわたるようになりました。
1720年にLondon AssuranceとRoyal Exchange Assuranceの2社が海上保険の引受を独占的に行える勅許会社として認められたため、会社組織の他社は海上保険の引受ができなくなりましたが、個人企業であるロイズは引受の禁止をまぬがれたばかりでなく、勅許会社の2社が火災保険の営業に重点を置いたこともあり、ますますロイズは発展し、ロンドンの海上保険の大半を占めるまでになりました。リンク

②農業の発達
(農業革命)・・・1705年の英国の小麦の輸出量290万トン。1765年には2380万トン。休耕地を無くした四輪作や囲い込み、機械化で農業の生産性が極めて高くなり、農業以外の産業に従事できる人が大量に登場する。
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農業革命(のうぎょうかくめい)とは、輪作と囲い込みによる農業生産の飛躍的向上とそれに伴う農村社会の構造変化を指す。特に言及がない場合は18世紀イギリスで起きたものを指すが、同様の現象は同時期の西ヨーロッパ金域で起きている。
カブなどの根菜と栽培牧草を特徴とする新農法は、従来の三圃制では地力回復のために避けられなかった休耕地を必要とせず、農業生産の増加と地力の回復を両立させ、また一年を通じた家畜の飼育が可能となった。農業生産が増加した結果、人口革命といわれるほどの人口増加をもたらし、産業革命の要因の一つとなった。リンク

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農業革命にて導入された輪作は特にノーフォーク農法の名で知られる輪栽式農業が有名だが、軽土質地域以外では牧草栽培期間を長くした改良穀草式農法が採用された。どちらも小麦の他に、クローバー、サインフォイン、ライグラスなどの地力を回復させる性質を持った栽培牧草と家畜飼料となるカブ、ジャガイモなどを生産した。中世以来の三圃制では牧草の問題から一年を通じて家畜を飼育することは難しく、冬を前に屠殺し保存食料へと加工する必要があったが、カブなどの栽培によって冬期の飼料問題に制約されることなく、家畜を一年中飼育することが可能となった。冬期以外は牧草栽培地にて放牧を行い、家畜由来の肥料で地力の回復を図り、牧草の枯渇する冬期はカブなどを家畜に与えた。また、三圃制ではどうしても土地を休ませる必要が生じたが、輪栽式農法にせよ、改良穀草式農法にせよ、栽培牧草と放牧の相乗効果により、穀物、カブ、牧草と連続して土地を利用することが可能であった。このような新農法を行うためにはより集約された労働と広い耕作単位が必要であったため、従来の開放耕地と混在地制を排し、効率的な農地利用を行う囲い込みが進められた。リンク

③科学技術の発達
(科学革命)・・・王立協会は現在でも任意団体であるというのは驚きだ。当時から商人などの金貸しにより運営されていたのである。産業革命技術年表史が写真付きで分かり易い。
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王立協会(おうりつきょうかい、Royal Society)は、現存する最も古い科学学会。1660年設立。王立学会(おうりつがっかい)とも。この会は任意団体ではあるが、イギリスの事実上の学士院(アカデミー)としてイギリスにおける科学者の団体の頂点にあたる。また、科学審議会(Science Council)の一翼をになうことによってイギリスの科学の運営および行政にも大いに影響をもっている。1782年創立の王立アイルランドアカデミーと密接な関係がある。1783年創立のエジンバラ王立協会とは関係が薄い。
モットーは”Nullius in verba”(ラテン語で「言葉によらず」)。これは古代ローマの詩人であるホラティウスからの引用で、原文は”Nullius addictus judicare in verba magistri”(「権威者の伝聞に基づいて(法廷で)証言しない」)。つまり、聖書、教会、古典などの権威に頼らず証拠(実験・観測)を持って事実を確定していくという近代自然科学の客観性を強調するものである。
英語表記の Royal は、国王の許可を得て設立されたことを示すもので、元々は会への不当な干渉を防ぐためのものであった。国王が直接の資金援助を行った、あるいは設立に関与したわけではない。このため、日本の科学史家、板倉聖宣は王認協会と呼んでいるが、この呼称は普及していない。同様に名称に Royal を付ける許可をもらい、会への干渉を防ごうとした団体には、王立園芸協会(Royal Horticultural Society)などもある(なお、王立園芸協会の設立に当たっては、当時の王立協会会長ジョセフ・バンクスも関係している)。リンク

1687年と1769年との間に、科学上の興味の心が天文学から物理学と科学へ、すなわち重商主義社会の科学から産業社会の科学へ転換し、その結果科学活動の大きな内的再編成がおこった。1769年のJ, Wattの最初の特許取得時にはすでに、科学はその低調さをおおかた脱していた。
 新しい産業時代の科学は、18世紀半ばに形成された。この時期にいく人かの天分豊かな人物がほとんど同時に成果を生み出した。J, Blackが定量的科学を樹立したのは1754年、H, Cavendishが水素を確認したのは1767年、J, Priestleyが「電気学史」を出版したのは1767年、Wattが彼にとって最初の蒸気機関の特許をとったのは1769年だった。
 これらの新科学は、それまでの王立協会と比べてもいっそう内容豊富であり、また社会生活にいっそう直接的な衝撃を与えた。この新科学の創造は、工業生産の材料物質と工業過程の主動因である熱とに対する研究によってはじまった。
 産業革命の刺激的諸条件は、エネルギーという観念と進化という観念をかもし出す環境を提供したが、これらの観念は無限に膨張する動力利用産業から引き出されて、科学をニュートンの諸概念を乗り越えて拡張させることになった。
 Wattの蒸気機関を完全に理解する必要性が、エネルギーという概念を形成し、その結果、産業主義の基礎科学である熱力学が生まれた。熱力学の発達の結果、近代科学の最も革命的な観念である量子論が生まれた。リンク

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このように見ていくと「イギリス産業革命」とは「金貸し世紀の幕開け」であったということが分かります。
●産業革命後の変化
②と③により賃金労働者が増加。サラリーマン化していく。夫の賃金労働が主となるとともに夫への依存が大きくなり生命保険が発達。農業主体で生産と生殖の場が一体であったものが以降分断される。家族と時間のあり方が大きく変化していった。
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>エドモンド・ハリーにより生命表が作成されたことで、各年齢、性別ごとに保険料を払う者の人数と亡くなる者の人数が推定でき、死亡する確率に応じて保険料に差をつけることが考えられていきました。そして18世紀イギリスで死亡率に基づいた保険料を集める制度が誕生し、これが近代の生命保険のルーツとなっていると言われています。
もっとも歴史のある生命保険会社は1762年にイギリスに設立されたエクイタブル生命であると言われています。エクイタブル生命では現在の生命保険の保険料計算の主流の一つである「平準保険料方式」を取り入れました。平準保険料方式とは通常死亡率に応じて保険料を徴収すると年々保険料が上がっていくことになり高齢になればなるほど高額な保険料が必要となってしまいます。そこで平準保険料つまり、契約期間に応じて契約期間の前半に将来の保険料を前払いし、契約期間の後半に積み立てられた金額を保険料として取り崩すことによって年齢が上がっても納める保険料は変わらないように考えられた保険料の支払い方法です。この方式を取り入れる事で、前払いされた保険料が生命保険会社の多額の運用資産となりました。そしていわゆる機関投資家として金融市場に大きな影響力を持つことになっていったのです。リンク

産業革命後の工業社会のキーワードは、標準化・専門化・同時化・集中化・規模の極大化だった。標準化とは製品や部品の規格を決め、作業などの手順を定めることである。これによって分業が進み、専門化が進んだ。
工業社会の特徴は、時間と賃金が結びつけられたことである。労働者は職種と、時給や日給といった労働時間に比例する形で賃金を受け取る。マニュアル通りに作業するのであれば、時間当たりの出来高も計算できるし、商品の売り上げもある程度予想できたので、労働報酬を時間割りで決めることができるようになる。
それ以前の農耕社会では、時間と報酬が結びつくことはなかった。どれくらい収穫があるのか分からないのに、分け前が決められるわけがない。決められるのは、分配時の割合くらいであって、分配できるのも金銭ではなく収穫物そのものだったわけだから。リンク

「…家族のあり方にも変化をもたらした。夫の賃金労働が主となり、妻の労働は補助収入のためとみなされ、賃金を得られない家事労働は低く見られるようになった」
さりげなく書かれていますが、実に含蓄のある文章です。産業革命以前の労働というのは、農業が中心で、家族みんなで働きます。夫も妻も子供も一緒です。誰が何をしているのか、みんなが知っています。ところが、産業革命後の労働者の家庭では、夫だけが工場に働きに行く。何をやっているのか、妻や子供には見えません。家族のむすびつき方が、それまでとは全く違ったものになった。家事労働が低く見られるようになったということは、女性の地位が低くなったということです。これらは、産業革命以後の変化だといっているのです。リンク

産業革命以降、市場拡大が加速され国家を巻き込んでの略奪戦争(軍事・貿易ともに)へと突き進みます。この市場社会が世界中に蔓延し殆どの国家・国民が収束していきます。これら略奪行為は「自由」や「権利」といった近代観念により正当化されていきます。また、議会、民主主義、中央銀行制度などの近代国家の制度的枠組みがこの頃につくられ現在まで維持されることになります。
次回はフランス革命を扱う予定です。お楽しみに

List    投稿者 mago | 2012-08-17 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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