2017-09-22

世界を操るグローバリズム-2~アメリカが裏で糸を引いたソ連の南下と中国の共産化~

 

張作霖事件の真相は、満州にユダヤ人の自治区を作ろうとする金貸しによるシオニズム運動の一環で仕掛けられたとのこと。また、アメリカが中国の共産化を企図して、蒋介石を利用したことなど、とても興味ある内容です。

 

さらには、大正デモクラシー運動は、キリスト教の宣教師による日本の国体の破壊工作であったという点も初耳でした。

 

それらの背景があって、日本が大東亜戦争に巻き込まれていったとのこと。この戦争はソ連や中国からの自衛の戦争で、それに誘い込んだのが、金貸しに操られていたルーズベルトとのこと。

 

米ソが手を組んだ理由もロシア革命を主導したのが金貸しであったことの証し。また、共産主義も社会主義も国際主義者である金貸しの支配形態であるということ。

 

ヒトラーを支援した金貸しの件も出されていますが、これに関しては以前の記事『金貸し勢力のスパイの証言(13)~ナチ・ドイツとローマ教皇庁は密接な協調・協力関係にあった~』が参考になると思われるので、是非ご一読を!

 

 

以下、『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)

からの紹介です。

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■反共の同志だった張作霖を日本が爆殺するはずがない

 

満州事変に関しても誤解されている面があります。日露戦争には李鴻章とロシアの密約によって、満州はロシアの領土となっていましたから、戦争に勝利した時点で日本の領土とできたはずでした。それを知らずに日本は満州を経営するようになりました。

 

ロシア革命によって誕生した共産主義ソ連は、満州を共産化しようとしていました。それに対して、張作霖がソ連に反発して、ソ連を満州から追い出した形になっています。満州の共産化を防ぐという点で、日本と張作霖は利害が一致していました。

 

ところが、張作霖爆殺事件というものが起こり、関東軍の河本大作大佐が首謀者であるかのように伝えられました。現在では資料が出てきており、ソ連の情報部が仕掛けたことが明らかになっています。

 

張作霖と日本は、満州の赤化を防ぐという点で利害が一致していましたから、日本が張作霖を爆殺する理由は何もありません。

 

しかし、日本が張作霖を爆殺したという誤った情報が世界に流されることになってしまったのです。日本が支那で残虐なことをしているという捏造された情報が1920年代からアメリカのメディアによって流され続けていましたので、日本が張作霖を爆殺したという情報を信じる人たちが欧米諸国に大勢いました。日本は情報戦で負けていました。

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実は、満州にはユダヤ人の自治区を作ろうとする動きありました。20世紀には入ると、ユダヤ人の国家をつくろうとするシオニズム運動が盛んになり、いくつもの候補地が挙がっていました。パレスチナも候補地の一つでしたが、ロシアの中に自治区をつくる動きもありました。その他の候補地の一つが満州でした。

 

満州にはソ連のユダヤ人たちが入り込んでいて、満州国誕生の前から、日本の影響力を削ぐための日本への挑発行為、煽動が行われていました。いくつもの日貨排斥運動が起こっています。

 

満州をユダヤ人自治区にするために、ソ連は様々な工作を仕掛けてきています。その工作の中で、彼らにとって都合よく世界世論を操作するために、関東軍が起こした満州事変を口実にして、侵略国家日本を誇大宣伝したのです。

 

 

■宣教師に仕掛けられた大正デモクラシーによる日本文化の破壊

 

情報戦を仕掛ける欧米のメディアと手を組んでいたのが、アメリカの宣教師たちです。

プロテスタントの宣教師が中国共産主義を礼賛し、一方で、日本を貶める情報を流し続けました。

 

宣教師たちは日本をキリスト教化する工作を進めていました。その一例が大正時代に表面化した大正デモクラシーですが、大正デモクラシーは日本を混乱に陥れました。

 

大正デモクラシーを主導した一人の吉野作造はクリスチャンです。日本の指導的クリスチャンの多くがアメリカの宣教師と呼応して、日本の国体の破壊活動をしました。言い方は悪いですが、彼らはスパイと紙一重の活動をしたのです。

 

私は大正デモクラシーこそが、日本の国体を破壊しようとした元凶だと考えています。1937年になって文部省は『国体の本義』という本を出しました。出さざるを得なかったのだろうと思います。

 

明治維新以降の日本の最大の課題は、日本の伝統文化を潰そうという欧米化との戦いでした。キリスト教化というのは、その最たるものです。だからこそ『国体の本義』を出して日本のあり方を示したのです。

 

『国体の本義』には、日本の伝統文化が述べられていますが、外国文化を排斥しようとするものではありません。日本という国は、外国文化をそのまま受け入れるのではなく、日本化し、土着化させて受け入れてきたことを『国体の本義』は明確に示しています。

 

明治以降、自由主義、民主主義、社会主義、共産主義などのさまざまな思想が入ってきて、日本思想会は混乱しました。同様に政界も財界も左右入り乱れて混乱が続きました。そこでもう一度、国体の本義に立ち戻って、外来文化を日本化する必要があるということを説いたのです。

 

ですから『国体の本義』は、侵略とは何の関係もない内容であり、むしろ防衛のためのものでした。それに対して外国勢力は、日本をキリスト教化するために、彼らの井に沿わない日本の国体をつぶそうとしました。そうした動きに呼応して日本国内では、共産主義者はもちろん、社会、社会主義者、民主主義者、キリスト教思想や社会主義思想を入れて思想的に日本をつぶすと共に、圧力掛けて戦争引きずり込もうとしたのです。

 

第二次世界大戦は、ドイツと営米ソなどのヨーロッパの戦争であるにもかかわらず、日本は引きずり込まれました。

 

日本の大東亜戦争は、本来、ヨーロッパの戦争とは全く違ったものです。反ファシズム戦争などとして両者が関連したものとして語られるのは、アメリカの真の対日戦争目的を隠すためでした。アメリカは中国を共産化する必要があったのです。この辺りの事情については、拙著『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ』を参照して下さい。実際、ルーズベルトは日本にアメリカへの第一檄を打たせるために、様々な方法で日本を締め上げ、挑発しました。

 

1929年から世界大恐慌に伴い世界が経済ブロック化されましたが、ルーズベルトは日本の貿易を窒息させるために、日米通商条約を破棄し、石油の対日輸出を禁止するなど経済制裁を強化しました。

 

このような措置は不戦条約に照らしても日本に対する宣戦布告に該当します。

ルーズベルトの取り巻きはほぼ例外なく社会主義者でした。社会主義者であり、国際主義者です。大統領の周りには、世界を共産化・国際化しようとする人たちが集結していました。

 

ロシアにおいては共産主義革命によって社会主義者たちの試みは一応の成功をおさめました。しかし、ソ連の誕生だけでは彼らにとってまだ不十分でした。ソ連の次に中国を共産化しようと考え、ソ連を南下しようとしたのです。

それが国際主義者たちのアジア戦略です。そこに毅然と立ちはだかったのが日本でした。

 

 

■アメリカが裏で糸を引いたソ連の南下と中国の共産化

 

ルーズベルトの取り巻きの社会主義者たちは、ソ連を南下させると共に、中国国内で国民党ではなく共産党に勝利させて、共産党に政権を握らせる戦略を立てました。

 

国民党の蒋介石を日本と戦わせて疲弊させ、その間に共産党の勢力を伸ばすのが、彼らのグランドデザインです。

 

ソ連の南下と中国の共産化の双方に、日本はたちはだかりました。そのため、ルーズベルトの取り巻きにとって、日本は絶対に倒さなければならない相手となりました。

日本を追い詰めて戦争に引きずり込んだのはルーズベルトですが、そのルーズベルトは取り巻きに操られていました。ルーズベルトをけしかけて、日本を倒し、彼らの望む世界をつくろうとしたのです。

 

この辺りの事情をルーズベルトの女婿のカーチス・ドールが『操られたルーズベルト』の中で生々しく明かしています。

当時のアメリカの政権は国際主義者たちに動かされていましたが、アメリカ国民はそのようなことには全く気が付いていませんでした。

善良なアメリカ国民は、独裁政権を倒しアメリカの自由を守るためだと思ってドイツ、日本と戦いました。

 

しかし、実際には、国際主義者たちがアメリカの政権を操り、国民を煽っていたのであり、アメリカ国民は国益を守るための戦いだと思い込まされていただけです。

 

近代の歴史の中で誰もが不思議に感じることは第二次世界大戦で民主主義国のアメリカと、共産主義国のソ連が手を組んだことではないかと思います。教科書ではその点について全く触れられていませんし、歴史学者たちも誰も米ソが組んだ理由を積極的に説明しようとしません。

 

理由は明白です。ソ連という国を作った人たちと、アメリカを牛耳っていた人たちが同じグループだったからです。

つまり、ユダヤ思想の国際主義者たちが手を組んだのです。考え方が同じですから、アメリカとソ連はごく自然に同盟国となりました。

 

簡単に言えば、第二次世界大戦はアメリカとイギリスの背後にいる国際主義者と、ソ連を動かしている社会主義者が組んで、世界を共産主義に染めようとした戦いでした。彼らのターゲットとなったのが、ヨーロッパでは東欧諸国であり、アジアでは中国でした。結果的には彼らの目的を達成するために世界が踊らされたようなものです。

 

日本にとっては、大東亜戦争は国体を守るための自衛の戦いでした。

それに対して、国際主義者たちが意図した第二次世界大戦は共産主義を世界に広げる戦いでしたから、両者は全く別のものなのです。

 

ヒトラーの目的はさらに別のところにあったのかもしれません。ドイツは第一次世界大戦で痛めつけられましたので、名誉を回復し、生活圏を回復する戦いだったのではないかと推測します。ただ、本当にヒトラーの発意だけで積極的に戦争を始めたのかどうかは、疑問が残ります。

 

ユダヤ人たちは、シオニズム運動でユダヤ人の国を作ろうとしていましたが、満州では日本が立ちはだかってうまくいきませんでした。彼らは、パレスチナの地での建国を目指しました。

 

ロスチャイルドは当初、ヒトラーと移送協定と言うものを結び、ドイツにいるユダヤ人をパレスチナに移住させていました。これは歴史上の事実です。ヒトラーとロスチャイルドが協力していたことについてはほとんど語られませんが、そこから読み解いていかないと歴史の真相は見えてこないはずです。

 

ユダヤ人の国家を建国するために、ドイツからパレスチナへのユダヤ人の移送が始まりましたが、ドイツはユダヤ人にとって住み心地が良かったのか、あまりパレスチナに移住しようとはしませんでした。

 

当時、といつには約30万人のユダヤ人が住んでいましたが、その内の2割、約6万人がパレスチナに移住したに過ぎなかったのです。よく言われるように、ナチス以前のドイツは他の国と比べるとユダヤ人に対して比較的寛容な国でしたので、平穏に暮らすことができていました。

 

19世紀の初期にはユダヤ人解放令を発布して、ドイツに住むユダヤ人にドイツ人と同じ公民権が与えられていました。この頃のドイツはヨーロッパで唯一ユダヤ人に規制を課していなかったのです。また、ドイツは1905年のロシアでの革命騒動の混乱から逃げてきたユダヤ人を保護しました。

 

初めはロスチャイルドと協力していたヒトラーが、なぜホロコーストのような虐殺に至ったのかは、さらに研究をしなければならない点だと思います。

ただ、ヨーロッパ諸国ではホロコーストに対して疑問を呈すること自体が刑事犯罪となります。そのためホロコーストについての研究は進んでいないのが実状です。

 

ホロコーストの悲惨さに付いては疑う余地がありませんが、背景に何があったのかをきちんと研究しないのは、歴史学者たちが良心に恥じるべきことだと思います。もし受け入れがたい事実が出てきたとしても、同じ悲劇を繰り返さないためには、真相を研究していく必要があると思います。

 

List    投稿者 tasog | 2017-09-22 | Posted in 07.新・世界秩序とは?, 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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