2009-08-04

雲上の覇権闘争 〜ロスチャイルドの主人「ヘッセン家」〜

7/20の【105回なんでや劇場】闇の支配勢力史 では金貸しの背後の「奥の院」、市場社会を支配する勢力の存在に言及されました。
7/20なんでや劇場レポート【前編 】〜闇の支配勢力史〜
7/20なんでや劇場レポート【前編 】〜闇の支配勢力史〜
しかし興味を持って調べれば調べるほど、わかりにくくなるのが「闇」の支配者なんですねぇ。今回はドイツのある貴族に注目してみました。
◆世界を動かしている勢力って、いったい何者なのか?
 17〜18世紀の欧州を舞台に繰り広げられた覇権闘争を紐解いていくと、「カトリック(イエズス会)」と「プロテスタント」の確執に端を発した旧教側大貴族新教側大貴族との暗闘劇という構図が浮かび上がってきます。
 これは国家を超えた雲の上の世界での闘争です。彼らはヨーロッパ、アメリカという盤の上でチェスを楽しむかのようにさまざまな作戦を展開します。現実世界で起こるさまざまな事件(名誉革命も、三十年戦争も、七年戦争もアメリカ建国も、ナポレオンのヨーロッパ制覇も)はそのかけらに過ぎません。そこでは聖堂騎士団も、フリーメーソンも、イルミナティも、科学者、哲学者や芸術家も、そして金貸し(ロスチャイルドやロックフェラー)も、みんなゲームの駒に過ぎないのです。
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画像はアイチケンの面白ブログさんから拝借しました。
壮大なゲームは今もなお続いている?のですが、資本主義社会の黎明期に勝利を収め、20世紀末までの覇権を握ったのは、はたして・・・。
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18世紀の後半(1773年)、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが古銭収集の趣味を通じて、ヘッセン家という貴族の金庫番になった話はよく知られています。そこからロスチャイルド家がのし上がって行ったと・・・
しかし、巷に流れる「陰謀説」にヘッセン家はあまり登場しません。ヘッセン家っていったいどういう貴族なのでしょうか。
「千年王国」建設を目指した貴族
ドイツ=オーストリア統合(支配)して大ドイツ帝国を目指す神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)に対抗してドイツ周辺の王族を統一して「新王国」建設を企てたのがヘッセン家という大貴族です。
そして、ハプスブルク家との抗争が繰り広げられ、フリーメイソンイルミナティもその抗争に巻き込まれていくのです。
※以下の「引用(青字)」は玉川大学 純丘曜彰教授の講義資料「西欧近世文化史 第7章 メイソンリーの理想と現実」からの部分抜粋です。

 もともとヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(五五歳)は、国教グレイトブリテンのジョージ三世(三七歳)や旧教オーストリアの女帝マリアテレジア(五七歳)と協調し、ルター派とカルヴァン派を繋ぐ新教君主として、ハノーヴァーやプロシア、ザクセン=ヴァイマール、ヴュルテンブルク、バィエルンなどを統一し、ドイツに反動的な絶対王政の「千年王国」を建設することを妄想していました。

ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世らは、一七七七年、かつての騎士団を統合した結社「聖堂騎士団」を乗っ取ってしまいます。 フリードリッヒ方伯の次なる野望は、 ヨーロッパメイソンの統一支配でした。
ヘッセン家の最大の収入源は傭兵産業で、13世紀頃から勢力を拡大しドイツ中部に広大な領土を持つヘッセン家の閨閥はヨーロッパ全土の国王とつながっています。
そのころ、新大陸へ渡った反グレートブリテン派のメイソンは英仏新大陸戦争で英国正規軍に鎮圧されます。英国正規軍の主力はヘッセン家が貸し出した10万人の傭兵です。
 ヨーロッパでオカルト色の強いメイソンは「古式黄金薔薇十字団」として組織されていましたが、その他の啓蒙主義者たちは、反国王、反オカルト、反イエズス会、親アメリカに傾いていました。
1776年の「独立宣言」で本国に対する宣戦布告をし、独立戦争に持ち込んだアメリカのメイソンはヨーロッパ中のメイソンに新国家アメリカへの支援を求めました。
この事態にヘッセン=カッセル方伯(五九歳)は、新大陸へ反メイソンリーのグレイトブリテン正規軍傭兵3万人を送り込むだけでなく、ヨーロッパの反アメリカメイソンリー工作を引き受け、メイソンの統一支配に乗り出しました。
そして「千年王国」の野望の実現に向け、メイソンのオカルト化を強力に進めていきます。

 ドイツ中部のヘッセン=カッセル方伯家は、昔から屈強なドイツ人を集め、訓練して傭兵に仕立てて各国に貸し出し、大金を稼いでいました。それも、傭兵が死ねば死ぬほど、彼の儲けになりました。グレイトブリテン&ハノーヴァー国王ジョージ三世(1738〜即位60〜1820)の義兄でもある当主フリードリッヒ二世方伯(1720〜即位60〜85)は、「七年戦争」(1756〜63)で新大陸がまた戦争だというので、これまでの十万名に加え、さらに三万名の傭兵を掻き集め、新大陸正規軍に貸し出し、大いに利益を得ました。ここにおいて、ハノーヴァー出身の俊才クニッゲ男爵(1752〜1796)が、その腹心として事業拡大に活躍します。 

抗争に利用される「イルミナティ」
一方、バヴァリアの小さな啓蒙組織だったイルミナティはヘッセン家から破門されたクニッゲ男爵の支援を受けて神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)側に取り込まれ、反ヘッセンの大組織に仕立て上げられます。

 七四年に創設されたヴァイスハウプト(三二歳)の啓蒙主義結社「イルミナティ」は、バイエルンの地方組織にすぎず、「イエズス会」残党の激しい攻撃にさらされ、メイソンリーに援助を求めていました。おりしも、八〇年、黄金薔薇十字団の黒幕のヘッセン=カッセル方伯の腹心クニッゲ男爵(二八歳)は、嫉妬による陰謀に巻き込まれ、宮廷から追放されてしまいます。そして、彼は、「イルミナティ」に乗り込み、たちまち啓蒙主義メイソン五百名以上を参加させ、これを反黄金薔薇十字団運動の拠点としてしまいました。

ヘッセン家とロスチャイルドとのかかわりはこのころ始まったと伝えられています。
「新王国建設」の野望は挫折、ナポレオンの標的に
ヨーロッパメイソンの内部分裂、強大化したイルミナティによる反撃、プロシア王国の離脱(裏切り?)などがあって、結果的にメイソンリーを完全支配することは出来ず、ヘッセン=カッセル方伯家の野望は挫折します。
ヘッセン家のお抱え金庫番となったマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド、この才長けたユダヤ商人はご主人様に尽くす忠犬でした。徐々にヘッセン家の信頼を獲得していったロスチャイルドは、後にヘッセン家に劇的な勝利をもたらします。

 また、方伯家は、代々、古銭収集が趣味であり、その整理をカッセル工学学校のハノーヴァー人錬金術師ラスペ(1737〜94、三八歳)に手伝わせていました。ところが、この男は、仕事のかたわら、古文書をいろいろ調べている。そこで、七五年、フリードリッヒ二世方伯(五五歳)は、ラスペを古銭横領の容疑でとりあえず逮捕しようとします。すると、ラスペは逃げてしまいました。
 −−−中略−−−
1774年、ラスペに代わって、フランクフルトのユダヤ人商人マイヤーアムシェル=ロートシルト(ロスチャイルド、1744〜1812、三一歳)がフリードリッヒ方伯に近づいてきました。彼もまたたいへん古銭に詳しく、方伯家のコレクションにおおいに貢献しました。とはいえ、フリードリッヒ方伯を支える多くの銀行家の中では、彼はまだ、その末席に加わったという程度にすぎません。

国王が支配する国家体制に反発する改革派が、このころからヨーロッパ各地で活動を活発化させます。フランスでは革命が起こり、その後ナポレオン率いる軍部が台頭してきます。
一方、反革命〜反ナポレオンの雄、ヘッセン家は郵便制度を握っていたタクシス家を掌中に納めて、情報網を支配します。

 1787年、「古式黄金薔薇十字団」の黒幕だったヘッセン=カッセル方伯の息子ヴィルヘルム九世(43〜即位85〜1821、四四歳)もまた動き出し、フランクフルトに事務所を持つ「帝国郵便総監」トゥルン=タクシス公家が財政危機に陥っているのを聞きつけると、彼は、宮廷に出入りしていた同地出身の弱小銀行家マイヤーアムシェル=ロートシルト(四三歳)を送り込んで交渉に当たらせ、同公に大金を貸し付け、自分の配下に取り込んでしまいます。これによって、オーストリア=神聖ローマ帝国の外交通信は、すべてヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム九世に筒抜けとなりました。

ドイツ最大の領土を持ち、ヨーロッパ各国に傭兵を貸し出して莫大な利益を上げ、国際金融都市フランクフルトを領内に抱えるヘッセン家は、フランスの皇帝に成り上がった軍人ナポレオンを苛立たせていました。
「軍隊の戦争」から「経済の戦争」へ
ナポレオンのプロシア遠征では第一標的にされてヘッセン家の領土(カッセル、ダルムシュタット)は奪われてしまいます。このときロスチャイルドは、ナポレオンに狙われたヘッセン家の財産をロンドンに移し守ります。
これが功を奏して、ヘッセン家は現在もなおドイツの大貴族として名を馳せています。

 むしろ重要になるのは、その後のヘッセン=カッセル方伯とロートシルト家のネットワークの役割です。というのも、反革命〜反ナポレオン戦争において、各国にその兵員と資金を供給し続けたのは、グレイトブリテンでもプロシアでもオーストリアでもなく、このネットワークにほかならないからでです。それゆえ、ナポレオンは、一八〇六年のプロシア遠征においてまずカッセルを奪い、そのヴィルヘルムスヘーエ宮にヴェストファーレン王として末弟ジェロームを置きました。
 しかし、このころすでに反ナポレオン戦争は、軍隊の戦争から経済の戦争にシフトしており、ロートシルト家は、ロンドン市の「シティ自治区」を拠点とするネイサン(1777〜1836)を中心に、国際的な貿易と金融を自由に操作して、反ナポレオン諸国を支援し、ウィーン体制の確立にまで至らしめます。しかし、このネットワークも、もはや多くの人々が参加する「メイソンリー」とはまったく異なるものです。

ナポレオン侵略でヘッセン=カッセル方伯は亡命し、カッセルを奪ったナポレオンが欧州を席捲しました。ナポレオン軍は軍事力でドイツ西南部を支配、神聖ローマ帝国を事実上解体してしまいます。
しかし時代はすでに「軍隊の戦争」から「経済の戦争」に変化してしまっていたのです。
領土を奪われたヘッセン家ですが、ナポレオン軍が勝とうが負けようがとにかく戦争すればするほどヘッセン家に金が転がり込む仕組みとネットワークがロスチャイルドによって構築されていたのです。
ナポレオン失脚(1815年)後、カッセルは「ヘッセン選帝侯国」、ダルムシュタットは「ヘッセン大公国」となってドイツ連邦に加盟します。

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画像はJDN(ジャパンデザインネット)さんから拝借しました。
その後に起こる戦争は、
 どのような戦争も「国家や社会」のために行われるのでは全くありません。
戦争は当事者(国家)ではなく背後で支配する者に利益をもたらすためのものになりました。
しかし、戦争で莫大な利益を上げているはずの「金貸し」もまた、雲の上にいて姿を見せない支配者の出先機関に過ぎなかったのでしょうか?
現在、ヘッセン家の領土はヘッセン州となっていて、ドイツ最大の金融都市フランクフルトがあります。ヘッセン家財団が資産を管理しているようです。

 ●ヘッセン家
現在の当主ヘッセン方伯モーリッツ(ヘッセン家財団の理事長)
ヘッセン家の家族財団で、その目的はヘッセン侯爵家の文化遺産を保存。ヘッセン・カッセルとヘッセン・ダルムシュタット方伯の遺産、およびヘッセン選帝侯と大公の遺産の保持。
広範囲な芸術品収集を所有し、その大部分は財団が保有する博物館ファザネリー宮殿に展示。またタウヌス山地のクローンベルクのフリードリッヒスホーフ宮殿やフランクフルトのホテルのヘッシッシャーホーフ、ラインガウのヨハニスベルクのヘッセン皇子ワイン農場、シュレースヴィッヒ・ホルシュタインの農場パンカーも、財団の所有。

↑るいネット「裏の支配勢力史に出てくる貴族たちの今」より引用
以上
【参考】「西欧近世文化史 第7章 メイソンリーの理想と現実」
    玉川大学 純丘曜彰講義資料

List    投稿者 finalcut | 2009-08-04 | Posted in 08.金融資本家の戦略3 Comments » 

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コメント3件

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