2012-05-03

近代市場の成立過程(3)〜ルネサンスの先駆者ダンテが金貸したちにもたらしたものは…


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「ダンテ・アリギエーリ」
サンドロ・ボッティチェッリによる肖像画(1495年)


「近代市場の成立過程」シリーズ第三弾です。
前回、「近代市場の成立過程」〜近代市場の誕生前夜・富豪の台頭⇒現代通貨制度の原型が形成される〜(2)では十字軍遠征により金貸したちが台頭してきたことをお伝えしました。
今回は十字軍遠征後、ルネサンスの源流を創ったダンテに焦点を当て、彼が支配層や大衆に何をもたらし、その後のルネサンス芸術にどのうような影響を与えたのかを探っていきます。

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■ダンテの略歴
フィレンツェは当時、最も栄えた都市のひとつでした。金貸したちの経済的バックアップを受けた貴族や騎馬兵たちの力により、北イタリアの諸都市が神聖ローマ帝国から自治権を奪い、自治都市(コムーネ)を作っていった頃にダンテは誕生します。

ダンテは1265年、中部イタリアにあるトスカーナ地方のフィレンツェで、金融業を営む小貴族の息子として生まれた
13世紀当時の北部イタリアは、ローマ教皇庁の勢力と神聖ローマ帝国の勢力が対立し、各自治都市はグェルフィ党(教皇派)とギベリーニ党(皇帝派)に分かれて、反目しあっていた。フィレンツェはグェルフィ党に属しており、ダンテもグェルフィ党員としてフィレンツェの市政に参画していくようになった。1289年には、カンパルディーノの合戦にて両党の軍勢が覇権を争い、血みどろの戦いを繰り広げた。この時ダンテもグェルフィ党の騎兵隊の一員として参加している。
※ウィキペディア 

彼の政治キャリアは、1295年に医薬業組合に入った時から始まります。その後5年間で彼の政治活動のキャリアは成長し、1300年には、組合長にまで登りつめます。しかし、両替商や毛織物業などの富裕市民が支持するグエルフィ白党と封建貴族が支持する黒党間の内紛が起こり、ダンテが入っていた白党が黒党に破れ、フィレンツェからの追放と、捕まった場合には、焚刑となるという宣告を受けます。
これ以降、ダンテは、イタリア国内を放浪し、フィレンツェに一度も帰ることなく、1321年にラヴェンナで死去しました。
※「フィレンツェの芸術家」

金貸し同士のなわばり争いに敗れたダンテはその後、各地を食客として放浪し、自治都市ラヴェンナに辿り着きました。「神曲」が書かれたのはその頃です。


■神曲とは
神曲には中世のカトリック信仰に基づいた死語の世界が描かれています。生前の功績によって「地獄界、浄罪界、天国界」のいずれかに魂が運ばれます。神曲とはダンテ自身が地獄界から天国界までを遍歴する壮大な物語です。
神曲は三行を一連とする「三行韻詩」、三行連句の脚韻が aba bcb cdc と次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式など表現の美しさ、聖書のみならずギリシア哲学や神話、自然科学など多くの知見を構成した百科事典のような重厚さと幻想的な内容が世界文学を代表する作品と評価されています。その幻想的な内容と豊饒なイメージから、数々の文学や芸術作品に大きな影響を与えてきました。

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Inferno: Canto I
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地獄編 第一歌

Nel mezzo del cammin di nostra vita
mi ritrovai per una selva oscura
che’ la diritta via era smarrita.
われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き林のなかにありき
Ahi quanto a dir qual era e` cosa dura
esta selva selvaggia e aspra e forte
che nel pensier rinova la paura!
あゝ荒れあらびわけ入りがたきこの林のさま語ることいかに難いかな、恐れを追思にあらたにし
Tant’e` amara che poco e` piu` morte;
ma per trattar del ben ch’i’ vi trovai,
diro` de l’altre cose ch’i’ v’ho scorte.
いたみをあたふること死に劣らじ、されどわがかしこに享けし幸(さいはひ)をあげつらはんため、わがかしこにみし凡ての事を語らん 

しかし、それだけではありません。神曲の最大の特徴は当時の文学が一部の知識人にしか読めなかったラテン語ではなく、後のイタリア語の源流となったトスカーナ方言、つまり口語体で記述されたことにあります。その結果、知識人はもとより金貸したちの知的欲求に火がつき、さらにその後、15世紀の印刷技術の登場により、文学が都市住民(=金貸したち)の娯楽=解脱様式として確立していったのです


■ダンテが神曲に込めたものは何だったのか

 ダンテは『神曲』で何人もの教皇たちを地獄に堕している。無神論者であったのではない。敬虔なカトリック教徒だった。では、なぜこんなことをしてみせたのか。
※中略
 『神曲』はフィレンツェの政治史であって国家理想をめぐる議論にもなっている。だいたいこの時代はフィレンツェもラヴェンナもナポリも、都市国家なのである。トスカナ地方だけでもいくつもの都市同盟が複雑にむすばれていた。国家理想といえば、このことだ。あるいはキリスト教の「神の国」のことだった。
 そのため『神曲』の随所には、ダンテのフィレンツェ政治やキリスト教社会に対する主張や見解が記述されている。それだけではなく聖人や神学者たちのアドレス(住処)も決定されている。そのなかで教皇が次々に地獄に堕されているわけなのだ。ダンテには教皇を堕しめる理由があったのである。
 まずもってはっきりさせておかなくてはならないのは、ダンテはプラトンよろしく政治家をめざしていたということだ。それとともに、これもプラトンそっくりなのだが、フィレンツェを追放された挫折者でもあったのだ。
※松岡正剛の「千夜千冊」より

ダンテによって地獄に堕ちた教皇の代表は彼をフィレンツェから追放したボニファティウス8世である。このように政治批判に留まらずローマ教皇や皇帝すら地獄に堕とす記述は、新興勢力の金貸したちの反権力意識を正当化させていきましたさらに教会の権力を否定する根拠として人間主義・聖書主義を唱え、その後のルネサンス芸術や宗教改革に大きく影響を与えています。

ダンテは天堂界(=天国界)第二十四曲で聖ペテロに信仰の根拠を問われて、新約・旧約の遼聖書と述べている。信仰の根拠をローマ教会ではなく、聖書それ自体にもとめたこと、それは人間の行為の基準を自由意志に求めたことと共に、宗教改革を先取りするものといえる
※清水孝純「ルネサンスの文学」講談社学術文庫


■恋愛至上主義の萌芽
神曲にはもう一つキリスト教から逸脱し、人間主義を表したものがあります。
それは一人の女性を神格化し、絶対的な愛を表現したことです。
女性の名はベアトリーチェ。ダンテは9才で一目惚れし、その後18才に再び出会い(すれ違っただけで)、熱病に冒されたごとく恋焦がれました。しかし、ストーカー的偏執狂の恋愛観を持つダンテは、ベアトリーチェから挨拶すら拒まれ失恋してしまったのです。
それでもダンテは諦めません。その後、互いに別の相手と結婚し、24才で死別した彼女への愛を美化し、ダンテは神曲の「天国界」に描いたのです。

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多くの芸術家が描いた「ベアトリーチェ」
作者は左上から「サルバドール・ダリ」「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ」「ウィリアム・ブレイク」「ギュスターヴ・ドレ」

しかし、カトリックの教義を超えたその恋愛観念は、その後、人間主義者たちが自由な性愛を表現しはじめたことに繋がっていきます。
最も早いダンテの理解者、賛美者として登場したのは、ダンテより約50才年下のボッカッチョです。彼もまた、金貸しの子として生まれフィレンツェで成長しました。彼は神曲の原題「Commedia(喜劇)」を「La Divina Commedia(神聖喜劇)」と神聖化し、後の世に広めたのです。
ダンテが神曲ではキリスト教の枠組みを用いて間接的に教義や教会の枠を超えた表現をしたのに対し、ボッカッチョは「デカメロン」で、神曲を意識しながらも神話ではなく現実に近い話として、俗的な不倫や修道院の性愛を直接的に表現し、ルネサンスの人間主義の扉を開きました。


このようにダンテの登場は金貸したち都市住民に文学を解脱様式として定着させ、反権力、脱カトリックの正当化や、それらの根底のエネルギーである「性愛」を美化させ加速していったのでした
また、ダンテもボッカッチョも金貸し自身から登場したことも注目されます。
「近代市場の成立過程」シリーズ第三弾、今回はルネサンスの先駆けダンテを紹介しました。
次回は、その後フィレンツェの金貸しの主役となり、ルネサンス芸術を花開かせた「メディチ家」の勃興期を取り上げます。
お楽しみに。

List    投稿者 tsuji1 | 2012-05-03 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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