資力が武力を上回ったのはなんで? 〜プロローグ〜
今回から新シリーズを始めます。
さて現在、国力を表す指標は?と問われると、みなさんは何と答えますか?
私は、まずGDP(国内総生産)が頭に浮かびます。
2012年GDPランキングによると、1位16兆2400億ドルのアメリカを筆頭に、2位中国、3位日本、その後ドイツ、フランスと先進国と呼ばれる国が続きます。経済の豊かさが国家の豊かさであり、経済力こそが国力というわけです。
しかし私たちはこの「経済こそ国力」という経済至上主義が様々な問題を引き起こしてきたことを知っています。急速な工業化による公害や、個人主義化による共同体の崩壊、科学信仰による原発問題など・・・、枚挙に暇がありません。資力(経済力)≒国力という構図を大きく見直す時期なのです。
そもそも一体いつから国力≒資力と言われるようになったのでしょうか?
例えば日本では、708年に和同開珎が貨幣として登場しますが、15世紀末になってもまだ国力は武力だったと言えます。当時は戦国時代と呼ばれ、織田信長や豊臣秀吉などの歴史的ヒーローが活躍するなど、多くの武将が群雄割拠した時代でした。武力を使って他国を侵略し領土拡大していくので、国力とはまさに「武力」そのものだったのです。
ちなみに貨幣の誕生については、コチラをどうぞ♪
では「資力」と「武力」は一体どんな関係なのでしょうか?
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■「資力」と「武力」の位相
改めて「資力」と「武力」はどんな関係にあるのでしょうか?
「お金で兵器が買えるんだから、資力が武力を上回るのは当たり前。」
と、誰もが思いつきます。でも一方で
「いや、武力でお金を奪う、もしくは差し出すように仕向ければいいはず。」
とも思いつきます。
実際今でも世界のどこかで戦争が行われています。世界から武力がなくなったわけではなく、むしろ兵器はさらに破壊力を増し、一気に何千万という人を葬る巨大な力を持つまで強大化していることは言うまでもありません。ではどう考えればいいのでしょうか?
実は、「武力」と「資力」は単純に比較することはできません。
例えば「資力」が「武力」に勝つには、お金で武器を買ったり、兵隊を雇って、相手の「武力」を屈服させるor無効にさせるだけの「武力」を手に入れる必要があります。つまり「武力」と「資力」は同じ土俵に存在するのではなく、社会的存在の位相が違うのです。
したがって「資力が武力を上回る」とは、社会的には「武力」の重要度が下がっていく一方で、相対的に「資力」の重要度が増してきたということなのです。言い換えると、人々の共認収束先が「武力」から「資力」へシフトチェンジしていったということでしょう。
では一体、どうやってそうしたシフトチェンジが成立したのでしょうか?
この「武力」から「資力」へのシフトチェンジの状況を解明することで、「資力」が支配する世界の構造を読み解くカギになることを期待しています。
それでは国家の歴史を大雑把につかんで、その仮説を立ててみます。
■武力によって国家誕生
国家が誕生する前、人類はもっと小さな集団を形成して生活していました。
原始時代の集団はそれ自体で自立しており、集団内には採集、狩猟、あるいは農業などの生産を行い、その収穫物を皆で消費していました。男女の生殖により子を産み、育て、日常の語らいやお祭りなど仲間との充足行為も行っていました。集団は共認充足で結びつき、それまで集団を守ってきた長老を中心に規範によって統合されていました。
もちろん外敵に対応するために弓矢等の武器も持っていましたが、戦う者の腕力そのものが武力の基本でした。もちろん集団を守るための闘争共認が強かったのは間違いありません。
しかし、他集団から食料や土地、女を奪い取る略奪集団の登場で、人類は同類闘争の渦の中に落ち込み、集団同士の武力闘争が勃発したのです。
それにより武力に勝る集団によって他集団が支配下に組み込まれる、支配・被支配の構造が出来上がりました。そしてその帰結としてお互いに顔の見える範囲を超えた、超肥大集団としての「国家」が誕生したのです。
この段階でも、国家内には生産はもちろん消費や生殖、規範を包摂していましたが、武力で成立した集団なので、武力で序列統合することになります。そして武力を背景に支配層に有利な制度で国家を動かしていくことになります。
■武力を外部から調達する国家
ところが国家間の武力闘争が激化するに連れて、国家は武力強化の為に傭兵を雇うことになります。彼らは言わば闘争に特化した専門職で、武器の使用に長けていたので、戦争の度に駆り出されていた農民とは、その力量は大きな差があったと考えられます。つまりこの傭兵を多く抱えると、戦闘能力UPにつながるだけでなく、農民を兵に回さずに済むので生産力も維持できるのです。
しかしこれは実は国家にとって大きな存在矛盾に繋がります。
なぜなら国家の誕生経緯で押さえたように、武力こそが国家の成立基盤になっているにもかかわらず、その調達を自前ではなく外部に委ねることになるからです。もちろん傭兵にも仁義や大義などの価値観があったでしょうが、傭兵とは本質的には待遇次第でどの国家につくかを決める者たちなので、原始時代のように集団(≒国家)第一で集団を守るために命を投げ出すような闘争共認が成立しないからです。
これは現代が分かりやすく、大量破壊兵器の調達(輸入)によって国家の軍事力そのものが大きく左右されることになります。これは国家にしてみると、武力を剥奪されたことと同義で、国家統合における「武力」の地位が大きく崩れる要因になっていると思われます。
■資力が武力を上回ったのはなんで?の仮説
そして武力以外にも同様に元々国家に帰属していた要素のうち、国家から離脱したものがあります。
例えば、現代では海外から輸入していない国はほとんど存在しません。いつの間にか国家は「生産」という面でさえ自立できなくなっています。そして最終的には国家は国内の流通を支える通貨の発行権さえ、中央銀行に剥奪されてしまうのです。
国家はこうしてその存在を規定する要素を次々とそぎ落とされ、極端に言えば残ったのは生殖や消費と、それを管理する制度だけとなり、国家の力は衰弱していったのかもしれません。
そして剥奪されたものは一体どこに行ったのでしょうか?実はそのほとんどを資力が取り込んでいます。つまり
「武力」は国家から切り離されることによって、統合の要という地位を剥奪され、社会的な共認収束力を失っていく。一方、貨幣は社会に広く浸透し、国家を構成していた要素を次々と取り込むことによって「資力」としての「力」を持つようになった。
少し荒っぽいですが、この仮説を元に、次回からヨーロッパの歴史をより詳細に検証していきたいと思います。
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