「お金の本質に迫る!」7 〜ユダヤ人による金融市場の構築〜
前回は、紙幣の起源について扱い、「金の預り証」が紙幣の起源で、他人の金を勝手に誰かに貸しつける「横領」で紙幣を増やし、原資以上に発行される紙幣の仕組み(貸し出し膨張)が信用創造という言葉に化けていることを明らかにしました。
こう見ると、紙幣って何とも怪しげですねぇ〜。 8)
前回までの記事が読みたい方は、以下からどうぞ
・「お金の本質に迫る!」6〜紙幣の起源・中央銀行・金本位制の崩壊〜
・「お金の本質に迫る!」5〜貨幣戦争という名の外国貿易〜
・「お金の本質に迫る!」4〜イスラムが生んだ商人国家〜
・「お金の本質に迫る!」3〜国家と貨幣の関係〜
・「お金の本質に迫る!」2〜市場拡大の原動力〜
・「お金の本質に迫る!」1〜お金が生まれてきた背景〜
さて、段々と現代に近づいてきたこのシリーズ。
今回はついに、現在の金融経済にまで繋がるユダヤ発の金融市場について迫ります。
なぜ、金融市場はここまで膨張したのか、その背景を探ってみましょう。
それでは、本文の前に、いつものクリックをどうぞ
弾圧され続けたユダヤ人による金融市場構築までの流れ(るいネットより)
現代の金融市場と、その背後で勢力争いをする国際金融資本(ロスチャイルド・ロックフェラーetc)の成立過程や、パレスチナ問題などに代表される戦争問題をおさえる上で、重要なキーワードとなるのが「ユダヤ人」という存在。
その「ユダヤ人」について、歴史的背景(弾圧から金融市場構築に至る流れ)が書かれている記事があったので、以下に紹介します。
田中宇の国際ニュース解説
より以下引用。
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金融の元祖ユダヤ人
2001年2月1日 田中 宇
シェークスピアの「ベニスの商人」に出てくる悪役のユダヤ人シャイロックに象徴されるように、中世ヨーロッパでは多くのユダヤ人が高利貸しを生業としていた。他人に貸した金から利子をとることはキリスト教が禁止していたため、それに手を染めるユダヤ人は欲深い罪人というイメージを持たれていた。
実はユダヤ教においても、利子の徴収は原則として禁じられていた。むしろ、一神教の元祖であるユダヤ教が利子を禁じたから、そこから派生したキリスト教やイスラム教もまた、利子を禁止したというのが、歴史の順番であろう。とはいえ、キリスト教などは利子の徴収を完全に禁じたのに対し、ユダヤ教は例外として異教徒(外国人)から利子をとることは許していた。
そのため11世紀に、バチカンのキリスト教会がユダヤ人をほとんどの職業から追放した後、ユダヤ人にとって数少ない収入源として残ったのが、高利貸し(質屋)や金塊の保管人、両替商(貿易決済業)など、利子を取り扱うことが多い金融業であった。教会という中世ヨーロッパの支配者が、ユダヤ人をそのような立場に追い込んだ理由は、社会の共通の敵を設定することで、自らの権力を安定させるためだったと思われる。(記事「聖地争奪戦:一神教の近親憎悪」リンク参照)
だがその後、ヨーロッパでは貿易の活発化や産業革命を経て、経済の中心が農業から工業に移った。国家の主目的は、大資本をかけて大きな工場を作り、製品を大量生産することで巨額の利益を出せる体制を作ることになった。
このような近代化が進展した背景には、政治と宗教を分離した宗教改革があった。中世には、キリスト教会が政治権力や司法権をも握っていたが、プロテスタント運動など宗教改革によって、政治権力や司法権は「国家」を握る国王に移り、その後フランス革命などを経て、国民が力を持つようになった。
ヨーロッパの政教分離は同時に、経済の前提も変えることになった。教会は人々の経済活動に口出しできなくなり、「利子」をとることが悪事ではなくなったのである。ところが、それまで利子が罪悪だっただけに、利子を受け渡ししながら巨額の資金を集め、資本として使うという近代経済の技能は、ほとんどの人々にとって未知のものだった。その技術を持っていたのは、ほかでもないユダヤ人だけであった。
(とはいえ、すべてのユダヤ人が金融業者だったわけではない。中世から近代にかけて、ユダヤ人は東欧に多かったが、彼らのほとんどは職人か行商人、もしくは貧しい農民だった)
▼弾圧から生まれた金融技術
中世には、弾圧を受けたユダヤ人の移住が何回も起きた。11世紀には、十字軍やイスラム帝国分裂の影響で弾圧された中東のユダヤ人が、ベネチア(ベニス)などに移住した。15世紀には、スペインでキリスト教王国がイスラム王国を倒したことにともなってイスラム王国に協力したユダヤ人への弾圧が強まり、ユダヤ人は全員がキリスト教徒に改宗するか追放されるかの選択を迫られ、多くが北アフリカやトルコ、ベネチアなど地中海沿岸の商業都市に移住した。
このような移住は、たとえば以前にスペインの金融業界に属していたユダヤ人金融家が、トルコやベネチアに信頼できる同業者がいるという状況を生んだ。彼らはこの離散状態を生かし、遠い町との貿易決済業にたずさわるようになり、為替技術を発達させた。さらに彼らは、貿易商人から毎月いくらかの積立金を徴収し、船が海賊や遭難の被害にあったときの損失を肩代わりするという保険業や、事業のリスクを多人数で分散する株式や債券の考え方を生み出した。
一方、中世にはユダヤ人だと分かっただけで財産を没収されることがあったので、ユダヤ人にとって自らの名前を書かねばならない記名型の証券は安全ではなかった。そのためユダヤ人の金融業者たちは、無記名の証券(銀行券)を発行・流通させる銀行をヨーロッパ各地で運営していた。この技術は、やがてヨーロッパ諸国が中央銀行を作り、紙幣を発行する際に応用された。
こうしてみると、銀行、為替、保険、証券、債券といった現在の金融業態のすべてに、ユダヤ人は古くからかかわり、金融システムの構築に貢献したことになる。中央銀行や株式市場ができて、ユダヤ人金融業界内部にあった金融システムを国家が肩代わりしてくれることは、地位が不安定なユダヤ人にとっては資産の安全性を確保できる望ましいことだった。
彼らはシステムを囲い込むことをせず、積極的なノウハウの提供を行ったが、それは自分たちのルールを世界に通用させることにつながった。はるか後の現在まで、ユダヤ人の銀行や証券会社が金融市場を牛耳ったり、中央銀行の決定に影響を与えたりできるのは、この「創業者利得」から考えて、歴史的必然であるともいえる。シャイロックに象徴されるベニスの商人とその同僚たちがいなかったら、現在のような金融ビジネスは生まれなかっただろう。
〜後略〜
以上、引用終わり。
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キリスト教や国家からの弾圧を受け、金融業くらいしか職に就けず、定住もままならなかったユダヤ人。その後、国家が市場に積極的に加担するようになり(農業→工業の発展)、市場の急拡大に伴って、その国家に寄生する形で金融業(為替、株式、保険など)を発展、拡大させていく。
そして市場が金融市場と一体となって拡大していく過程で、その金融市場(紙幣の発行含む)を完全に牛耳る形で資産を拡大していき、その流れの中から今の国際金融資本家と呼ばれる人たちが誕生していったということのようです。
この引用を読んでいると、迫害されたユダヤ人が金融業に可能性を見いだし、そこを追求していった結果が、現在の金融市場に繋がると読めます。
ある意味、逆境から可能性を求めて大進化した生物原理にも近いような・・。
それにしても今の金融市場は壮大な、しかし膨張しすぎの感がありますが。
なぜここまで膨張しなければならなかったのか、そこは未だ疑問なところです。
さて、次回は紙幣の貸し出しから生まれた紙幣膨張について、扱っていきます。
それではまた来週 😀
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hermes online shop 金貸しは、国家を相手に金を貸す | ゴールドの真相に迫る−6 ゴールドの歴史(2)〜貨幣制度の普及による中世市場の拡大〜