「お金の本質に迫る!」〜総まとめ〜
今回は、11回連続でお届けした「お金の本質に迫る!」シリーズの、「総まとめ」にしたいと思います。
振り返ると、貝殻貨幣に始まる「お金の歴史と変遷、そしてその特質」や「驚きの紙幣の起源」、そして近現代のバブルやマネー経済など、膨張する市場経済の原因構造が掴め、毎回気づきの連続でしたね。
さて、シリーズに冠した「お金の本質」について、時系列を追いながら、構造的な転換に着目し、整理してみたいと思います☆
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■共認的贈与から私権的交換取引への転換。そして支配の道具へ。
・お金の起源として考えられている貝殻貨幣は当初、集団間の友好関係をとりもつ贈り物と捉えることができますが、貝殻⇒金属貨幣⇒鋳造貨幣へと、その姿かたちを変えていくにつれ、次第に私権的取引の媒介物として「お金」が扱われるようになっていきます。⇒(1〜お金が生まれてきた背景〜)
・ここでのお金の本質は、共認原理である「贈与」から、私権原理の「共生取引」への変質を象徴した点にあると云え、市場の起源である宮廷サロンで、宝石や絹、毛皮など幻想商品の吊り上がった価格を数値化し広く共認させるものさし(指標)としての役割も果たしました。⇒(2〜市場拡大の原動力〜)
・なおBC6世紀頃には、国家が貨幣発行権を握って、お金は支配の道具になり、さらには国家間貿易を通じて、交換の媒介物としてのお金という存在が広く普遍化していきます。⇒(3〜国家と貨幣の関係〜)
■膨張するお金と金融の仕組み。
・中世後期のヨーロッパで「金の預かり証」が流布し、そのうち元々の額から飛躍的に供給量を増やす事の出来る、マジックのような貸付膨張(経済学的には信用創造)が行われるようになりました。⇒(6 〜紙幣の起源・中央銀行・金本位制の崩壊〜)
・ここでのお金の本質は、金兌換という取り決めのもと、その裏側で巧みにその量を膨張させながらも、社会的な信用を持続させた、その装いにあるのではないでしょうか。債務から生み出されるこの貸付膨張という仕組みが、後の市場拡大の布石となりました。
・歴史的にはイスラム商人やユダヤ人たちの置かれた外圧から、このような「金融の仕組み」が生み出された事実も忘れてはならない構造です。⇒
(4〜イスラムが生んだ商人国家〜
7 〜ユダヤ人による金融市場の構築〜
8 〜債務からマネーを創造〜)
■私権獲得の可能性収束を牽引。上位層から大衆へ
・十字軍遠征時のキリスト教ネットワークを、ルネサンス期に金貸しネットワークに塗り替え、市場拡大の基盤が盤石になり貨幣流通量が増加して、これまで序列上位層に集中していた「私権」が、17世紀頃の市民革命等を通じて、ついに一般大衆にもその獲得可能性が芽生え、市場拡大が一段と進行してゆきます。⇒
(日本を守るのに右も左もない:12/29 なんでや劇場レポート②〜近代市場は近世欧州社会の特殊事情の中から生まれた〜)
(5〜貨幣戦争という名の外国貿易〜)
・ここでのお金の本質は、誰もに『私権獲得の具体的な指標』となった点ではないでしょうか。このあたりから急速に「金さえあれば!」といった万能価値が大衆意識に定着し、「お金第一」の価値観が浸透していったのではないでしょうか。
※力関係が「国家<市場」へと大転換した時期としても注目!!
■中央銀行の成立=国債の起源
・中央銀行の設立は、さらなる市場拡大を目論む金貸したちにとって、決定的な転機となりました。紙幣発行権との引き換えに必要な融資を受けるという1694年のイングランド銀行の設立をきっかけに、戦争にかかる桁違いな戦費調達が可能となり、貨幣供給がさらに膨らんでいきます。
・近代は、金貸したちが、金兌換⇒国債兌換という仕組みテコに、さらに世界中で陰に陽に躍進し、戦争を引き起こしては市場拡大をはかった時代ともいえます。⇒(10 〜お金のウソ〜)
・ここで注目すべきお金の本質は「お金=借金」という点でしょう。⇒(11〜お金の出自は借金発〜
)
■バブル経済。そしてお金崩壊へ。
・現代のお金はすべて、借金から生み出されています。(国の借金・銀行の借金・レバレッジ)
・とりわけ1970年頃、豊かさを手に入れた地域では、お金の価値は、構造的には二義的なものへ転落したにもかかわらず、金貸し市場拡大派は世界中でバブルを仕掛け、そして弾け、天文学的な債務を生み、社会を混乱に陥れています。(輸血経済(自由市場の終焉))
・お金はバブルという「虚構」の仕組みのもと、マネーと呼ばれるほど「架空」の存在として決定的になった。と云えるのではないでしょうか。
以上、歴史を振り返ってみると、「お金」は私権時代の「顔」であり続けた事がわかります。金貸したちは、様々な外圧の変化に応じて、その度ごとに「カラクリ」を捏造しては、強欲に市場拡大を推進し続けてきました。
しかし40年前すでに豊かさが実現され、いま社会は共認原理で動きだしています。
私権時代を通じて変化し続けた「お金」の本質を見抜き、共認時代に相応しい、新しい時代の“お金”を創造することが期待されていると思います。
多極通貨、地域通貨や減価する貨幣(金貸しは国家を相手に金を貸す:ゲゼルが見た減価する貨幣の様子)など、面白い発想も既に提起されていますが、構想するうえで欠かせない視座として、最後に「超国家、超市場論」(リンク)からこれからの「お金」を示唆する内容を引用して、締めにしたいと思います。
・・・シリーズご愛読していただいたみなさん、ありがとうございました。( 😀 )
<以下引用>
『必要か否か』という最基底の、それゆえ真っ当でシンプルな『判断の土俵』(=新しい演場の基礎)が出来てくると、国家も市場も全面的にその土俵の上に乗らざるを得なくなり(∵逃げ道はない)、そこでの評価指標=身分やお金は『現実に必要か否か』を表わすモノサシに変質せざるを得なくなる。
これまで(前世紀まで)は、物財の「必要」は自明であり、従って人々はその価値の大きさだけを追い求め、お金は専らその価値量=価格を表わすモノサシとして機能してきた。それこそが、お金の本来の機能であった。従って、お金の『必要か否か』のモノサシへの変質は、お金にとっては実に窮屈な、面白くない役回りを強要されるということである。
しかし、それは序の口に過ぎない。それどころか、『必要か否か』という土俵上では、どれだけ多くの人が必要と認めたかが、つまり『人数』こそが、「お金」を超える最先端の評価指標となる。そこでは、お金は人数を判定する基準(お金を払った人だけを人数として数える)にすぎなくなる。つまり、古い評価指標=お金は、新しい評価指標=人数の補助指標に転落する。<超国家・超市場論24 必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく>
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