2015-11-26

金貸し勢力のスパイの証言(17)~戦後日本におけるユダヤ支配~

渡部本

戦後日本におけるユダヤ支配の実態をこと細かく記した記事です。登場人物は初めて聞く人も多いですが、読んでいくと、グイグイ引き込まれる内容となっています。

フリーメイソン・ロッジを拠点に、日本の政・財・経・軍に深く根を下ろし、巣くっている売国奴達。その状況を、学生の頃からキャッチし、監視してきた人物がいたとは驚きでした。そして、ユダヤから日本を守るために、命を掛けて闘ってきた先人達がいたことには、とても感銘を受けると同時に、彼らの功績によって、かろうじて日本も生きながらえてきたとも言えると思います。

彼ら真の愛国者達の志を受け継いで、今尚続くユダヤ支配から脱却していかねば・・・と思いました。

 

以下、「伝説の秘密諜報員 べラスコ」(高橋五郎著)を基に転載紹介しています。

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◆渡部悌治『ユダヤは日本に何をしたか』が訴える真実

日本の完全支配を急ぐユダヤ秘密結社。彼らの魂胆と蛮行を監視して八十余年。純正愛国陣営の一員を標榜してユダヤの対日悪戯を追い続けた渡部悌治は、ベラスコよりも三歳年下で1912年(明治45年)山形県は酒田湊の商家に生まれた。東北学院神学部に学び昼はカトリック教会での礼拝、夜は善導寺(仙台)での念仏会に参加。神仏熱中の生活過程の途次から國學院大學へ。

 

卒論は「日本に於ける基督教思想移植の仕方」。学生時代は仙台の東北帝大や仙台の東本願寺で宇井伯寿博士の仏教学を積極聴講。ユダヤ問題専門の熊谷寂師や東北帝大の奥津彦重(愛宕北山とも)ならびに渥美勝(1877~1928。京都帝大中退後に桃太郎主義を掲げて活動。純正愛国陣営の聖者と呼ばれた)の薫陶を受けた。日本国内でのユダヤ禍の現実を知り、親ユダヤ勢力の夢を粉砕すべくキリスト教会(イエズス会)の謀略喝破を生涯のフィールドワークに。

 

1943年(昭和18年)からユダヤ研究の会「国際政経学会」監事を務めた。1945年(昭和20年)に同会はGHQ占領軍により解散させられ、渡部は同時に公職追放令で失職。山形県知事の私的顧問、県出先機関の事務長などを務めて1970年引退。にもかかわらず純正愛国陣営が唱えた道統を指針に全生涯を親ユダヤ勢力の監視に傾注。

 

監視の対象には国粋主義者や右翼思想家までも含む。国家主義を自称する活動家や社会思想家らの大半の活動資金(軍人東条英機は一時期は生活資金まで)がユダヤ勢力の対日資金で賄われていたからだ。口と腹が正反対のそうしたニセ愛国者らはヤクザ者を走らせ“国家のため”などと称して政治家、軍人、商人らを沈黙させ、親ユダヤ勢力に奉仕しているからだ(実例は後述)。もはや本物の愛国者は渡部らの純正愛国陣営の人間のみかと慚愧の念にかられつつ戦後を眺め続けてきた。純正愛国陣営が唱えた“道統”について渡部は自著(先述)で次のように述べている。

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「武士は視して名を残し、虎は死して皮を残すというが、ひとり純正愛国陣営の徒のみは、名さえ残さぬのみか、汚名さえ着せられて逝く覚悟に徹せねばならぬ。暗雲が漂うとも、決してクーデターを起こしたり、加わったりしてはならぬ。それはわが国に内乱を起こさせて金融支配を狙うユダヤの計画によるものだからである。日本人として、この生命を持って何に捧げようかと己に問え」

 

渡部は道統を継承するためにカトリックから仏教へと大学を転校。キリスト教社会に道統なし。学生時代を通して渡部はキリスト教の中に相いれない精神を見いだしてしまったのだ。渡部らは戦前戦後を通じてユダヤ勢力の走狗に成り下がった日本人からあらゆる妨害を受けた。国際寡頭権力勢力の傀儡として金儲けと名誉の獲得に走る売名右翼や共産党、それに日本国内のキリスト教会組織のほか各界のユダヤシンパたちだ。ユダヤ勢力に操られた彼らの“おこない”とはどんなものだったのか。

 

純正愛国者を自負した陣営はどのような悪しき“おこない”を目撃してきたのか。渡部は自著『ユダヤは日本に何をしたのか』でその現実を数多く証言した。その本には類例のない、きわめて貴重な証言が満載されていた。私はナチス・スパイとの長い交流経験から、渡部の思想と体験の精度にはうなってしまった。戦後日本の国民には伏せられてきた真実が渡部のこの本には赤裸々に明かされていた。止むに止まれない私はこの本で渡部証言を目一杯引用させていただいた。読者には長文の引用を覚悟いただきたい。

 

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昭和天皇を明治の元薫・山県有朋が、陛下が皇太子であられた頃、御用邸にお出ましの折りなど婦女子を近づけて下品なご好意に誘ったり、良子女王殿下に原田熊雄を近づけて不純の行為に及ばせようとしたなどの企みを阻むために、当局の護衛のほかに渥美先生の密命によって、御用邸の近くに身を潜め、草に伏し露に濡れて御守護申し上げた任務の同志もあった。

その流れ〔攘夷の流れ〕を組む者たちも、毒を盛られ、貧に倒れ、時代も変わり、孤忠を保つ者も絶えたかにみえる。

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天皇の周囲にはトンデもオジさんたちが取り巻き、群れをなしていたのだ。

 

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昭和の初めのことである。春の穏やかな日の朝、ある友人が二人連れの外人とボートで横浜港の水際から沖に向かって漕ぎ出していくのを、遠目に見つめている青年がいた。翌日、一人の若い男の死体を乗せたボートが沖に漂っていたことが報道された。・・・何らかの有力な筋からの証言があったとかで、この男の死は自殺として処置されたのである。・・・横浜港で謀殺された商社員は〔その様子の一部を遠目に見ていた青年も〕純正愛国者・渥美勝先生の密使であり、一緒にボートで漕ぎ出していった外人は、日光屋敷の住人であった。

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日光屋敷はまたの名をサンシャイン屋敷と呼ばれ、地元横浜では“ユダヤの寺”などと呼ばれてた。早い話が在日ユダヤ勢力のフリーメイソン・メンバーが密謀をこらす場、つまりフリーメイソン・ロッジだ。横浜のその日光屋敷は横浜根岸の不動坂付近にある。磯子湾が一望できる断崖絶壁状の地形に乗り出すように切り立つそのロケーションから、今は眺望を売りにするマンションと古い住宅が点在している。

 

ボートを遠目で見つめていた密偵役の青年がボートの一件を“監視”していたから、“謀殺”(他殺)された事実がつかめたのだった。では、日本人のどんな人物がその屋敷へと出入したのか。“ユダヤの寺”に出入する政財界人の数は相当多かった。宗教人ではかくなる人々――。

 

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大本教関係の浅野和三郎が出入していることも確かめられた。ユダヤと日本の祖先は同じとする「日猶同祖論」の源泉が、この寺にあったと断ずることができたのは大きな収穫であった。

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この事実は私にとっても青天の霹靂だった。因縁を感じたのだ。というのも、浅野和三郎と大本教の出口仁三郎それに戦後ヒロヒト天皇の国師を務めた心霊術の大家で禅法師の三上照夫が一本の因縁の線で結ばれたからだ。

 

私には1981年前後に、国師三上照夫から帝王学と時局の講和を都合二年間ほど学んだ縁があった。つまり、天皇にアプローチした勢力が私の中でこのユダヤの寺と結びついたのだ。ユダヤの寺が佇む横浜根岸不動坂と目と鼻のエリア本牧に40年間住んできたこともまた、奇妙な因縁を感じさせたものだ。

 

日猶同祖論の〔源泉を研究する〕資金は大本教から出ており、その手先が共産革命家・松本寅彦。日猶親善協会の連絡員が、戦後満州で活動した日本共産党員の大塚有章である。大塚は満州に逃れたとき、甘粕正彦に救われ、満映(満州映画協会)での生活の資を得ていた。だが終戦時に甘粕を裏切り、中共に寝返ってソ連の対日侵攻を助け、歓迎に奔走した男だ。松本も大塚もともに極左であり、日猶親善協会および日猶同祖論の敵性を示すものといえる。

 

ユダヤの寺に出入する政・財界の数は相当多かった。例えば大隈重信内閣時の総選挙に当選した小山東助などもそうである。小山には第三国から政治その他の目的の資金が流れてきていた。英国資本の製糖会社に現物の砂糖で届く仕組みになっており、日本のために政治ではなく、第三国のための政治に動くようになっていたのである。

 

第三国からの工作資金はいろいろなルートで入っていた。キリスト教信者の婦女たちの団体「矯風会」らの手で右翼や左翼に撒かれた資金は、張学良の手を経て米国共産党から送られてきた対日赤化の工作費であった。同系のルートで中国から送られ、東京・芝浦の岸壁に荷揚げされて放置された古竹が、いつの間にか運び去られるという仕掛けであったが、それは代議士の葉梨新五郎に送られてくるものであった。

 

米国が将来の対日戦準備のため、日本の満州における重工業である鞍山の製鉄事業を、米国の一部を、岩手財界の水沢ルートを通じて鶴見裕輔代議士に流し、鶴見はそれを親米工作の資金として選挙のたびごとにばら撒いていた。日比谷・内幸町の幸ビル三階にあった「太平洋協会」の運営費でもあったのである。太平洋協会は、ロックフェラーの命令で「太平洋問題調査会」の事務も取り扱っていた。

 

余談だが、純正愛国陣営渡部もこの「太平洋問題調査会」についての短い説明は残念至極だ。というのも日比谷・内幸町のこの太平洋協会は日本橋三越百貨店、銀座の教文館、巣鴨の聖学院、聖公会など、いずれもフリーメイソンの都内の集会場のそれらとはまるで格付けの違う、いわばユダヤの日本における司令塔の意味を含む重大な集会場(事務所)だったからだ。表面は地味で控えめに偽装した、この事務所は日本を完璧に支配するためのユダヤ世界精力の秘密の連絡本部だったのだ。

 

◆「日本銀行の中にはユダヤ特別室がある」

ちなみに、これらの複数の集会場、それに服部時計店は東京空襲の際、米機の空襲標的から外された。なぜ誰がその場所に限って爆弾を投下しなかったのか。なんとも摩訶不思議なアメリカ軍の戦術なのだ。

 

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平生釟三郎を手先に使った鞍山製鉄計画阻止の工作は、日本の主食増産計画阻止を狙った減反政策と同じ目的でなされたもので、対日戦準備からでた米国の対日謀略の一つであった。この減反政策の計画者は、終戦直前に大審院の特別公判に附されていた和田博雄であった。

 

フリーメイソンは、日本の政・財・経・軍の機密の大略を入手していた。それはフリーメイソン網と、その外郭諜報機関であるロータリー・クラブからの報告によるものであった。そしてそれらの情報の分析基地のひとつは、上海に本拠を置くユダヤ・サッスーン財閥であった。日本銀行の内部の資料が正確に報告されていることを知った日本人の口から、「日本銀行の中にはユダヤ特別室がある」とまで噂されていたほどである。

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ちなみに、拙著『天皇の金塊』をご覧いただくと、ここで渡部が指摘している“噂”は実は誤りで、日銀は世界の金融業者ロスチャイルド一家の“一支店”だから、噂どころか事実だと分かっていただけると思う。さらに蛇足すれば、日本政府の秘密は、渡部が監視してきた戦前から今日まで東大、京大、同志社大、東北大、慶大、早大それに一橋や上智などの各公私の大学に在籍するカネと出世に憧れた教授連中や霞が関の高級官僚の手で、毎日毎秒単位で、統計データーや政府内部の動向情報は、欧米政府のメイソン人脈に垂れ流されている。

 

しがらみだけで保身を図って生きながらえているご老体の“学識経験者”や外国からの見返りのデータや情報を国内の新聞やテレビでひけらかす心身の若手大学教授ら、さらには大手マスコミの大幹部や大学生らの辞書には最初から(戦前から)愛国心などという単語は存在しなかった。寄生ユダヤ民族同様、祖国愛などは彼らには不要なのだ。渡部ら純正愛国陣営のメガネに写った戦前戦中と変わらないこんな日本の原風景は今もなお変わらない。ユダヤに日ざまづいた靡いた、これがニッポン知識人たちの心貧しき姿だ。

純正愛国陣営が監視役に密偵を動員せざるを得なかった事情を渡部は自著で次のように口惜しがる。

 

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警視庁や軍関係の者たちに、事情の重要な内容をそのまま告げることは、きわめて危険であったからだ。一般に彼らには貪欲な捜査意欲だけはあったが、背後関係を静かに広く見極める才能が薄かった。事件の関係者をむやみに検挙してしまい、下手な探りの入れ方で、すぐ敵に感づかれてしまう。最も兵務局の平原留男大尉や憲兵隊の須藤清輝君のような若手には優秀な者も多くいた。しかし、彼らが苦心して捜査したことを上司に報告しても、ことの重大性を理解して緊急の対策を講じうるような人物は、そうざらにはいなかった。たまに有能な士がいても、事務分掌の規定などに制約されて、思いのまま腕を振るうことのできない場合が多かった。こと警視庁では、刑事気質の勝ったものが多く、対極を判じえないで、早回り打ち壊しになりがちであった。・・・正確な情報があって、爆破計画のあることを告げ、緊急の手配も進言しても、「どこにそんな証拠があるか」などと呑気なことを言っているうちに爆破されたものも数ヶ所におよんだ。それに警視庁でまとめ上げても、それが司法省に移ると、いつの間にか立ち消えになってしまっていて、手のほどこしようがなくなることが多かった。司法省の上層部には第三国の手がまわっていたのである。

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List    投稿者 tasog | 2015-11-26 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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