2013-05-11

新たなバブルが始まった?(2) 70年以降バブルの崩壊構造 日本〜世界経済 パート①

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アベノミクスの正体と、仕掛け人を明らかにし、いつバブルがはじけるのか?その後の影響は?
といったところを追求する、今回のシリーズ「新たなバブルが始まった?」。
今回の記事、「70年以降のバブル崩壊の構造 日本〜世界経済 パート①」はシリーズ第1段 アベノミクスの追究に入る前談として、1970年代以降、日本〜世界で生じたバブル経済に着目し、時系列順に確認していきます。(サブプライム問題、リーマンショックについては、次回のパート②で書く予定です。もう少々お待ちください

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①1970年〜1990年 日本のバブル景気とは何だったのか?
■経過
○1970-80年
 
 1970年に物的豊かさが実現し、高度経済成長は終焉を迎えました。
物的欠乏の衰弱に加え、1973年の第1次石油危機も重なり、高度経済成長期の花形産業だった製造業は大きく後退します。一方、この物的需要の縮小を補う形で、日本列島改造論による高速道路や新幹線など高速交通網の整備を推進し、建設業が躍進。田中角栄内閣による財政政策・金融緩和政策により、金融・保険業も急成長します。需要が縮小している状況に、このバラマキ政策を推し進めた事で生じた金余り状態が、その後の金融経済の礎となったと言えるでしょう。
 75年からは「安定成長」と呼ばれる低成長時代に突入します。物的需要が飽和し、市場が縮小する中、意識生産に関わる産業への転換が徐々に顕在化します。金融・保険業は、高度成長期には製造業を主とした成長産業の設備投資に対する融資を主軸としていましたが、製造業の設備投資額減少に加え、バラマキ政策で余った金は、不動産業や小売業、住宅への融資へと傾倒してゆき、徐々に実態の生産とは異なる位相での金融経済へと移行していったのです。
○1981-90年
 
 豊かさの実現から10年がたち、市場の拡大停止が目に見えてきましたが、国債投入と輸出でなんとかプラス成長を維持していた時代です。米国では、日本をはじめとする海外製造業に押され、赤字が拡大、産業の空洞化や失業問題等、経済的な苦境から、覇権の危機感を強めていました。この頃から日米貿易摩擦が激しくなり、米国の日本に対する圧力が強くなっていきます。1985年には米国主導でプラザ合意が取り決められ、数年で1ドル240円から1ドル120円台まで円高が進みました。また、米国の意向を受けて策定された前川レポート(1986年)では、内需主導の経済成長が「国是」とされたのです。内需振興と称した低金利政策、リゾート開発、東京のオフィスビル需要を過大推計するなど、あらゆる手を使って、日本経済はバブルへと誘導されていきました
 1988年、好景気下(実態はバブル経済)の日本の銀行に歯止めを掛けるために、BIS規制が発表されます。国際業務を行う場合、自己資本比率8%以上(総リスク資産に対して8%以上の自己資本の保有)を義務付けたのです。結果、日本経済はバブル崩壊に見舞われ、大打撃を受けることになったのです。
■日本経済がバブル化したのはなんで?
       
 1970年頃についに豊かさを実現するに至った日本経済は、物的欠乏の衰弱に伴い、市場縮小過程に入ります市場を拡大させ続けたい(金貸し⇒)政府は、新たな市場拡大戦略を採る事になります。72年から、更なる市場拡大のため、田中角栄内閣は日本列島改造論を推進、日本各地で開発ブームが起こり、土地価格が上昇していました。この状況を利用して、金貸し⇒その後の政府は更なる市場拡大を狙うのです。
 
 85年には、プラザ合意によって円高誘導を行うとともに、「金融緩和」、「低金利政策」を推進します。これにより、国内市場には莫大な「金余り」状況が発生し、その後の更なる株価の高騰、地価の高騰へと繋がっていきます。つまり、物的市場が拡大限界に達してもなお、市場拡大を続けるべく、日本列島改造論による地価の上昇やその背景にある土地神話を利用し、物的市場とは別の「架空経済」によって市場を拡大させようと企図したのです。この架空経済は、言わば「バクチ経済」であり、バクチによって簡単に莫大なお金が手に入る状況を作り出すことで、豊かさを実現してもなお、日本人は幻想でしかない市場拡大に駆り立てられたのです。そして、これらの背景には、民意を誘導・形成するツールとしてのマスコミの存在があることは言うまでもないでしょう。
②2000年ITバブルの崩壊とアメリカ経済の衰退
 アメリカの経済成長が続いた1990 年代後半、情報通信産業の急激な発展と、それに過大な期待を寄せた投資家の過剰投資はインターネット関連企業の実需投資や株式投資の異常な高潮をもたらしました。これが、所謂 IT バブル現象です。
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■ITバブルはなぜ崩壊したのか
 ITバブル崩壊の原因としてよく示されるのが、FRBによる金融引き締め、利上げです。そもそもITへの投資が加速度的に増加したのは、1998年から1999年にかけて持続した米国の低金利政策が、ベンチャー創業資金や投資資金の調達を容易にしたことが大きいのですが、その金利が21世紀に入って上昇したことで株価が崩壊し、結果、一介のドットコム会社はバタバタと倒産してしまいました。
 
 FRBによる金融引き締めの目的は、高騰を続ける株価をそのまま放置すると、80年代末の日本の二の舞になりかねないから、金利の引き上げによって株価を冷やすためだったと言われています。
■ITバブル崩壊後の金融政策が、アメリカの住宅バブルを生み、サブプライムローンを拡大させた
 ITバブル崩壊や2001年の同時多発テロを受けて、FRBは政策金利を1%にまで下げましたが、それらの悪影響が落ち着きを取り戻した後も、低金利政策を続けました。当時のFRB議長は、アラン・グリーンスパン。あのブラックマンデー(1987年)の時から議長を務めているという、金融界のドンです。
 
 グリーンスパンが続けた低金利政策が、市場にカネ余りの状態を作り出し、歴史的な住宅バブルを生む原因となりました。世の中が低金利であると高利回りの商品がよく売れるようになるのは自明の理です。サブプライムローンは高金利(=ハイリスク)であるために、それを含んでいる債券は必然と高利回りになり、人気を呼ぶことになったのです。
ITバブルの崩壊が、サブプライムローン問題につながっていたとは 初めて知りました どんなバブル経済も、単発で発生しているわけではなく、時々の経済状況や政治的状況、金貸しの戦略と密接に関連しているようですね 次回の記事では、サブプライムローン問題とリーマンショックについて確認した上で、バブル経済が生み出される構造と、その崩壊構造に迫りたいと思います。乞うご期待

List    投稿者 yagu70 | 2013-05-11 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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