2016-03-09

金貸し勢力のスパイの証言(23)~シュバイツァー博士”はドイツ軍のスパイだった!~

 

シュバイツァー博士 シュバイツァー病院

いよいよこのシリーズも最終回となりました。最後を飾る記事としても、この記事は衝撃的です。

ノーベル平和賞を受賞し、どの教科書にその献身的な治療行為が賞賛されているシュバイツァー博士が、実はドイツのスパイでフランスでの諜報活動と、シュバイツァー病院がドイツ資金移送の中継基地であったとのこと。

 

これまでこのシリーズで明らかにされてきた『裏の歴史』こそ真実で、みなが知っているほとんどの『表の歴史』は、金貸しによって悉く作られてきたということが、よく分かりました。

その意味でも、歴史教育とは、真実から眼を背ける洗脳教育に他ならないということで、もっと言うと教育そのものが洗脳と言っても過言ではないことを示唆しています。

以下、「伝説の秘密諜報員 べラスコ」(高橋五郎著)を基に転載紹介します。

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◆マザー・テレサやガンディーと並び称される“シュバイツァー博士”の正体

 

たとえばシュバイツァー博士(1875~1965)という言葉自体が、博士の主な仕事に関していえば幻想となり、戦争について述べるには似つかわしくない言葉に変化を遂げたのがそれだ。

 

我々としては、なすべきことはわかっており、我々がほぼ四半世紀のあいだに持ったシュバイツァー博士との限られた接触から知ったことを教えよう。

 

シュバイツァー博士は無関係なところからの帰依者なのだ。だからノーベル平和賞(1952年受賞)ではなくて、慈善賞を受けるのが相応しい人物だ。なぜならば、おそらく博士のダイナミックな気性からは決して平和など生じることはなかったからである。

 

シュバイツァー博士がラ・フランシスコ十字勲章を授かったというのに、ナチスに総出で協力したヴィシー政府のフランス人らが讃えられないのはなぜだろう。

 

我々がそんな疑問を小さな額縁の中でこうして説明するのは何も、キリストにさらに血を塗りたくるためではなくて、シュバイツァー博士の受難を明かしておきたいためだ。

とはいえこのテーマは、高次元における沈黙の有用性と同様に、理性的で聞く耳を持つ人々のために伝えておくべき価値あるテーマに違いあるまい。

 

我々には、自分のやり方が黒いミステリーを流布させる方法等と思ってほしくはない。私の意図は、本当の歴史を語ることにある。だが、念入りに施された「歴史」を崩すのは容易ではない。崩す目的は神のみぞ知ることだ。そして、これから紹介するシュバイツァー博士は歴史的人物だが胡散臭い人物ではない。まったくその逆なのだ。

 

助けを必要としていたハンセン病患者を愛し、その治療に表向きには専念したことで、世界を感動させた驚異的な人物に隠された秘密を公開するに過ぎない。

 

シュバイツァー博士は歴史の一こまの中でどのように翻訳されていたのか。

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人類学上でいう短頭症の人物アルベルト・シュバイツァーはドイツ人でアシュケナジー(ユダヤ)の父親(祖父母の一人はラビであった)の息子として、1875年にカイセルブルグで生まれた。

 

最初の職業は音楽研究家でフルートの修繕屋だが多弁な説教師でもあった。いざという局面ではとどまるところを知らず、大胆に変身してすべてを失うことも辞さない人物だった。

 

祖先に猟人をもつシュバイツァーはスイス、チロル地方のアルトリンで幼少時代を過ごした。さらに、初期のヴェールマハト(ドイツ軍)の諜報員として働いたのは32歳になってからだった。

 

当時のシュバイツァーは、パリで風変わりなボヘミアン生活を続けた。目的も義務もなく、そして女性を追うこともなく、ただ常連が集まる場を盛り上げるしか他にすることもなかった。ただ、彼の宗教であるルター主義の講義で近隣の町や村に出かけることはあった。

 

さて、秘密諜報員としての彼の仕事は、彼が得意とした神学的な振る舞いが役に立った。シュバイツァーはフランスの戦略最高機密部署になんなく潜り込んだ。

 

宣教師に贈られる世間の信頼を利用して情報を得たのだ。シュバイツァーは、道義心の前では限りなく勇敢であり続けた。あるときドイツ軍の隊長らのアドバイスでフランスに帰化したが、自身の神秘的な態度を少しも疑われることなくドイツ人として振る舞った。

 

シュバイツァーはきわめて貴重な情報を独自の理念で収集する異色の秘密諜報員だった。それにすでに備わったカリスマ性をよく心得ていた。また当時のフランスとの戦争をドイツは回避したかったこともあり、ヴェールマハトはシュバイツァーを、アフリカの赤道直下の大西洋沿岸にあるフランス植民地――ここでダカールおよびコンゴに置かれていた情報機関に協力する必要もあって――でもう一つの方法による情報業務を遂行するように配属された。

以上が初期のヴェールマハトに保管されていたプロファイリング(人物情査)のなかの「シュバイツァー博士」の正体だ。

 

◆世間に公開された物語とはまったく異なるシュバイツァーの生涯

1912年、シュバイツァーはフランス植民地ガボンに到着した。言うまでもないが、疑わしい歴史学者らが言うように、彼は赤道直下のアフリカに人道的使命を帯びて乗り込んだわけではない。残念ながらその逆なのだ。

 

アプヴェール(国防軍情報部)のデータはシュバイツァーのガボン行きの目的を明確に記録している。

シュバイツァーの生涯に関して我々が持っていたその記録は、世間に公開された物語とはまったく異なっている。

 

秘密諜報員が非常に重要度の高い仕事を任されるとき、あるいは仕事上での目標の人物が著名である場合は、担当諜報員の頭の中に徹底的に諸情報を詰め込むのが常識だ。

 

対象人物の性癖、行動様式、交友関係・・・何から何までそれらの詳細情報を詰め込む。相手に疑いを抱かせないために必要だと思われる事柄は入念かつ徹底的に備えてしまう。

 

話し方や身振り手振り、生活習慣上の些細な特徴まで、対象人物のすべてに完全に密着した完璧なポートレートをつくり上げる。

 

アプヴェールのカナリス長官は、マドリードで我々とそうした行動を取った。そしてその時点で私はロンドンへ戻るのをやめた。ロンドンではすでに一年半も必死で作業して疲労困憊していたこともやめた理由だった。

 

南米パタゴニア経由で北米にスパイを送る計画があった。その方針とも一致することから「アガルサ」と呼ばれる業務――その時点までこれに関する情報は我々には知らされていなかった――を遂行するためにもパタゴニアは絶対必要な足がかりだった。我々がスパイを北米およびカナダに潜伏させるフィルターにもなるものだった。

 

この新たな使命は、南極大陸にドイツの資金を保管する業務とも重なっていた。資金はアロサの入江近くにストックされた。それらの資金がめざすのはアロサ・ランバレネであり、そしてそこにはシュバイツァーが運営する病院の建設のために用意された建築資材や医療機器類――決してその梱包は解かれなかった――に混在させて資金を隠した。

 

カナリス長官は、シュバイツァーに関して徹底的かつ正確に知るよう、私に彼の生涯に関するあらゆる情報を渡してくれた。

 

三十五歳でガボンに到着したシュバイツァーは、リブレビル(地名)でプロテスタントの宣教師を名乗り、そこにヴェールマハトの業務を遂行するための仮の司令部を設けた。

 

シュバイツァーはいつものように、「ルター派の布教活動」を休むことなく開始し、より安全に通信できる場所を探し求めてジャングルの奥地にまでその活動範囲を広げた。

 

シュバイツァーは襲いかかってくる忌まわしい爪、つまり健康なガボン人にまでハンセン病を感染させようとする蚊や蠅の類――欧州人は、当時この恐るべき風土病に気がついていたとは思えなかった――との「格闘」が表向きの自身の業務になることに気付かされる。

 

ドイツは第一次大戦に敗北した。シュバイツァーはそのまま現地で待機した。ドイツからそのまま業務を遂行するよう指令があったからだ。

 

シュバイツァーはプロテスタント神学をこえる慈愛に満ちた戦略を考え出した。ハンセン病患者に目をつけたのだ。患者を調査して戦勝国フランス政府当局に調査報告書を提出した。

 

政府当局は植民地政策上、恰好の「宣伝事業」になるからとしてシュバイツァーの報告書を歓迎して利用した。シュバイツァーの狙いも的中した。

 

シュバイツァーはフランス政府にハンセン病患者の隔離計画を提案した。リブレビルの患者を密林の奥地に隔離することで、現地住民の健康を守るとする大義名分は通った。

 

そのための病院が必要になる。強烈な竜巻が地上の木々までさらって人間を寄せ付けない大陸での病院建設は画期的な試みだった。

 

隔離病院の建設場所はオコゲ川に浮かぶランバレネ島に決まった。フランス政府はシュバイツァーの計画通り百床のベッド――後年さらに増床した――や倉庫、医師や看護婦用の住宅など必要施設や医療器具を送り込んだ。

 

送られたものの中に信じられないものがあった。名誉医学博士の称号だった。フランス国民はパリという名の「天国」にいながら、灼熱地獄で活躍するルター派のシュバイツァーを慈愛に満ちた崇高な医療行為と称賛した。シュバイツァーのうしろめたい情報稼業はいっそう容易になった。避けられないハンセン病患者の死亡を合法的に証明するためにも、シュバイツァーを医学博士と呼ばせる称号授与が不可欠になっていた。

 

List    投稿者 tasog | 2016-03-09 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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