2012-08-25

近代市場の成立過程(16)〜金貸しが大国の凋落を企図した、フランス革命。

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バスティーユ牢獄襲撃

476年西ローマ帝国滅亡—。押し寄せてきたゲルマン人によって建国されたフランク王国も500年後に滅亡し、西と東に分裂し、西フランク王国はフランス、東フランク王国は神聖ローマ帝国( ≒ドイツ・オーストリア)に継承、両国は、「ローマ帝国の正統的後継者」を旗印として、西欧世界に名を成していきます。
ローマ帝国瓦解以降のヨーロッパ西地域における覇権争いの激しさは、各国がめまぐるしくくっついたり離れたりの連続で、一方の東ローマ帝国が1453年まで続いたのとは対照的です。
今回は、一方の「西欧の雄」として君臨したフランスを、その国家体制を大きく転換させ、一級の国家から単なる文化国家に脱落させる契機となったフランス革命について、革命前夜を中心にその背景と原因を考察していきます。応援よろしくお願いします☆

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●国際情勢

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近世ヨーロッパ(17世紀後半)はふたつの力でパワーバランスしていました。
1.大陸の覇権をめぐる抗争:ハプスブルグ家(オーストリア・スペイン)VSブルボン家(フランス)
2.海外植民地と海外貿易の覇権をめぐる抗争:ポルトガル・スペイン→オランダ・イギリス・フランスへ
●フランスにおける宗教改革
フランス王権下の宗教的立場は「ガリカニスム」という言葉で集約されます。それは、ローマ教皇の権威を尊重し、その威光を借りつつも、政治的にはローマ教会から独立し司教と僧院長の叙任権は国王の手に移行させる、という微妙で危うい立場です。これにより、フランス王権はカトリックを手離すことができず、宗教改革は不完全燃焼に終わり、旧体制が残り続けます。国王自ら、早々とプロテスタントに転換したイギリスやオランダとは、国家体制の整備、財政再建、交易力の強化、豊富な人材登用・・、あらゆる点で遅れをとっていきます。

ガリカニスム (仏 Gallicanisme) とは、フランスのカトリック教会のローマ教皇からの独立、教皇権の制限を求める政治的、宗教的立場のことをいい、教皇の権威を尊重しながらもその至上権については異議を唱えた。語源はガリア。具体的にはフランス王権による聖職者叙任権の完全掌握という形で現れることとなる。ガリカニスムの立場を明確に示したものとしてはルイ14世時代の1682年に発表されたボシュエ神父による「4ヵ条の宣言」が有名。その後、1905年の政教分離法などによってライシテの原則が支配的になるにつれて衰退していった。

ローマ帝国の正統的継承者を旗印としたブルボン王朝は、常に覇者であらんとするため、王直属の常備軍を編成し、あらゆる戦争に関わっていきます。戦費は激増する一方、宮廷社会は豪奢を極めていきます(→ベルサイユ宮殿)。
危機的状況の財政再建者として、国家が頼りにしたのは、一介の銀行家、そして自由主義者でした。
 
●財政の危機→金融改革大失敗

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■ジョン・ロー(1671−1729)

スコットランド出身の銀行家。ルイ14世治世末期にフランスに渡ったローは、1716年に個人銀行を設立、1718年にはそれが王立銀行へと改組されるなか、金融面から経済界改革を実現しようとした。彼は王位銀行を発券銀行として紙幣を発行することで、貨幣不足の解消と債務の返済を図り、そのままではインフレを招くので、市中に出回った紙幣をインド会社への株式投資を促すことで回収し、その資金で海外貿易を拡大しようとするものであった=「ローのシステム」。1719年末より熱狂的な株式投資ブームがおこり、インド会社の株価は額面が20倍以上になったが、数ヶ月でバブルは崩壊し、翌年5月末にはローはフランスを去った。この経済混乱の収束には5年以上を費やした。

■テュルゴ(1727−1781)

ルイ16世即位時、財務総監に任命された自由主義者テュルゴは1774年9月に穀物取引の完全自由化の王令を発布した。彼は価格統制などの規制を撤廃し、自由な取引により「適正価格」を実現することで、生産者の意欲を増大させて農業を振興させようとした。しかし、穀物の不作や価格上昇を見越した投機のために、翌年4月末より穀物価格が上昇し、「小麦粉戦争」と呼ばれる大規模な食糧暴動が各地で発生した。テュルゴは1776年5月、国王に罷免された。その思想はアダム・スミスに影響を与えたと言われている。

■ネッケル(1732−1804)

ジュネーヴの大銀行家。7年戦争後の東インド会社再建の際の投機で巨万の富を築いた。1776年財務総監就任。当時おこっていたアメリカ独立戦争の莫大な戦費を調達するために、宝くじ、終身年金の売り出しや、パリ市、聖職者会議、地方三部会を介しての間接的借り入れ、また自分の知名度を利用してオランダ、スイスなど外国銀行からの借入れなど、あらゆる手段で大規模な借金政策を展開した。東インド会社再建の銀行家的流儀でもって、国家財政をまかなったわけである。増税なしに戦費を調達するネッケルの手腕に、人気は高まり、公債売買でうるおうパリの投機業者はこれを歓迎した。

結局、財政破綻に瀕したルイ16世は、課税に反発した貴族たちの要請に従い、1789年、1614年以来開催されていなかった、全国三部会を召集します。そしてそこで配布された「第三身分とは何か”Qu’est-ce que le tiers-etat?”」というパンフレットは非常な反響を呼びました。
 
「第三身分とはなにか。すべてだ。いままではなんであったのか。なにものでもなかった。なにを求めているのか。なにものかになることを。」
 

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この小冊子は、下級聖職者に過ぎなかった作成者、シェイエスを一躍有名にしました。実態的には、第三身分内での階層差は大きく、最下層から社会的上昇を果たすには、作家、文筆家として言論や出版の世界で名を売り出すとか、弁護士として法曹界で活躍するというのが一番の早道でした。そのためには、時代の思潮となっていた啓蒙思想の担い手として注目されることが一番であり、ルソーは、その思想内容においてばかりでなく、経歴の点でもかれらの輝ける星だったのです。

第一身分:聖職者
第二身分:貴族
第三身分:平民(人口の95%)
     上層ブルジョワジー 金融業者、銀行家
     中流ブルジョワジー 国際的商業を営む大商人
     小ブルジョワジー 中規模商工業者
     その他

●エリートと非エリート
都市生活では、人口の増加や産業の変化による共同体の衰退を招き、人々の「社会的結合関係」が変化します。知的欲求を満たすものとしては、まずサロンがあり、18世紀前半〜後半にかけては女性が主催するサロンがパリで活況を呈し、大貴族や官僚、学者や芸術家が集まり、会話を楽しみ、新しい流行が発信され、学問や芸術、思想などの動向を左右するほどの影響力を持ちました。いわゆる啓蒙思想の発展も、それを支援したサロン抜きには考えられません。イギリスから流入したクラブフリーメーソンも新しい結合体で、ここでも貴族や上層ブルジョワや知識人が集まり、会話を楽しみました。このような新たな人間関係を作り出す人間のあり方は、エリート層を徐々に、近代的な「個人」に近づかせていきます。
これらは、王権の統制が及びにくい「自立的な公共空間」の形成を促進し、政治的事件についての議論がなされ、各地への伝播により「公共意見」つまり「公論(世論)」が形成されていくことになります。
このようにして、上流ブルジョワ=新エリートの仲間入りを果たしたのが、ルソー、ヴォルテール、モンテスキュー。スローガンは自由・平等・博愛でした。
それに対し、書籍組合がもつ独占的販売権になかなか参入できず、地下に潜らざるをえない下層の非エリート(アジテーター、スパイ、三文文士)は、ポルノグラフィのような「哲学書」や政権批判のパンフレットを書きまくります。旧体制への怒りに満ちたそれら地下出版された誹謗文書群がボディブローのようにフランス社会を揺さぶり、フランス革命およびその後の文化的状況に影響を与えていくことになります。後にロベスピエールの片腕として革命を扇動したサン・ジュストもそのようなひとりでした。
彼らの合言葉こそ、アンシャン・レジーム(旧体制)
  
●「アンシャン・レジーム」その出処

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しかし、どん底の非エリートたちに、革命を起こすまでの力があったのでしょうか?

フランスは17世紀から普仏戦争までの欧州大陸では軍事的にも経済的にも文化的にも最強の国家であり国際金融資本と一体化した大英帝国にとっては宿敵であった。豪華絢爛なブルボン朝の宮殿やフランス料理はフランスの偉大さの遺産である。その絶頂期は太陽王との別称をもつルイ14世であった。革命の起きたルイ16世の時代はフランスの繁栄は明らかに下り坂であった。しかし、国際金融資本にとっては絶対にフランスを倒さねばならない理由があったのである。それはマリーアントワネットとルイ16世の結婚である。
当時の欧州大陸でフランスに次ぐ大国であったオーストリアのハプスブルグ王朝は戦争ではなく婚姻によって平和的に領土を拡張してきた。このハプスブルグ家のマリーアントワネットとルイ16世の結婚は近い将来にオーストリアとフランスの二つの超大国が一体化することを意味したと思われる。これは国際金融資本にとって太陽王ルイ14世よりも遙かに大きな脅威であった。国際金融資本の拠点であった英国は欧州大陸での影響力を大きく失うことになる。更に重要なのは、フランスとオーストリアの統合によって欧州に平和が到達すれば戦争を作り出すことでボロ儲けしてきた国際金融資本は収益源を失ってしまうのだ。絶体絶命のピンチである。
国際金融資本はこのピンチを切り抜けるためにフランスの政治体制を「アンシャンレジーム」の名で悪とのレッテルを貼り、一般大衆を革命思想や金の力で扇動して革命に持ち込んだのである。そしてギロチンでの処刑によってマリーアントワネットとルイ16世の結婚による二つの超大国の統合を阻止したのだ。
国際情勢の分析と予測

冒頭で述べたように、ハプスブルグ家とブルボン王朝はいずれも「ローマ帝国の正統的後継者」。長年ライバルであったその両国の間に婚姻が成立することは「大ヨーロッパ帝国」の出現になりかねない。英国にとっても、国際金融資本にとっても2大国合併を叩き切ることは絶対の使命だったのです。そのための「アンシャン・レジーム」の流布・世論形成、そして革命家への金銭的支援。ルイとアントワネットが処刑され、目的を達成した後は、革命の立役者と映ったロベスピエールら理想主義者たちも用済みでした。
 
次回、ヨーロッパにおけるもう一方の雄である、ハプスブルグ家の興亡について敷衍していきます。
 
参考図書
柴田三千雄「フランス革命はなぜ起こったか」
ロバート・ダーントン「革命前夜の地下出版」
佐々木真「図説フランスの歴史」

List    投稿者 urara | 2012-08-25 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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