米国はどのように衰退してゆくのか?(8) 金融主義の末期・米国ドル崩壊への道 その3.世界をマネー経済に巻き込んでいった’80〜’90年代
前回記事では、ドルの金兌換を放棄したニクソン・ショック以降、米国がどのようにドルの基軸通貨を延命させ、通貨覇権を維持しようとしてきたかを扱いました。
ドルを世界中にばらまき、石油や国債を通じて米国に還流させる仕組みにより、世界中がドルを手放せないようにする仕組みで米国はドル基軸通貨体制を安定させてきました。しかし、このやり方は、20世紀を通じて米国自身の生産力を弱体化させ、さらには崩壊不可避の金融バブルに世界中を巻き込んでゆくことになります。
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●金融立国・金融覇権に舵を切った米国
プラザ合意で日本に圧力をかけて円高誘導しても、バブルの崩壊で日本にダメージを与えただけで、米国自身の赤字は一向に解決に向かわず生産力は下がる一方でした。
一方、’70年貧困の消滅以降、先進国では私権欠乏が衰弱し市場が縮小し、世界中で国債発行が急膨張してゆきました。
先進国は、すでに’70年頃に、私権社会から共認社会への根底的な転換点を迎えていた。私権欠乏が衰弱したことによって、市場は縮小してゆくしかなくなっていたのである。
しかし、この社会をリードする学者や官僚やマスコミや政治家=旧勢力は、この新しい状況の本質をまったく把握できず、「市場拡大は絶対」というイデオロギーに凝り固まって暴走してゆく。
彼らは、不足する需要を補うために、大量の国債を発行して、見せかけの市場拡大に血道をあげてきた。実際、元々ゼロだった国の借金は、’70年代から急速に増大してゆき、いまや1000兆円にも達しようとしている。
この、国家による1000兆円もの投入資金をGDPから差し引けば、経済は実質マイナス成長となる。つまり、上述したとおり、’70年豊かさの実現を以って、市場は縮小するしかなくなっていたのである。
にも関わらず、「市場主義」に凝り固まった統合階級は、ひたすら借金を膨らませることで資金を作り、それを市場に注入し続けてきた。
実現論 序4より
こうした借金経済の結果、世界中でマネーサプライが増加=カネ余りが常態化しました。そして、生産力の低下に歯止めがかからない米国と金貸しは、マネーを動かすことでマネーを稼ぐ金融覇権へと舵を切ったのです。
●デリバティブ・ヘッジファンド・・・世界中がマネー経済に突入
日本がバブルの後遺症に喘いでいた90年代後半、「外資」という言葉が国内でもよく聞かれるようになります。当時、「金融ビッグバン」と呼ばれた金融自由化で、リーマン・ブラザーズやメリルリンチといった外資系証券会社が日本に本格進出してきたからです。
米国が主導し、橋本内閣下で進められた金融ビッグバンで全面解禁されたものの一つが「デリバティブ」(金融派生商品)。デリバティブの特徴は、レバレッジ(てこ)と呼ばれる、少ない原資産を元手に借金を積み重ねることで、利幅を級数的に拡大するやり方。
例えば、顧客から預かった元本が
1000億円とします。
(1)これで1000億円の、価格変動がある国債や証券を買う。買った国
債や証券の、担保としての掛け目が90%なら、他の金融機関から900億
円を借りることができる。
(2)この900億円で、また国債や証券を買う。
(3)そしてそれを担保に810億円を借り、また買う。
こうした「レバレッジ」を繰り返せば、合計の運用額は、無限等比級
数の原理で、10倍になります。貸し手になるのは、世界の証券会社や
銀行です。
元本1000億円+810億円+729億円+648億円・・・・
=1000億円÷(1—0.9)=運用総額1兆円
上記の例のように、10%が担保の欠け目(担保掛け目90%)なら、最
初の元本1000億円を使うレバレッジによって、最大1兆円の運用を行う
ことができます。これがヘッジファンドの方法です。
ビジネス知識源より
デリバティブ理論は、既に’73年、シカゴ学派により構築されています。米国・金貸しは、ニクソン・ショックを起こした時にはもう、その後の金融覇権への移行準備を進めていたと思われます。
そして、デリバティブを武器に金融市場に登場したのが、「ヘッジファンド」という存在。彼らは巨額のマネーを動かしながら世界中の為替市場や株式市場で暴れ回り、92年のポンド危機、97年代のアジア通貨危機を引き起こします。
英ポンドを危機に陥れたソロスとロジャース
国債経済による金余りを背景に、株や為替や債券、これらを組み合わせた金融派生商品を取引するマネー経済に突入していきます。実物経済とマネー経済の取引量は、’80年には9:1だったのが、’00年には実に1:9に逆転します。これは、実体のない9割の投機資金が跋扈するバクチ経済にほかなりません。
●ITバブルから住宅バブルへ
膨れ上がったマネーは、グローバリズムの名のもとに世界中を駆け巡り、一国のバブルから世界的なバブル崩壊へ、リスクの次元をあげてゆきます。その綻びが顕在化した一つの事件が、インターネットバブルとその崩壊です。
通信関連銘柄が多いNASDAQのナスダック総合指数は1996年には1000前後で推移していたが、1999年には2000を突破し、2000年3月10日には絶頂の5048を示現した。同様の傾向は米国株式市場だけでなく、欧州・アジアや日本の株式市場でも見られた。このような中で株式を公開したベンチャー企業創業者は莫大な富を手にし、シリコンバレーを中心にベンチャー設立ブームに拍車をかけた。米国ではドットコム・ブーム、またはドットコム・バブルと呼ぶ。当時、米国の経済学者はこのような現象を「ニューエコノミー」としてもてはやしたが、その後、連邦準備制度理事会の利上げを契機に株価は急速に崩壊し、2001年9月11日のテロ事件もあって、2002年には1000台まで下落した。
NASDAQの株価推移
インターネットバブルの崩壊で米国は不況に陥り、さらに同時期に起きた同時多発テロを契機にイラク戦争への道を歩み始めます。
911〜イラク戦争の流れは、既に米国の自作自演であったことが明らかになっており、その原因は、イラクの石油利権とされていますが、もう一つ、フセイン大統領が、原油取引をドルからユーロへ切り換えようとしたためだと言われています。この頃から、ドル基軸通貨体制は次第に揺らぎ始めていたと言えそうです。
しかし、膨れ上がったマネーによるバクチ経済は、さらに騙しの粋を尽くした危険なバブルを米国内に生み出し、世界中を感染させてゆきます。それが、03年頃から始まった住宅バブルです。地価の値上がりを前提に、返済能力の極めて低い低所得者層を大量に巻き込んだ「サブプライム・ローン」、それを他の金融商品とミンチのように組み合わせて見かけのリスクをごまかしたMBSやCDOなどの金融派生商品、デフォルトリスクをもCDSという組み合わせ技で、米国でつくられたジャンク債券はAAA(トリプルA)の評価を得て、世界中にばら撒かれてゆきます。
地価が上昇しているうちはそのリスクが潜在していたサブプライム・ローンは、住宅バブルに陰りが見え始めた途端、世界中を金融不安に陥れ、マネー流動性を急収縮させ、遂には08年のリーマン・ショックを引き起こすことになります。
次回は、リーマン・ショックと、その後の米国金融界がどうなったかを扱います。
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