2015-10-20

金貸し勢力のスパイの証言(14)~ヒトラーはなぜ原爆を使用しなかったのか~

 

ヒトラー 原爆投下

ドイツはアメリカに先んじて原爆を完成させていた。それは、連合軍の本拠地:イギリスを攻撃するために造られた。

一方、アメリカはドイツに遅れて原爆を完成させた。それはドイツを攻撃するために造られた。

だが、ドイツの原爆はなぜかアメリカに渡り、アメリカ製原爆と共に、日本の攻撃に使用された。

しかも、米国国立公文書館でが史公開資料として一般公開された目標地点名を記した議事録では、投下位置はトラック諸島となっているが、実際は広島、長崎に変更されている。

また、1945年に自殺したとされている原爆の生みの親:ヒトラーは実はその後も生き続けていたというのだ。ヒトラーがなぜロンドン原爆爆撃を躊躇ったのか?また、なぜ、ナチス製原爆がアメリカに渡ったのか?その真相が徐々に明らかにされていきます。

 

以下、「伝説の秘密諜報員 べラスコ」(高橋五郎著)を基に転載紹介しています。

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◆ヒトラーはなぜ原爆を使用しなかったのか

 

ベラスコ家のソファーはスプリングが少しへたっていて座り心地が悪い。そのことが、かつてワインを浴びせられた出会いのときから気になっていた。

 

ボルマンがこのソファーで朝まで寝込んだと語ったコンチータの話から、さらにヒトラーが生存していたと聞かされてしまったことから、なおさら座り心地は悪くなった。どうやってボルマンの話を信じればよいのか。いたたまれない気分を転換するために話題を変えた。

 

ヒトラー敗北の最大原因をボルマンはどう結論付けていたのか、その点を私はベラスコに尋ねた。

 

幹部の人選を誤ったのだ。太鼓腹の豚野朗ゲーリングの能力を見抜けなかったことがヒトラー最大の失点だった。なぜなら1936年から39年までのドイツ軍に刃向える敵は欧州内に存在しないと進言したのがゲーリングで、ヒトラーはその言葉を信じて開戦を早めてしまった。

 

当時のドイツに実力不相応の戦争をさせたもう一人の人物は外相のリッペントロップだ。この人物の対英分析を信じたことも開戦の決定を早めさせてしまった。大英帝国民の気質や道徳観などを正確に分析もせずにヒトラーに伝えたリッペントロップの罪は重い。ヒトラーは多くの重大決定を見事に裁いたがアドバイザーを見分ける能力にはまるで欠けていたのだ。以上がボルマンが語ったドイツ帝国の敗因だった。とべラスコ。

 

はたしてそうだろうか。ボルマンが嘆いたナチス・ドイツの敗因はどう考えてもおかしい。なぜなら、ヒトラーは原爆の使用をためらったではないか。

「・・・・・・・・・」

ベラスコは、私の質問にしばし沈黙した。話題が妙な方向にそれたようだったが、私はかまわず追い打ちをかけた。

 

完成したナチス製原爆でなぜ連合軍を攻撃しなかったのか。戦争に勝っただろうに。それともナチス製原爆はなかったのか―――。

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「ナチス原爆完成説」は、ベラスコがアプヴェール(ドイツ国防軍情報部)長官のカナリスとSS情報部(RSHA)長官のシューレンベルグから直接耳打ちされていた情報だった。ナチス原爆はロンメル将軍麾下のシュバイデル参謀長が保管し、後にイスラエルの秘密工作員らの手で米国側(アイゼンハワー)に渡されたとベラスコが語ったその情報だ。ベラスコはその情報を根拠に、米国原爆の完成日と日本投下日までの微妙なズレをとらえて、日本投下原爆はナチス製だった疑いがあると私に語っていたではないか。ならばなぜヒトラーは原爆を使わなかったのか。

 

実は、ベラスコからナチス原爆の存在を聞かされて以降、私は、ベラスコを作家ファラゴーが評したスパイ像に重ねて信じてきた。私は追跡調査に走った。ひとまず私が得た結論は「クロ」だった。ドイツ原爆は存在したといえる「クロ」だが、それは物的証拠のない「クロ」、つまり、戦争を仕切った中心人物らの実像と人脈から推しはかったうえでの、いわゆる心証「クロ」でしかなかった。

 

しかし、追跡の仮定では現存する中東イスラエル元首相が登場してきたりで、追跡調査はスリリングの域を越え始めた。どうやらナチス原爆は存在した。原爆の存在を手玉に取ったのは戦争を主導したユダヤ系国際金融資本家らだった。それゆえに投下(核汚染)対象は非ユダヤ民族にかぎるという特異性(こだわり)が原爆にはつきまとった。私はナチス原爆が存在したと「100%」実感した。

 

ヒトラーは、なぜ目前の原爆を使わなかったのか。

 

「それは、リバプールとロンドンが投下目標地点だったが、ヒトラーが投下を禁じたからだ。これは、アプヴェールのオベイルベイルから聞いた」とべラスコは弱々しく答えた。

 

ヒトラーによる原爆投下禁止命令があったにせよ、それはボルマンが下したのではなかったのか。

「知らない」

そっけない返事が返ってきた。

 

ここで私は、米国政府の奇妙なエピソードを紹介してベラスコの感想を聞いてみた。

1943年5月5日、原爆投下目標地点を決定した政府の暫定委員会は、アメリカ製原爆がまだ未完成でしかもヒトラー・ドイツと戦っている最中であるにもかかわらず、なぜか早々と最初の原爆投下目標先を日本軍と決定した。戦後になって投下相手の日本と目標地点名を記した議事録が、米国国立公文書館で戦史公開資料として一般公開された。

 

それによると、最初の原爆投下目標地点は太平洋のトラック諸島、つまり日本軍と記されていた。

 

ところが、この決定には当時の原爆開発者たちの間から怒りの声が上がるという経緯があった。

 

ナチスドイツを負かすために日夜原爆製造と完成に励んだというのになぜ最初から日本軍に向けて原爆を使うのか?というユダヤ人科学者からの怒りだ。

 

ドイツから命がけで米国に駆けつけて原爆開発に粉骨砕身したのは、ヒトラーのナチズムを潰して、一日も早く祖国欧州の危機を救うため。だのにヒトラーが戦争を続けているというのに、関係のない日本に最初に投下するとは一体なんなのだ。ルーズヴェルト大統領の決定を資料で知った物理学者らは、戦後のアメリカ政府に断固抗議した。だが、政府は、無視した。

 

さらに米国政府は、一旦公開した議事録資料を回収して非公開にしてしまったのだ。むろん現在もその状態のままだ。どうしたわけか?

「アメリカ政府の回収は当然だ」

ベラスコの感想はただそれだけだった。ドイツが完成原爆を使わなかった理由は語られなかった。

List    投稿者 tasog | 2015-10-20 | Posted in 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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