【特集:デフォルト研究】(3)デフォルト事例(ロシア財政危機)
本エントリーで3回目となる【特集:デフォルト研究】
今回は、ロシアを扱います。
ロシアは1998年にデフォルトが実行されています。
1992年のソ連崩壊以降、ロシアでは慢性的な財政悪化が改善されず、長くインフレが続いていました。
実は、この財政を改善するために、1992年のロシア建国当初よりIMFが助言(直接介入)していました。しかし財政は長らく改善の兆しを見せないまま、1998年にデフォルトが実行されます。
どのようなプロセスでロシアがデフォルト宣言をするに至ったのか、その背景には何があったのか。
本エントリーでは、ここに注目していきたいと思います。
【特集:デフォルト研究】の過去記事は以下を参照願います。
(1)デフォルトの歴史
(2)日本の終戦直後
ブログの応援もよろしくお願いします。
1.ロシア通貨危機の概要
まずは92年以来の悪化財政からデフォルトに至る経緯を追います。
以下はいずれも2011年10月13日のエントリーより
・ハイパーインフレ1992年〜
【消費者物価のインフレ率推移(対前年比)】
1992年:2510% 26.10倍
1993年: 840% 9.40倍
1994年: 215% 3.15倍
1995年: 131% 2.31倍
1996年: 21% 1.21倍
1997年: 11% 1.11倍
1998年: 84% 1.84倍
1999年: 37% 1.37倍
2000年: 20% 1.21倍
※1992年の価格自由化と紙幣増刷によってハイパーインフレが起こる。物価上昇は1995年まで継続。いったんは鎮静化したが1998年の金融危機後に再び上昇。
1992年の2510%というのは、尋常ではないことがわかります。
・デノミ1998年1月
1992年から1995年までは毎年2倍以上の物価上昇が続き、ロシア誕生から4年間で物価は1800倍にも跳ね上がりました。今まで紙幣1枚で買えた日用品が、紙幣1800枚の札束を用意しないと買えなくなってしまったわけですから、その不自由さは想像に難しくありません。そこで、ロシアは1998年1月に新札を発行して、旧1000ルーブルを新1ルーブルと交換することにしてしまったのです。(デノミ+新札切替)
・デフォルト1998年8月
1998年8月17日、ロシア政府は対外債務の90日間支払停止を宣言し、事実上のデフォルト宣言となりました。これによりルーブルは急落。ロシア国民の中にはなけなしのお金を外国へ持ち出すものも現れ、さらにルーブルは下落しました。ロシア政府はこれ以上海外にお金が逃げないように預金封鎖を行い、貸し金庫の中に入っていたものも含めてすべて取り上げました。これにより、ルーブルで預金していた国民は完全に全財産を失いました。
2.IMFの介入が意味するもの
ロシアの財政悪化を改善するために、ロシア建国当初からIMFが直接介入をしていたのですが、実はIMF主導の緊縮財政が、デフォルトの原因だったのです。
2011年10月13日のエントリーより
1992年以降、IMFはロシアの経済の実体を顧みることなく、市場主義経済一辺倒の政策をとりました。
もともとロシアには、食料を自給できる農業と、生活必需品を生産できる基本的な産業力があったのに、IMFの極端な緊縮政策は投資を減退させ、企業の生産活動を停滞させました。1992年から5年間、GDPは連続のマイナス成長。1996年は1990年の6割にまで縮小。企業からの税の支払いは滞り、まさにIMFの緊縮政策が財政赤字を生み出したのです。
さらにロシア政府はこの財政赤字をカバーするため、IMFの助言を得て、1995年から高利の短期国債を発行するようになりました。そしてロシア政府は短期国債の償還のために短期国債の増発を重ねるはめになりました。
1998年7月にIMFはデフォルトの危機に陥っているロシアに対して226億ドルの支援をしましたが、それでは全く不十分でした。短期国債の償還期限が次々に訪れ、ロシアに対する不安が高まるにつれて金利は上昇し、IMFの融資から1ヶ月経たないうちに170%にまで暴騰しました。ただでさえ財政難のロシアがこの金利を払えるはずも無く、ロシア政府はもはや借金を返済することは不可能であると認めざるを得ませんでした
うがった見方をすれば、IMFはデフォルトを起こすために、あえて緊縮財政を敷いたと見ることもできます。その根拠となる記事を以下に紹介します。結論を言えば、IMFは欧米金融勢力の手先機関であるということです。
「るいネット」より
ロシアは、旧ソ連時代のチェルノブイリ原発事故を機に欧米勢力の傀儡であるゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を推進。その一環で推進されたグラスノスチ(情報公開)の結果、旧ソ連政府に原発事故の責任があるとされた。そこで課された莫大な賠償金が決定打となり、ソ連は崩壊。
その後、ロシアの初代大統領となったエリツィンが欧米金融のフロント機関であるIMF(国際通貨基金)の助言に従い、彼らのいう「ショック療法」を受け入れた。急激な市場経済の導入である。
そこで乗り込んできたアメリカ人経済学者たちが指示したのは、多数の国営企業の民営化である。その結果、国家財産が旧体制で権力の座に就いていたユダヤ系ロシア人の私物となり、新興財閥「オリガルヒ」が生まれ、彼らは欧米のプロスポーツチームを買収するほど世界有数の億万長者になった。彼らはルーブルの下落でも大儲けして、欧米勢の投資家とグルでロシアを食い物にし、ソ連崩壊後のロシア国民を貧困のどん底に叩き落としたのである。
●ステップⅠ:民営化
●ステップⅡ:資本の自由化
●ステップⅢ:市場原理にもとづいた価格決定
●ステップⅣ:自由貿易
(上記は引用者によって要約)
以上でIMF・世銀・WTOの本当の役割がよく分かる。欧米の銀行とアメリカ財務省のための組織で、簡単に言えば、欧米金融資本勢力の手先機関です。
彼らの手口は、アヘン戦争以来変わっていない。ただ、違うのは世界の合意の上にできた機関のように装っており、皆がそう思わされているだけである。彼らがマスコミを握っているから、真の姿は報道されないのだ。
IMFによる上記引用のステップⅠ〜Ⅳは、そのまま今回のロシアにも当てはまります。
3.ロシア通貨危機から見えるもの
ロシアは、1917年のロシア革命→ソ連建国の頃から、金貸しによる支配が始まっていたのです。
るいネットより
今日のソ連はアメリカの手で造られた。
この驚くべき結論を我々はただちに信じられるだろうか。
だがアントニー・サットンの行き過ぎなまでに学問的な研究は、その事を反論の余地なく明らかにしてしまった。
(中略)
1917年のロシア革命ははじまり、西側の資本と技術を継続的に導入しなければ成り立たない、非生産的な経済システムがロシアに作られる事になった。
そして彼らは革命政府を通じてロシアの富と人民を搾取し、彼らの脅威となるロシアの発展をコントロールする事に成功したのだ。
(中略)
既に、アメリカの連邦準備制度理事会=FRBと、外交問題評議会=CFRは60余年にわたって、彼らの衛星国ソビエトブロックの強化を目的とする政策を実行に移している。
現在、ソ連や中国の共産主義者に技術を譲渡し、援助を増やし、東西貿易を拡大するという一連の動きの先頭に立っているのはロックフェラーとその仲間たちだ。
そして彼らの全ての指揮をとっているのがデビット・ロックフェラーである。
※トロッキー、レーニン、スターリン・・・といった人物が政府転覆を狙っていることを、帝政ロシア政府は把握していた。そんな中で、彼らはどうやってロシアに戻れたのか。ドイツ秘密警察のトップ、マックス・ワールブルグが活動資金として金塊500万ドル分をレーニンに与え、ボルシェビキ党革命家159人とともに封印列車に乗せ、ロシア国境を越えさせた。このマックスの弟パウルは、アメリカ連邦準備制度の創始者であり、初代会長である。
※もう一つ注目すべきは、ボルシェビキ革命家のうち半分以上はユダヤ人だった。二,三十人いた指導者の四分の三がユダヤ人だった。
※結局、この間の狂気のせいで、10年という短い期間に死亡したロシア人は、7500万人に上る。
※1924年に後を継いだ、スターリンは密かにロックフェラーとつながっていた。ここからその後、ソ連のスパイが米国務省やIMFへと侵入し、原爆技術移転などを行い、ソ連を強化し東西冷戦を演出していった。
4.まとめ:金貸しによるデフォルトスキーム
以上、ロシア通貨危機を見てきましたが、このデフォルト劇、作為的な匂いを感じずにはいられません。
まずは、2510%にも及ぶハイパーインフレです。IMFが当初から介入していたにも関わらず、このような事態を招いていること。
二つ目は、そのIMFが、そもそも怪しいということ。要は金貸しの手先機関であるということです。
るいネットより
そこで登場したのが金融・産業グループという発想だった。これは、アメリカのJ.P.モルガン協会やチェースマンハッタン銀行などをモデルにしたもので、国家主導で金融資本を形成し、投資計画を実行するというものだった。
要するに、黙って待っていてもだれもロシアの企業に投資してくれないので、生産能力の低下と資本不足の問題を解決するため、国が保証人になって諸外国から金融資本を集め、それを産業グループごとに割り当てようとしたわけである。しかし、ここには大きな落とし穴があった。
(中略)
そもそも諸外国から金融資本を集めるために、政府が保証人になって高利の債券を売りさばくという手法は、かつて、メキシコを中心とした中南米諸国が手がけたものであるが、九四年のメキシコの金融危機では、短期資本の急激な撤退が状況悪化の一因として指摘されていた。
つまり、メキシコの場合、NAFTAによる市場統合と資本の自由化が、短期資本のメキシコ流入と撤退の道を開き、結果として同国の通貨危機に拍車をかけたわけである。この教訓が、今回のロシア金融危機にまったく反映されていないのはあきれるばかりである。そして、ロシア金融政策の管理をするはずのIMFが、あえて短期資本導入のために市場開放を進めたことは、確信犯に近い行為ではないか。
緊縮財政を敷いておきながら、高金利国債を発行しているという矛盾。金融の特化機関であるIMFが、この矛盾に気づかないはずがありません。
分っていて、なぜこのような政策を取ったのか。それはデフォルトを起こすためです。デフォルトになれば、ロシアはIMFの管理下に置かれる(それまでは「助言」どまり)ことになり、そうすれば文字通り金貸しの都合の良いようにロシア国内の産業を支配することが可能になるからです。
事実、上記引用のオルガルヒをはじめ、デフォルトでルーブルが急落した最中に、ロシアの石油会社が買収されるなど、石油利権が欧米の手に落ちるなど、ロシアは金貸しの食い物にされたのです。
三つ目は、ソ連建国から現在に至るまでの金貸し勢力下にあったロシアの歴史です。
米ソ冷戦の時代は軍需拡大、そして軍需拡大が陰りを見せると、ソ連崩壊によって派生した内戦で軍需を生き永らえさせ、同時にロシアを市場化させ自由経済の急速拡大を企てる。
時代の変遷とともに、支配の手口を変えられながら、ロシアは常に金貸しの支配下にあったと見ることが出来ます。
このような歴史的背景から現在のロシアでは、プーチンが反金貸しの行動を起こしています。
同じく、るいネットより
これに怒ったプーチンはユダヤ勢力に従うフリをして大統領の座を手入れると、態度を一変、それまで好き勝手にしていたオリガルヒを詐欺、脱税容疑で逮捕するなど追い出しにかかった。さらにプーチンは、欧米金融勢力とオリガルヒに乗っ取られていたメディアも掌握したのである。ロシア・トゥデイだけでなくロシアの報道機関が、アンチ・欧米金融権力として真実の報道をする姿勢にはこのような背景がある。
(中略)
プーチンは「テロとの戦いも必要だが、合法的な手段でするべき」とアメリカのやり方が行き過ぎであることを穏やかに指摘している。
以上、ロシア通貨危機をめぐる背景を探った上で、デフォルトが金貸し達の手によるものではないか、との仮説を提示してみました。
次回はアルゼンチンの事例を扱います。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kanekashi.com/blog/2013/11/2072.html/trackback