2012-05-24

米国はどのように衰退してゆくのか?(2)〜アメリカ通史〜

08年世界金融危機以降、米国覇権の凋落は明らかとなりましたが、現在のところ、その崩壊は緩慢に進んでいるように見えます。

マスコミから米国の情勢は殆ど発信されず、せいぜい大統領選の推移が時おり流れる程度で政治・経済的に大きなニュースはありません。その一方で、ネット上では、米軍やCIAの分裂、州の独立、旧支配階級の一斉逮捕など、驚くべき事態の急展開を伝える記事が増えています。米国内は一体どうなっているのか、状況が読みにくくなっています。本シリーズでは、衰退の途にある覇権国家アメリカを改めて扱ってみたいと思います。

前回のプロローグをうけて、今回は「アメリカの過去〜現在〜未来」を貫通して見てゆく視点を持つために、まず米国400年の通史 を俯瞰的に整理してみたいと思います。
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アメリカという名は、フィレンツェ共和国の探検家アメリゴ・ヴェスプッチに由来します。1497年〜1504年の間に、4度にわたって新大陸へ航海しました。コロンブスを始めとするヨーロッパ人がアメリカ大陸を東アジアであると考えたのに対し、ヴェスプッチはアジアとは別の大陸、すなわち(ヨーロッパから見て)新大陸であると主張したのです。
そしてこの事実が確認され、また、商人であり自己アピールに長けた彼のラテン語名アメリクス・ウェスプキウス (Americus Vespucius) の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付けられました。

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  <写真:アメリゴ・ヴェスプッチ>

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◆植民地時代

アメリカ発見前の先住民の分布

独立前のアメリカ各地の宗主国

当時アメリカの先住民は、イタリアのジェノバ出身の探検家クリストファ・コロンブス(ハプスブルク家の支援で旅に出た)によって、インディアンという名称を付けられました。

インディアンは、その後ヨーロッパから毛皮市場を求めて渡ってきた人々に野蛮人と見なされ、次第に敵対心を抱くようになり、15世紀末からインディアン達の土地や家は次々と白人達に奪われていきました。先住民がだんだん駆逐され、白人の開拓地が広がっていきました。 当初200万人ものインディアンは、最終的に100万人にまで減らされました。こうして、西ヨーロッパのしきたりが浸透していきました。
植民地時代のアメリカ大陸は、イギリス・フランス・スペインに占領された時代でした。

◆独立戦争

独立戦争を戦った13州

1773年12月、植民地人(イギリス人)は1万ポンドに相当する茶をボストン港の海中に投げ捨てた「ボストン茶会事件」が起きました。本国(英国)の法律、茶税の徴収のやり方が反感を買ったことが原因でした。

そして1775年、植民地人とイギリス軍の間で武力衝突が起こり、イギリス本国と北アメリカ植民地との8年間におよぶ独立戦争の火蓋が切られたのです。遥か遠くに本国のあるイギリス軍にしてみれば13州におよぶ植民地軍の勢力は凄まじく、イギリス軍隊が栄光に輝くことはありませんでした。1776年、イギリス軍がボストンから撤退し、その年に13州の独立がフィラデルフィアで決定しました。

◆領土拡大

西へ南へ領土拡大

1783年から1803年までの20年間に、アメリカの領土は驚くべき勢いで拡大することになりました。アパラチア山脈とミシシッピ川(さらに極西部地域)の間にある魅惑的な領地へと、人びとは入っていった。イギリスから独立したアメリカは、1763年にイギリスがフランスから奪った地域をそのまま引き継ぎました。

1803年と1850年の間、メキシコ戦争でメキシコを占領し、1850年には最西端のカリフォルニアも占領しました。そして、アメリカの大きさは、事実上3倍となりました。
その3年後、日本にアメリカ艦隊のペリーが現れました(黒船来航)。

◆海外領土拡張

南北戦争

1861年から1865年まで続いた南北戦争は、ワーテルローから第1次世界大戦までの間に西欧社会で起こった紛争の中で最大のものだった。またアメリカが行った戦争の中で最も死者が多く、その数は62万人にものぼります。

その後、アメリカは太平洋海域にまで侵略の手を広げました。中国は各国から商業的、政治的関心の的とされており、1900年に中国で起こった義和団を制圧しようとするヨーロッパ列強には合衆国も加わりました。合衆国の強大な太平洋艦隊が作られたのがこの頃です。

1907年から1909年にかけて「偉大なる白い艦隊」を世界に巡航させてその存在を誇示したのです。

更にアメリカはカリブ海にも目をつけていました。自国の貿易にとっての自由な出入りと、必要物資の補給を望んでいたのです。そのため、合衆国政府はカリブ海地域になにかというとすぐに干渉し、政治的な事件のときはたいてい平和的に、また事態が悪化するようにみえるときには武力で交渉をしました。アメリカは力強さを常々示し、領土を拡張していったのです。

◆世界一の超大国となったアメリカ

日本との太平洋戦争

戦後アジアは、イギリス軍の支援を受けたアメリカ軍によりほぼ征服されていました。ソ連は、朝鮮の半分と満州の大部分を占領しただけだったため、アジアでの和平取り決めに対する発言権はほとんどありませんでした。アメリカは、ソ連を有名無実の極東委員会の一員と認めてきたが、きわめて重要な占領地域である日本での権限は、とるに足らぬものでした。占領を統括したダグラス・マッカーサー将軍は、極東委員会を実際上無視して、当座の命令をくだす権限を与えられていました。東京のマッカーサー司令部(GHQ:General Headquartersの略)は、1951年のサンフランシスコ会議まで日本を支配しました。同会議は、戦時中、日本に敵対して連合した国々の政府によって調印された条約を作成しました。
その後、日本にGHQがおかれ、経済力・軍事力において世界一となったアメリカの管理下におかる ことになりました。

◆まとめ

以上、一連のアメリカ通史を辿ってきましたが、「いかにアメリカが多くの侵略を繰り返し、西へと領土を広めてきたか」 ということがよく解りました。
日本もアメリカに侵略された植民地のようなものです。

このアメリカの侵略を支えてきた最大の力は、ペリー艦隊以来の世界一の軍事力だといえます。そこで、次回からは、アメリカ軍の歴史・組織構造・現状を見ていきたいと思います。

List    投稿者 kuwamura | 2012-05-24 | Posted in 07.新・世界秩序とは?No Comments » 

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