2012-07-24

米国はどのように衰退してゆくのか?(9)金融主義の末期・米国ドル崩壊への道 その4.リーマン・ショックとその後の世界

前回記事では、不換紙幣となった基軸通貨ドルを維持する代償に生産力を失っていった米国が、’80〜’90年代に金融立国へと舵を切り、その結果、世界中がデリバティブ商品にまみれ、ヘッジファンドに翻弄されるバクチ経済に巻き込まれてゆく過程を扱いました。
 
膨れ上がったマネーは、2001年にアメリカ自身のITバブルを崩壊させますが、それに懲りずに住宅バブルが膨らんでいきます。MBSやCDSなどの金融商品によって世界中にばら撒かれたクズ債券=サブプライムローンは、2007年7月の欧州BNPパリバ傘下のファンド凍結などを契機に、次第に世界中に金融不安を拡げてゆき、遂に2008年、巨大金融機関のドミノ倒しが起こります。

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●世界金融危機の経過
米国のサブプライム・ローン問題に端を発する2007年〜の世界金融危機がどのような経過をたどったか、主な出来事を簡単に整理します。

2007年
アメリカで住宅価格の下落が始まる。
8月 仏BNPパリバ傘下のファンドが資産凍結。
   サブプライムローン問題がクローズアップされる。
10月 NYダウ史上最高14,164.53ドル。
2008年
5月 JPモルガン・チェースがベア・スターンズを救済合併。
9月 米政府系金融機関(GSE)のフレディマックとファニーメイが米政府管理下に
   (MBS残高計5兆ドル)。
   リーマン・ブラザーズが連邦倒産法第11章適用を申請し破綻(負債総額65兆円)
   バンク・オブ・アメリカがメリルリンチを救済合併。
   世界最大の保険会社AIG破綻。米政府が事実上の国有化。
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   ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーが銀行持株会社に移行。
   ワシントン・ミューチュアルが破綻。JPモルガン・チェースが事業買収。
   NYダウが史上最大の777ドル安となる。
10月 緊急経済安定化法が可決。
   米政府は7000億ドルの公的資金を投入して不良資産を買い取ることを決定。
   カリフォルニア州財政危機表面化。
   アイスランド政府が同国の全金融機関を事実上国有化。
   1ドル99円台に。
   ECBが過去最大規模の10兆円の資金緊急供給。
   三菱UFJグループがモルガン・スタンレーに90億ドル出資。
   米国財政赤字が過去最大の4550億ドル。
11月 アメリカ大統領選挙で民主党のバラク・オバマが当選。
12月 バーナード・L・マドフ(ナスダック元会長)、巨額投資詐欺の容疑で逮捕。
2009年
4月 クライスラーが連邦倒産法第11章適用を申請。
6月 GMが連邦倒産法第11章の適用を申請し、経営破綻。
11月 ドバイ・ショック
2010年
11月 ギリシャ危機

 
この世界金融危機で、世界はどう変わっていったのでしょうか。
●「投資銀行」の消滅
マネー経済全盛の90年代〜00年代にはウォール街の象徴でありグローバリズムの象徴だった「投資銀行」が、リーマンショック後にはほとんど消失します。

【主要米投資銀行 → リーマンショック後】
メリルリンチ       バンク・オブ・アメリカが買収
ベア・スターンズ     JPモルガン・チェースが買収
リーマン・ブラザーズ   倒産
モルガン・スタンレー   銀行持株会社に移行
ゴールドマン・サックス  同上

「銀行持株会社への移行」とは、FRBの監督下で自己資本規制の縛りがかかり、従来のレバレッジを効かせた投機行為が厳しく制限されることを意味します。ゴールドマン・サックスだけはその後も、AIG救済に投入された公的資金で利益を得たり、デフォルト危機を招いたギリシャ国債の“飛ばし”を仕組んだりと、いまだに暗躍を続けていますが、世界共認は次第にこうした金融バクチを規制する方向に進みつつあります。
●金融危機から国家債務危機へ
信用不安によるマネーの急収縮は、デリバティブで荒稼ぎしていた投資銀行やヘッジファンド、保険会社に容赦なく襲い掛かり、民間金融機関は自力ではどうしようもないほどの巨額損失を抱え込む事態まで至ります。FRBは何度も金融緩和を行い、中央銀行自身が金融機関の抱える不良債権を直接買い取る羽目に陥ります。
 
さらに、金融機関の救済や経済対策のための米政府は大量の国債発行を余儀なくされますが、買い手がつかず、これもFRBが紙幣を発行して直接引き受けざるを得ない事態になります。その結果、FRBの見かけの資産額は、リーマンショック前の3倍まで膨れ上がります。その大半は価値のない紙クズ証券です。

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07年〜12年6月のFRB資産の変化

 
●G7の世界からG20の世界へ
BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国)など新興国の台頭を受けて1999年に立ち上がったG20(20か国・地域財務大臣・中央銀行総裁会議)。リーマン・ショック後、金融危機の原因をつくり、世界中を危機に陥れたG7先進国には世界経済を任せておけないという空気が世界世論を占めてゆきます。
 
 
2009年米国で開催されたG20は「G20を国際経済協力の第一の協議体」とすることで合意。戦後の世界経済運営の枠組みが大きく変わってゆきます。
 
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●ドル基軸通貨体制崩壊の始まり
2007年には120円だった円ドル相場は、2008年10月に100円を切り、その後も下がり続けてゆきます。2011年10月には戦後最安値の75.32円をつけ、現在は78円前後を推移。円の価値は4年で1.5倍に上昇、逆にドルの価値は4年で2/3に低下したことになります。
金融危機後の円ドル相場

 
戦後、金兌換という後ろ盾を失っても基軸通貨の座を守り続けてきたドルという通貨は、米国の急速な衰退、バクチ金融の信用失墜と歩を合わせて、確実にその地位から滑り落ち始めました。それは、1913年の連邦準備制度創設以来、米国内に巣食い、世界を操ってきた金貸し勢力の支配力の凋落をも意味しています。
 
次回は、この、金融危機以降加速したドル離れの動きを取り上げます。

List    投稿者 s.tanaka | 2012-07-24 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨, 07.新・世界秩序とは?No Comments » 

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