脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(12)イスラム経済(ムハンマド・バーキルッ=サドル)
現代は市場原理に基づく経済システムが実体経済から遊離(バブル化)して、経済の崩壊の危機に陥っています。この経済システムに、過去〜現在に至るまで異議を唱えてきた経済理論家たちがいます。このシリーズではそれらの理論家の思想や学説を改めて見つめなおし、次代の経済システムのヒントを見つけていきたいと思います。
前回は貧困問題を社会に本当に必要な事業を提示することによって解決してきたムハマド・ユヌス氏を取り上げました。
脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(11)ムハマド・ユヌス
今回は崩壊間近のバクチ経済を横目に拡大しつつある無利子銀行で有名なイスラム経済を、体系化した第一人者であるムハンマド・バーキルッ=サドル氏の『イスラーム経済論』からの引用を中心にご紹介します。
(ムハンマド・バーキルッ=サドル氏(左)とその著書「iイスラーム経済論」(右))
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まずは『イスラーム経済論』の著者であるサドル氏の人物像と、当時のイラクの状況をおさえていきます。
◆人物紹介
ムハンマド・バーキルッ=サドルは、1935年にイラクのバグダッドで3人兄弟(兄・妹がいる)の次男として生まれました。サドルの家系は代々学問で生業を立てており父親(ハイダル)も有名な学者でしたが、1937年に父親が他界したため同じく学者家系の母方の伯父(ムルタダー)の手厚い保護を受けながらサドルは育ちます。
1945年にシーア派の聖地であり、学問の府であるナジャフに移住します。サドルの才能は驚くべきものがあり、10歳のときにイスラム史の講義を始め、11歳で論理学の勉強を開始し、1960年代前半には「イスラーム哲学」というベストセラーを出版し、20代にして学者としての地位を確立しています。その他にもイスラム経済をはじめ、法学、論理学、政治学、社会学と極めて幅広い学術的成果を残したサドルですが、その学問的本領は法学の分野にあります。
イスラム世界では政教が分かれることがなく、精神的であると同時に社会的な教えである独自の法「シャーリア」を持っています。この法は宗教儀礼についてばかりではなく、現実生活の様々な側面も規定しています。そのため広く信徒たちの社会的な問題に責任を持ち、その維持、矯正に努める指導者となるためには、まず優れた法学者(シャーリアの理解者)でなければならないのがイスラム世界の特質です。
当時のイラクは豊富な石油資源を保有していたため、市場拡大⇒世界覇権を狙う各国の争いに巻き込まれていました。第二次世界大戦後にはこれまでのイギリス支配に替わり、米・ソ(資本主義・共産主義)が支配力を増してきます。大戦直後には米国はイラクを反共の砦(親米)に仕立て上げますが、1958年には君主制が廃止されて共和制となりイラクはソ連との緊密な国交(親ソ)を開始します。しかし、1979年になるとアメリカがフセインを後押しして、新政権(親米)を樹立します。
欧米・ソ連(資本主義・共産主義)に翻弄される状況下のイラクで、サドルはイスラム思想、経済、社会、法学などを体系化し、真のイスラム国家の樹立を目指します。サドルはイスラム教シーア派の指導者として活動し、1957年にイスラム政党であるダアワ党の創設に深く関わり、1979年にはイラン革命によって、イランでサドルの経済論が取り入れられます。しかし、翌年にサドルの大衆動員力を恐れたイラクのフセイン政権(敵対するバース党)によって秘密裏に処刑され、45年という短い生涯を閉じています。
ここからは欧米・ソ連(資本主義・共産主義)に対抗すべく、サドル氏が体系化したイスラム経済を追いかけていきます。
◆経済問題とは何か?
サドル氏はイスラーム(≒イスラム教)の経済(問題)の捉え方は、資本主義や共産主義(マルクス主義)と異なると主張しています。
資本主義の分析では、人間の欲望は無限であり、必要とされる自然資源の不足が経済問題を生じさせるとし、共産主義の分析では、工業生産などの生産方式によって生じる配分関係の不平等(資本家階級の労働者階級への搾取)が経済問題を引き起こすとしています。
経済の領域におけるさまざまな思想的潮流は、経済生活における問題が矯正されるべきものであるという点では一致している。しかし、この問題の本性がいかなるものか、またその矯正のためにはいかなる一般的方法があるかについては見解を異にしている。
資本主義は、基本的な経済問題が、自然に限りがあるため天然資源が相対的に不足することにあるとしている。人間は自分たちの住む土地の量も、土地の生み出すさまざまな天然資源の量も増やすことはできない。だが文明の発達の、繁栄に伴なって、人間が生活するための必需品の量は絶えず増大しているのである。その結果自然は各個人に必需品を十分に提供することができなくなってしまった。そのために人間の間に自らの必要を満たすための競争が生じ、かくてここから経済問題が発生したというわけである。つまり資本主義的見解によれば、天然資源は文明にはついていけず、文明の発展に伴なって新たに生ずる必要や欲求のすべてを満足させることはできないのである。
他方マルクス主義は、経済問題が、常に生産様式と配分関係との間の矛盾であると考える。両者の間に調和が達成されれば、生産様式と配分関係の調和からいかなる種類の社会体制がもたらされるにしても、経済生活の安定が得られるというのである。
※『イスラーム経済論』から引用(以下の引用も同様)
一方でイスラームは、経済問題を自然資源や生産様式の問題ではなく、人間自身の問題と捉えています。アッラー(神)は人間に必要な自然資源を十分に与えており、その資源を活かし切れていない人間の不正と忘恩に問題があるとしています。
イスラームは、経済問題とは自然の問題、つまり天然資源の不足であるとする資本主義と立場を異にしている。なぜならばイスラームは、それを十分に提供しえぬ場合人間生活に深刻な問題をひき起こすような生活必需品を、自然がすべて提供しうると考えるからである。
さらにイスラームは、マルクス主義の主張するように、問題が生産様式と配分関係との間の矛盾であるとは考えていない。要するに問題は、なにはさておき人間それ自身の問題であって、自然とか生産様式のそれではないのである。
このことは、以下のクルアーン(コーランのこと※引用者追加)の数節でイスラームが主張しているところである。
「アッラーこそは、天と地を創造し、空から水を下してはさまざまな果実をみのらせて、お前たちの養いとなし給うお方。またお前たちのために船を役立たせ、御言を奉じて海上を走るようにして下さったのも、お前たちのために河川を役立たせ、また太陽と月を役立たせて、常にかわらぬ路を辿るようにして下さったのも、またお前たちのために夜と昼とを役立たせたり、欲しいというものはなんでも恵んで下さるのも、みんな(アッラー)であるぞ。お前たち、もしアッラーのお恵みを数え上げようとしても、とても数えきれるものではない。まことに人間というものはなんと性悪の恩知らずであることか」(第14章33-35節)
(クルアーン(コーラン))
この一節は以下の点を明らかにしている。すなわちアッラーは、この広大な現世に人間にとって有益なものでをすべて授けられ、人間にその生活とその物質的必要をささえるために十分な天然資源を与えられた。しかるに人間は、己の不正と忘恩−人間とはなんと性悪で恩知らずであろうか−によって、アッラーが授け給うた機会を自ら失なってしまった。つまり、人間の実生活における不正と、神の恵みに対する忘恩こそが、人間生活における経済問題の基本的な原因なのである。
経済面における人間の不正は、不正な配分に表面化し、忘恩は自然の活用を怠ること、自然に対する否定的な態度に表われている。配分に関する社会関係の不正が除去され、自然の活用のために人間の能力が十分に発揮されれば、経済面における現実の問題はなくなるのである。
◆イスラーム総体としての経済
イスラム経済の特徴としては、利子をとらない金融であると通常言われています。しかし、サドル氏はイスラム経済とはイスラームそのものであり、イスラム経済を理解するには、経済だけ(利子の禁止(無利子銀行)など)を部分的に捉えても全く意味がなく、イスラームそのものへの理解が必要であると忠告しています。
イスラーム経済を検討するにあたり、その細部の一々だけをとりあげるといった方法は適当ではない。利子の禁止、私的所有の容認等に関するイスラームの見解の検討といった、全般的構想の中での他の諸部分から切り離された個別的研究は有効ではない。またイスラーム経済の総体を、この教えの他の側面、つまり社会的、政治的等の側面から切り離し、それらの諸側面が持つ相互関連性を無視して、まったく個別の独立した体系としてとりあげることも当を得ていない。イスラーム経済は、社会内部の生活のさまざまな側面を律する、イスラームの普遍的な形態の中で捉えられなければならないのである。
経済が他の社会関係と切り離せないという主張は、欧米の経済とは決定的に違います。
ではイスラームを理解する上で、重要な認識とは如何なるものでしょうか?ここでその核となるイスラームの基本的な形を学んでいきたいと思います。
◆イスラームの三極構造〜タウヒード・シャーリア・ウンマ〜
イスラーム経済においても重要なのは、<イスラームの三極構造>である。これに関する正確な認識がない限り、イスラームに関する事柄はなに一つ完全に理解することが不可能であろう。イスラームにおいては、基本的な世界観である<タウヒード>、イスラームの法<シャーリア>、それに独自の共同体観<ウンマ>の三つの極が、相寄って一つの独自の磁場を形成する。そこに窺われる諸特性は、イスラーム世界のさまざまな文化、社会的領域に現われてそこに顕著な刻印を記すのである。
三極構造の第一の極のタウヒードである。これまでタウヒードは、保守的、退嬰的な学者たちにより、<神の唯一性>という観点からのみ論じられてきた。しかしイスラームを精神的宗教に局限するこの影響は、本来のイスラームに照らしても、アラビア語に即しても誤っている。タウヒードとは、正確には<一に化すこと(ひとつにかすこと)>の意であり、これは原義の通り<一化>と理解され、宇宙の万象を理解するさいの独特な観法という、本来の地位が与えられなければならない。それに従えばもちろん絶対者である神は一であるが、同時に唯一なるものに発しているこの世の存在者は、すべて差異的であるが、等位にあり、しかも互いに断ち難い緊密な関係性の中におかれていることになる。この世の万象は、一つとして同じものはない。しかしそれらは存在の資格において、すべて同一の地位にあり、さらにすべての他者と一つに関係づけられている。差異性、等位性、関係性は、タウヒードを成立させる三つの基本的な項目なのである。それはこれらのどの一つを欠いても、成就され得ない。
この種のあり様を実現するために、公私にわたって法的な規定を与えているのが、第二の極、シャーリアである。またタウヒード、シャーリアの意図するものを、政治、経済、社会生活に具体化するような共同体が、第三の極であるウンマに他ならない。これらの三つの極は相寄って、それが実現を意図するものを具体的な社会に実現するための、基本構造を形成する。
※『イスラーム経済論』より引用。(この部分は日本語訳者である黒田氏の補足説明)
(イスラームの聖地メッカの巡礼)
イスラームの基本的な形は、「タウヒード」「シャーリア」「ウンマ」からなるイスラームの三極構造です。この三極について、理解を深めるために補足をしていきます。
タウヒードとは、「一化」というイスラームの世界観を示しています。世界には一つとして同じものはないが(差異性)、唯一の神アッラーが作り出した同一の存在として(等位性)、他者と一つに関係付けられています(関係性)。つまり、唯一の神アッラーを始まりとして森羅万象が一つであるとする世界観です。
シャーリアとは、イスラームの普遍的な規範(=法)を示しています。コーランは神への絶対的な帰依と服従を示しているのに対し、シャーリアはこの道へと辿るように定めたイスラム信徒の正しい生き方や行為に関する規範です。この規範は、宗教規範(浄め、懺悔、礼拝、喜捨、断食、巡礼、葬制など)と法的規範(婚姻、離婚、親子関係、相続、契約、売買、非イスラム教徒の権利と義務、訴訟、裁判、犯罪、刑罰、戦争)の大きく2つに分かれ、生活の指針を明確にしながらイスラームの実現を目指しています。
ウンマとは、イスラム共同体(集団)を示しています。イスラム教の預言者であるムハンマドによってイスラームに忠実な生活共同体(ウンマの原初形態)が作り上げられ、やがて拡大して諸民族の共同体の枠を超え、あらゆる民族を包含するイスラム信徒の共同体(集団)としてウンマは存在しています。
つまり、イスラームを実現するための世界観(統合)=タウヒード、生活の指針=シャーリア、集団=ウンマが一貫していることがイスラームの基本構造です。
サドル氏がイスラム経済を部分ではなく、イスラーム総体として捉える必要があると忠告したのは、この他部分と根幹で密接に連関したイスラームの基本構造を認識しているためであり、経済問題を人間自身の問題と捉えていたのは、正しき人間(イスラム信徒)がイスラームを実現することによって、現在の全ゆる問題(経済などの諸問題)が解決するという認識に立っていたと考えられます。
次回はイスラームの経済システムについて、シャーリアを基にしてどう指針化しているのかを学んでいきます。経済システムは、以下の5つの特徴に着目して学んでいきたいと思います。
①相対的な所有権=用益権(配分)
②労働=信仰の奨励(生産)
③利子の禁止と現物取引の遵守(交換)
④自助努力と浪費の禁止(消費)
⑤財の社会的還流(蓄積)
最後まで読んで頂いてありがとうございます☆
次回もよろしくお願いします 😀
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