2011-10-07

『なぜ今、中東民主化が起きているのか?』【5】ニュースの整理:リビア編

先月からスタートした『なぜ今、中東民主化が起きているのか?』シリーズですが、
【2】チュニジア編
【3】エジプト編
【4】イスラエル隣国諸国編
をお送りしてきました。
今回は、ニュースの整理シリーズにおける最後の国【リビア】に焦点を当てて、『なぜ今、中東民主化が起きているのか?』を探っていきたいと思います。まずは、リビアでの事件を時系列で整理し、リビアという国の概要をまとめながら事件の背景を探ることで、今後の分析編に繋いでいきたいと思います。

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【事件の整理】
 2011年
<2月15日>
拘留されている人権活動家の弁護士の釈放を要求するデモが、リビア東部のベンガジにて発生し、警官隊や政府支持勢力と衝突し、警官を含む38人が負傷。その後、デモは全国的に広がる。これに対して政府は武力で弾圧したが、政府内で反感も高まり、むしろ民主化の動きを助長することになる。→首都トリポリを除いた地方の都市は、次々と民主化を求めた反政府主義者によって制圧。
<2月27日>
東部の都市ベンガジを拠点とする暫定政権である「リビア国民評議会」が樹立。これによって、一旦リビアは西のカダフィ政府と、東のリビア国民評議会に分断。→カダフィ政権は、傭兵を使ったり国民評議会側が保持しない空軍を使うなど、武力で猛攻撃。軍事的には圧倒的に劣る国民評議会軍は、西部の都市を奪い返されるなど、撤退を続ける。
<3月15日>
すでにベンガジの陥落、国民評議会軍の敗北は時間の問題ではないかと見られた。
<3月17日>
カダフィ軍が自国民を虐殺していると見て国際社会が動き始め、国連の安保理はリビアにおける飛行禁止区域の設定と、国際社会のリビアへの武力行使を認める決議を採択。劣勢だった国民評議会軍は、この決議に歓喜。
<3月19日>
米軍を中心とした多国籍軍による「オデッセイの夜明け作戦」と呼ばれるリビアにおける軍事作戦が開始。→その後、膠着状態が続きながらも、リビア情勢を議題とする国際会議が開催される中で、交渉賛成派の1人であった国民解放軍総司令官の暗殺される事件が発生。
<8月 4日>
アメリカ国務省は事件の及ぼす影響を危惧し、評議会代表と内乱終結後の手続きについて会合を開き事件の解明を求める。多国籍軍の主力は、NATO軍に変わり、フランス、イタリア空軍を中心に、カダフィ軍の基地に空爆を続ける。NATOのズリタン空爆でカダフィ七男が、死亡したとされたが、カダフィ側はこれを否定。
<8月 8日>
マフムード・ジブリール執行委員会委員長(暫定首相に相当)は事件の責任を取って内閣を総辞職。この一連の出来事を通して、評議会は一致して武力打倒へと突き進む。また7月にかけて、大国の国家承認が相次ぐ。
<8月 8日>
NATO軍による首都攻略作戦「地中海の人魚」をかわきりに、カダフィの長男、次男、三男が相次いで降伏、拘束。
<8月22日>
22日早朝までにはバーブ・アズィーズィーヤ地区を除く市内全域が制圧。カダフィ政権の象徴であった緑の広場はすでに「殉教者の広場」と呼ばれ、国営テレビも制圧し、カダフィは情報発信の拠点を失う。
<8月23日>
23日午前、NATOの空爆を合図に地上軍がバーブ・アズィーズィーヤ地区に突入し、5時間に及ぶ戦闘の末に陥落。
<8月24日>
事態は長期化するかに思えたがNATOと反政府組織の綿密な作戦が功を奏し、8月24日に首都が陥落。42年間に及ぶカダフィ政権は崩壊。同日、評議会は本部のトリポリへの移転計画を発表。
<10月7日現在>
カダフィは依然行方をくらましている。
【リビアの概要】
□正式名称
「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」(政権崩壊前)
□政治・選挙制度
・ジャマーヒリーヤと呼ばれる独特の政体をとる共和国で、人民主権に基づく直接民主制を宣言している(カダフィは直接民主制を標榜しており、「大衆によって支配される共和国」という国家体制を表現するためにこのような造語を行った)。
・成文憲法は存在せず、1977年に制定された人民主権確立宣言が、その機能を果たす。またイスラム法も、主要な法の源とされている。
・政党禁止、普通選挙なし。建前上国民の代表からなる議会は存在しないが、事実上それに代わる仕組みとして全国人民会議が置かれている。議員は内閣に相当する。
・全国人民委員会各書記(大臣)のほか、各マハッラ、シャアビーア、学校や職場などに置かれている人民委員会などから法律で役職指定されており、1000名前後(2006年時点)
・直接民主制であるジャマーヒリーヤの建前の上から、リビアには国家元首は存在しないことになっている。しかし、1969年9月1日の革命以来革命指導者の称号を持つカダフィが事実上の国家元首。なおかつ国政実権を掌握。ただし、公的役職には1970年代半ばから就いていないことから全国人民会議など公の会議には出席せず、会議後、会議出席者の「要請」を受ける形で国民への「助言」として事実上の施政方針演説を行うことが多い。
□経済と社会状況
・GDP(2010年)はアフリカ第7位となるほど近年経済成長が著しい。(2005年からは毎年20%を越える成長率)
・リビアの成長を支えたのが、アフリカ最大の埋蔵量といわれる石油。
・石油が豊富でありながら、人口が少ないため一人当たりGDPはアフリカでも最上位クラス。(これは先進国と同等レベル)
・独立以前は皮革や繊維、絨毯、金属加工などの軽工業や農業・牧畜が盛んであった。
・近年では石油精製、製鉄、セメント、アルミ精錬などを行なう国営工場が建設され、産業がシフト。
・さらに近年では外国投資促進法などを制定し、従来の国営企業による産業育成から、外国資本による国内産業の育成や経済特区の制定により、経済活性化を模索している。
・義務教育に限らず国公立の学校の学費は無償で識字率は82.6%と高い。
□主要産業:石油関連産業
 (1)確認埋蔵量 415億バーレル
           (世界第8位)(2008年、BP)
 (2)原油生産量 1日あたり185万バーレル
           (世界第17位)(2008年、BP)
 (3)輸出量   1日あたり138万バーレル
           (主要輸出先:伊、独、西、仏)(2007年、OPEC)
 (参考:外務省リンク)
□国際関係
・リビアはかつて反欧米、反イスラエルのアラブ最強硬派の国家であった。1970年代や1980年代には欧米やイスラエルで数々のテロを引き起こした(或いは過激派のテロの支援をしてきた)。
このため欧米などから「テロ国家」と非難されてきた上、また核兵器の開発も秘密裏に進めていた。
・1984年にはロンドンのリビア大使館員が路上で反政府デモを行っていたリビア人に大使館内から銃を発射し、デモの警備を行っていたスコットランドヤードの女性警察官のイヴォンヌ・フレッチャーが死亡。その後イギリスはリビアとの国交を断絶した。
・1985年にはイタリアの客船をリビア人がシージャックしユダヤ系アメリカ人人質1名を殺害、同年にトランス・ワールド航空機がハイジャックに遭い人質が殺害された上、さらに同航空機が1986年に爆破テロに遭い、アメリカ合衆国はこれらの一連のテロがリビアの政府の支援のもと行われていたと断定し、リビアの最高指導者カッザーフィーを狙って空爆(リビア爆撃)している。
・1988年のパンナム機爆破事件では国際連合に経済制裁を課せられてしまうなど国際社会から完全に孤立化した。
・しかし近年は態度が軟化し、核開発の全面放棄やパンアメリカン航空機爆破事件の容疑者引渡しや犠牲者への補償にも、国として事件への関与を認めたものではないが、一部のリビア人公務員が起こした事件で遺憾に思うとして応じた結果国連の経済制裁は解除され、欧米との関係改善も進んでいる。この様な動きの中でアメリカはリビアを「テロ支援国家」指定から外し、その後2006年5月15日にアメリカはリビアとの国交正常化を発表した。
【何故、長期政権になったのか】
□カダフィは国民のための政治を行ってきた。(「独裁」は欧米メディアによるイメージ捏造?)
・カダフィは国民を抑圧はしていないのでは?
>リビアで投獄された人間の数はチェコ共和国のそれより少なかった。
>アフリカ諸国の中でリビアは一番乳児死亡率が低かった。リビアの寿命はアフリカ諸国の中で最も長かった。栄養失調にかかっていたものは国民人口の5%以下。
>高騰する世界の食糧価格に対してリビア政府は早くから手を打っていた(「食品税」をすべて撤廃したいた。)
・リビアの人々は豊かに暮らしていた。
>一人当たりの購買力で見ると、リビアはアフリカで一番GDPが大きい。政府は国民全員にシェアがいきわたるよう富の分配に努力してきた。
>リビアはアフリカ大陸で最もHDI(人間開発指数)が高い。富は平等に分配されてきた。リビアでは貧困ライン以下の暮らしをしている人の割合はオランダよりも低い。
>豊かになった理由は「原油」。実質「シェル石油」に支配されているナイジェリアのようなアフリカの国々と違って、原油埋蔵量が豊富なリビアは外国企業に自国の原油を
 盗ませて国民を飢餓に追いやったりしなかった。
【まとめ】
リビアで起きた一連の事件は、他の中東各国で起こってきた民主化運動とは一線を画しているようです。なぜなら、リビアは豊富に埋蔵する石油資源を背景に非常に高い経済成長を遂げてきており、なおかつそこで得た利益をきちんと国民に還元しているので、国民の貧富の差が他国に比べて少ない(≒不満を持つ人が少ない)ようです。したがって、今回の事件は、他国のように体制に反発する民主化運動と同じ位置付けにすることには疑問が生まれます。では何故このような事件が起こったのでしょうか?
それは、リビアの豊富な石油に注目してみると答えが見えてきそうです。リビアで起こった一連の事件は民主化運動でなく、石油利権争い(カダフィ政権vs反体制派)だと考えらるとスッキリするのではないでしょうか。反体制派はある国(石油利権を狙っている国?)から支援を受けて、民主化運動を仕掛け、打倒カダフィ政権を目指したと考えられます。
では、その反体制派側についた国はどこなのでしょうか...今回はここまでです。
今後更に詳しく踏み込んでいく予定ですので、次週以降の分析編:⑥『なぜ今、中東民主化が起きているのか?』【6】説の紹介:欧州主導説 【7】説の紹介:米国主導説 
【8】説の紹介:民族意識主導説 をご期待ください 😀

List    投稿者 fujita | 2011-10-07 | Posted in 07.新・世界秩序とは?5 Comments » 

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コメント5件

 a | 2013.05.20 21:46

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 a | 2013.05.20 21:46

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