2010-02-04

環境から経済を考える

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今回から宇沢弘文教授の「社会的共通資本の理論」を勉強したいと思います。
全ての取引が、市場システムの中に巻き込まれていくことの問題性を端的に指摘しているので、今後の社会を考える上で、参考になると思っています。
宇沢教授は、昭和3年生まれで、東大理学部数学科を卒業後に経済学に転向し、近代経済学者として東大名誉教授となり、現在は同志社大学社会的共通資本研究センターの長を務めています。
実は前回紹介したジョセフ・E・スティグリッツ教授は宇沢教授の門下生の一人なんです。
同じく門下生小島寛之氏(1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。)のブログ「環境と経済と幸福の関係」が宇沢教授の理論を判りやすく解説しているので、要約しながら紹介します。

宇沢教授のいう社会的共通資本とは

「市民一人一人が人間的尊厳をまもり、魂の自立をはかり、市民的自由が最大限に保たれるような生活を営むために重要な役割を果たすような財」

のこと。
このような性質を持つため、これらの財は、私有や私的管理が認められず、社会の共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・維持されるものとしている。

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「社会的共通資本」という概念を理解するために、まず1968年にサイエンス誌に発表されたガーネット・ハーディン氏の論文「コモンズの悲劇」を紹介します。

「コモンズ」とはみんなの共有地のこと。これが宇沢教授のいう「社会的共通資本」の原型なのです。
ハーディン氏の主張は、一言でいえば、「自由に出入りできる(オープンアクセスな)共有地(コモンズ)は、必然的に荒廃する」ということ。中世のイギリスで、共同利用している牧草地を持つ牛飼いたちが、牛をさらに増やしていく場合を例に取り示しています。小島先生は、このハーディン氏の主張を、簡単な数値例で検証しているので見てみましょう。
 

例えば、今49人の牛飼いが牧草地で牛1頭ずつを飼育しています。50人目の牛飼いが、あと1頭の牛を牧草地に入れるかどうかを検討しているとする。
仮に50人目の牛飼いの得られる利益は10万円であるとし、他方、あと1頭入れることで牧草地が荒廃する追加的被害が20万円としよう。
しかしこの損害を50人で等分して考えると1人あたり0.4万円である。50人目の牛飼いにとって、手に入る利益10万円は負担する損害0.4万円を上回るので、牛を牧草地に入れるのが合理的な判断である。
ところがこのことを牛飼い全体の利害で見ると、10万円の利益を新たに得るために、20万円の損害を被ることになっている。つまり、牛飼いという集団としては不合理な結末なのである。
そうであっても、オープンアクセスの原則がある限り、50人目の牛飼いの参入を拒否できない。
このようなことが続けば、牧草地は回復不能なほどに荒廃してしまう。そう、ハーディンは指摘したわけだ。
この「コモンズの悲劇」という見方が重要なのは、多くの環境問題にこの構造が見られるからである。(引用)

これを現在の環境問題に置き換えると 

わたしたちが自動車を新規に保有するとき、それで得られる(利用費用を差し引いた)利便性の大きさに比べて、個人的に被る環境的な損害は無視できるくらいのものだといっていい。
なぜなら、自動車から廃棄されるガスは、長期的には地球全域で均等化され、薄められるからである。(もしも、自分の出した排気ガスをすべて自宅に送り込むことが義務づけられたら、自動車を保有する人はいなくなるに違いない)。
個人にとって合理的なことが、集団では不合理(大気汚染等、環境破壊)なのである。(引用)

この「コモンズの悲劇」について宇沢教授は、「オープンアクセス」と「コモンズ」との区別についての、完全な誤解に基づいたものだとしています。

オープンアクセスというと、「誰でも自由に利用できる」ことを意味するが、実際のコモンズというのは、利用者は特定の村、地域の人々か、あるいは特定の職業的、社会的集団に属する人々に限定されているのが一般的なのである。
そして、利用者にはコモンズを利用するときのルール、掟が、厳しく規定されている。コモンズというのは、むしろ、オープンアクセスを否定するものなのである。(引用)

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「コモンズはオープンアクセスを否定している。」ということは「共有地は自由な出入りと使用を禁じている。」であり、つまり「誰もが必要としているものは、自由な取り引きさせない。」ということ。
それを宇沢教授の言葉に置き換えると、
「社会的共通資本は、市場化せず、みんなで管理する。」ということになります。
実際、共同体が存在した時代には、みんなが共有していた川や泉、森ではその利用に規範がありました。
例えば、稚魚や動物の子は捕まえても逃がすとか、木の実は幾分かは森の動物に残すとか、自然サイクルを意識したような規範は多くありました。
このみんなが共有していた川や森が、宇沢教授のいう社会的共通資本であり、現在は次の3つがそれにあたるということです。

「自然資本」=自然環境そのもの
「社会資本」=道路・下水道・電気・橋・鉄道などのインフラ
「制度資本」=医療制度・学校教育制度・司法制度・行政制度・金融制度など

そしてこの3つの社会的共通資本を、「社会的共通資本」とするためには、かつての川や泉、森のように、管理する「規範やシステム」が必要ということなのです。特に制度とりわけ金融制度にまで踏み込んでいるのが注目されます!
おととしのリーマンショックで「金融破綻」は→「経済の大幅な落ち込み」をもたらし→「社会全体の停滞」させました。投資や投機は、一般大衆には無縁でも、金融という糸でつながっており、投資家に委ねてはならないということだと理解しました。
次回はよりシステム的な検証を行います。お楽しみに

List    投稿者 goqu | 2010-02-04 | Posted in 07.新・世界秩序とは?5 Comments » 

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コメント5件

 ニャア | 2010.09.25 22:22

特権階級はなぜ力の原理から抜け出せないのですか?
また、政治家は国民の声を生かした政策が採れないのですか?

 orisay2 | 2010.10.02 23:14

ニャアさん。コメントありがとうございます。現在では、政治家、官僚、マスコミ等を特権階級と呼びます。既に、国家は、ガタガタになってはいますが、それでも未だ、国家は未だ私権序列体制という旧体制・旧制度に依拠し、市場拡大を無理矢理にでも推進しようとしています。それを推進している人たちが、特権階級と呼ばれる人たちです。彼らは、自らの既得権益=私権を維持せんとしがみついたままのため、
国民の声を聞くことなどは「はな」から考えていません。
例えば、最近の検察官僚の事件を見ても、最大関心ごとは人事(ポスト履歴)であって、嘘をついても自集団を守る(=自分の昇進とポストを守る)といった暴走を引き起こしています。国家が危機に曝される外圧などは二の次なのです。

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