新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
写真は
‘00年頃、私権統合の崩壊が決定的となり、潜在思念の源泉部が私権不全から社会不全へと大転換しました。しかし、答えがないので、潜在思念に増大していく社会不全を、必死に捨象している状態が続きました 🙁
(詳しくは前回の記事『新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)』をご覧下さい )
その社会不全はどうやったら解消されるのでしょうか
今回は、人類の不全とその解消様式を、時代をさかのぼって整理するところから始めます 🙄
ぽちっとお願いします
いつもありがとうございます
『新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積』より引用します
しかし、社会不全は、解脱や誤魔化しの言葉で捨象する事はできない。
●自然圧力や同類闘争圧力etcによる本能不全は、スキンシップの親和充足でそこそこ解脱(解消)できる。
●権力による抑圧etcによる私権不全=共認不全は、親和充足(その極が涙と笑いである)と代償観念(規範観念や価値観念etcの感応観念)で、かなり解脱(解消)できる。
●社会不全や統合不全は観念不全であり、答え(=構造観念)によってしか、解脱(解消)できない。
注:私権不全=共認不全からの解脱は、貧困苦の時代は涙と笑いだったが、貧困の消滅した’70年代以降は笑いだけに収束した。
注:人間関係の軋轢は共認不全だが、そこから逃避した関係閉塞は統合不全なので、もはや笑いでは解脱(解消)できない。
注:統合不全の関係閉塞型は不全に強く囚われており、答え欠乏が強いが、答えがない(従って課題捨象もできない)という悪循環に陥る
社会不全は答え(=新しい認識)によってしか解消されない。つまり、社会不全を従来の解脱様式で捨象することは出来ない。(例えばテレビは私権不全から社会不全への大転換によって、完全にズレた物となり果てた。)また、「等身大の幸せ」etcの言葉=頭でいくら捨象しても、解脱充足先がない以上、不全は解消しない。その上、不全の増大につれて充足基調の充足度も、どんどん低下してゆく。
従って、社会不全→外向欠乏の上昇によって、答え欠乏=認識欠乏が顕在化してくるのは時間の問題である。しかし、間違ってはならない。人々は潜在思念の源に強い社会不全を孕んでいるからこそ、充足を(つまりは、答えを)求める。実際、人々は愚痴や批判ではなく(そんな言葉は聞きたくもない)、何か答えになりそうな可能性の感じられる新しい認識を求めているのである。
「社会不全は、新しい認識によってしか解消されない」というのはなるほど です
じゃあ、答えが提示されたら不全は解消
。。。となるかというと、そう簡単にはいきません
どうして、答え=構造認識に人々が集まってこないのか?
次回は、『新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代』を紹介します
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コメント2件
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クリスチャンルブタン パリ 店舗 | 2013.07.20 20:48
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