脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(8)ヴァンダナ・シヴァ
現代は市場原理に基づく経済システムが実体経済から遊離(バブル化)して、経済の崩壊の危機に陥っています。この経済システムに、過去〜現在に至るまで異議を唱えてきた経済理論家たちがいます。このシリーズではそれらの理論家の思想や学説を改めて見つめなおし、次代の経済システムのヒントを見つけていきたいと思います。
前々回、前回は、サティシュ・クマール氏の思想に触れました。
脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(6)サティシュ・クマールその1
脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(7)サティシュ・クマールその2
今回は、食や農業の未来に焦点をあて、種子の問題を最重視して、様々な活動をしているヴァンダナ・シヴァ女史に着目します
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◆人物紹介
ヴァンダナ・シヴァは、1952年インドのデヘラードゥーン市の谷間の地区で生まれました。自然を深く愛した農婦の母親と、森林保護官であった父親とから、最初の環境教育を受けました。
シヴァ女史は、女子学校で教育を受け、体操選手として訓練された後、物理学のコースを修了しました。そして、カナダのオンタリオ州にあるゲルフ大学の科学哲学の修士課程に進み、その上で、1979年に、西オンタリオ大学の博士課程を修了し、博士号(Ph.D.)を取得。彼女の博士論文は、「量子理論における隠れた変数理論と非局在性」です。量子論はとても難しい学問です。シヴァ女史は、この西洋的な科学に習熟することによって、科学技術の歪んだ適応に対する批判的視点を持ったのだと思います。
シヴァ女史は、カナダで量子論を研究していた時期に、貧困階層が森林伐採を阻止する“チプコ運動”に出会います。これに共感し、インドの森林、農業、その担い手である農民・女性の現実に目を向けだします。1986年にはチプコ運動をまとめた論文も発表しています。
インドに帰国し、大学院で科学、技術、および環境政策に跨る学際的な研究に進みました。
1982年に、デヘラードゥーンに戻り、インドの農村に役に立つ技術や実践活動をしていくための『科学・技術・自然資源政策研究財団』(現在は、『科学と技術とエコロジーのための研究財団』)を設立しました。
1987年に種子保存運動を興し、1991年には、複数の州に地域種子保存銀行を創設します。
シヴァ女史の書籍で日本語に翻訳されたものに、
・「生きる歓び—イデオロギーとしての近代科学批判(1994/11/1)」
・「生物多様性の危機—精神のモノカルチャー (1997/6/1) 」
・「緑の革命とその暴力 (1997/8/1) 」
・「バイオパイラシー—グローバル化による生命と文化の略奪(2002/06)」
・「ウォーター・ウォーズ—水の私有化、汚染、そして利益をめぐって (2003/3/1) 」
・「生物多様性の危機 (2003/9/12) 」
・「生物多様性の保護か、生命の収奪か (2005/11/24) 」
・「食糧テロリズム (2006/12/7) 」
・「アース・デモクラシー (2007/7/19) 」
・「食とたねの未来をつむぐ—わたしたちのマニフェスト— (2010/7/1) 」
などがあります。
では、具体的にどのような問題意識があって、どんな提案をしているのかを見ていきたいと思います。
◆活動の原点は“インドの農業を守りたい”という想い
シヴァ女史は“チプコ運動(※)”に出会い、苦しんでいるインドの農民達をなんとか助けたいという想いが強くなったのでしょう。この想いが様々な活動の原点になっているようです。
(※チプコ運動とは、クリケットのスティックを作るために、木の伐採権を州政府が1企業に与えました。その伐採地は共有林として地域の生活を支えたものだったので、女性を中心として伐採を反対する運動を始めました。女性達は木に抱きついて木を切るなら一緒に私達も切りなさいと身を挺したことから、チプコ運動と呼ばれるようになります。チプコとは、ヒンディー語で「抱きつく」という意味です。)
私がインドに関心を集中するのは自分がインド人であるからと、インドの農業が国際企業の格好の標的とされているからという両方の理由による。しかしながら、この盗まれた収穫という現象はインドに限られた話ではない。小規模な農場と小規模な農民が絶滅へと追いやられ、単一栽培が多種多様な作物にとって変わり、農業が滋養に満ちた多様な食糧の生産から遺伝子組み換えされた種子や除草剤、殺虫剤のためのマーケット創出の場へと変質するにつれ、この現象はあらゆる社会で経験されているのである。
『Resurgence』の「盗まれた収穫」より
◆様々な問題を引き起こす“グローバル化”
インドの農業を守りたいと立ち上がったシヴァ女史ですが、インドだけでなく世界中で同じような問題があることに気付きます。その最たるものが、多国籍企業そしてWTOや世界銀行、IMFなどが進めるグローバル化だったのです。
「非効率的な小規模生産」や飢餓と呼ばれている世界規模の問題に対する万能薬として多国籍企業が強引に進めた技術介入は、完全に逆の効果をもたらしてきた。「緑の革命」からバイオテクノロジー革命、そして近年の食品放射線照射の推進にいたるまで、昔からおこなわれてきた自然と調和した生産手段への技術介入は生態系を弱体化させてきた。それは大気・水質・土壌の汚染をもたらしただけでなく、新たに遺伝子組み換え生物による遺伝子汚染の広まりも引き起こしてきた。(中略)工業的な農業システムはまた、環境や社会を犠牲にすることなしに、そしてそのシステムが必要とする莫大な補助金なしには、生産の効率性を上げてこなかったことは確かである。そのうえ、飢餓を減らすどころかむしろ増加させてきた。一方そのシステムは、現在、世界の農業生産を支配している少数の巨大農業企業の成長と集中をうながし、地域の生産者、食糧供給、食の質、コミュニティや人びとが基本的な食料自給を達成する能力を損なってきたのである。
*
すでに半世紀前に始まっていた上述のマイナス傾向は、WTO(世界貿易機関)、世界銀行、IMF(国際通貨基金)、コーデックス委員会のような官僚機構による世界の貿易と財政の支配によって悪化している。これらの機構は、なによりも世界規模で展開するアグリビジネスの利益になるようにつくられた政策を体系化してきた。その一方で、農民と消費者の権利だけでなく、彼らが自国の国境を越えた貿易を管理し、コミュニティにふさわしい規則をつくる能力を積極的に弱体化させてきた。
『食とたねの未来をつむぐ—わたしたちのマニフェスト—』(P53〜54)より
◆国際企業や国際資本家によって支配された種子
その中でも、シヴァ女史が一番問題にしているのが、最近になって市場原理に組み込まれてしまった“種子の問題”です。
世界貿易機関の貿易に関する知的所有権条約によって全世界に広がっている新しい知的所有権体制は、企業が種子についての知識を強奪し、それを彼らの所有物であると主張して独占することを認めている。結果的に、これは種子自体の企業による独占につながる。何世紀にも及ぶ農民や小作農の集団的な革新は、植物に対して知的財産権を主張する企業によってハイジャックされているのである。
今日、230億ドルの価値を持つ商業的な種子市場の32%は10社の企業によって支配されている。これらの企業は世界の農薬及び殺虫剤市場をも支配しているのである。世界の穀物貿易を支配しているのはたった5社の企業である。(中略)カーギル社とモンサント社は一丸となり、世界貿易機関の発足につながった国際貿易協定の制定に積極的に参画していた。
国際企業は農民の収穫を盗んでいるだけではない。彼らは遺伝子組み換えと生命体に関する特許を通じて自然の収穫をも盗んでいるのである。除草剤への耐性を持つよう設計されたモンサント社のRoundup Ready大豆のような作物は、種の多様性を破壊し農薬使用の増加を引き起こす。これらはまた、除草剤への耐性を決定する遺伝子を雑草に転移することによって非常に侵略性の高い“超雑草”を生み出すのである。
『Resurgence』の「盗まれた収穫」より
シヴァ女史は、農業の源である種子が少数の国際企業に支配され、遺伝子組換え技術が自然の秩序を破壊しかねないモンスター(超雑草)を生み出しかねないと警告します。
生命体や生物資源に対する特許を確保するために、企業は種子や植物が彼らの「発明」であり、故に所有物であると主張しなければならない。カーギル社やモンサント社のような企業は自然の生命の網の目や再生のサイクルを彼らの所有物の「窃盗」であると捉えるのである。カーギル社のインドへの進出についての1992年の議論の中で、カーギル社の最高経営者は「我々はインドの農民に、蜂が花粉を奪うのを防ぐ素晴らしい技術をもたらす」と述べた。国連のバイオ安全議定書の交渉中、モンサント社は「雑草は日光を盗む」と主張する文献を配布した。
受粉作用を「蜂による窃盗」と定義し、多様な植物が日光を「盗む」と主張する世界観は、自然の収穫を盗むことを目指しているものである。このような世界観は欠乏に基づいた世界観である。
豊かさに基づいた世界観こそが、蟻のために戸口に食物を置き、他方では米の粉から最も美しい芸術作品を生み出すインド女性の世界観である。豊かさは、稲を美しく編み上げ、鳥が田畑で米粒を見つけられなかった時のために吊るしておく小作農の女性の世界観である。この豊かさの視点は、他の生き物や種に食物を与えることが我々自身の食糧を確保するための条件を維持することであるということを認識しているのである。
(※mihori注:インドで長い間継承されてきた自然との関係を対置します。)
エコロジカルな世界観においては、我々が欲望のままに必要以上に自然を消費したり搾取したりした時、我々は盗みを行っていることになるのである。農業ビジネス企業の反生命的な視点においては、自身を再生し維持している自然が盗人とされるのである。このような世界観は豊かさを欠乏に、肥沃さを不毛さに置き換えるのである。
我々が直面しているのは一握りの企業が食物連鎖を支配し選択肢を破壊する、食糧の全体主義である。権利という概念は国際化と自由貿易の名のもとに逆立ちさせられた。食糧への権利、安全への権利、文化への権利は全て取り除かれるべき貿易障壁として扱われているのである。
『Resurgence』の「盗まれた収穫」より
カーギル社やモンサント社を支配している、ビルゲイツやジョージ・ソロス、ロックフェラーなど国際資本家達が食糧支配するために地球上の種子を冷凍保存する施設「種子貯蔵庫」を作り、種を大量に集めはじめているそうです。(リンク、リンク)
◆国際企業や国際資本家に対抗する種子保存運動“ナブダニャ”
そうした国際企業や国際資本家の食の全体主義から脱却するためにも、シヴァ女史が実践的に行っているのがナブダニャという“種子保存運動”です。地域毎の農業コミュニティを復活させ、その単位で知識と伝統を蓄積させて、たねを守っていくというものです。
私の踏み出した最初の一歩はナブダニャ(Navdanya)と呼ばれる、種子を保存し、種の多様性を守り、そして種子と農業を独占的支配から自由に保つための運動を開始することだった。ナブダニャ運動はインドの6つの州において16の地域的な種子銀行を始めた。今日のナブダニャは、種の多様性を保護し、化学物質を使用しない農業を実践し、自然や先祖からの贈り物として受け取った種子と種の多様性を保全し、かつ分かち合うことを続けると誓った数千のメンバーを擁している。
インドでは農薬を買うお金がないという理由から、最も貧しい小作農達が有機農業を行ってきた。今日、意識的に農薬と遺伝子組み替えを避ける国際的な有機農法運動が彼らに合流している。
インドにおいてエコロジカルかつ有機的な農業はahimsic krishi(非暴力的農業)と呼ばれる。なぜならそれは全ての種に対する思いやり、ひいては農業における種の多様性の保護に基づいているからである。
我々の運動は種の多様性と知識の共有の復元を提唱している。生命の多様性を企業の発明、ひいては企業の所有物とみなすことを拒否することにより、我々は全ての種が本質的に持つ価値とそれらの自己組織能力を認めているのである。生命資源の私有化を許すことを拒否することにより、我々は自然の資本に依存する全体の3分の2を占める多数派の生存の権利を擁護しているのである。現在はエキサイティングな時である。企業が我々の生活を支配し、世界を支配するのは当然の帰結ではない。我々は自分達自身の未来を形作る本当の可能性を持っているのである。我々は我々自身を養う食糧が盗まれた収穫物ではないということを保証する環境的そして社会的な使命を帯びている。この使命において、誰であろうと、どこにいようと、我々のそれぞれが全ての種と全ての人々の自由と解放のために尽力する機会を持っているのである。
『Resurgence』の「盗まれた収穫」より
これがきっかけとなり、ナブダニャの考え方は、エチオピアの「シード・オブ・サバイバル」の種子保存運動などでも展開されています。
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シヴァ女史は、インドを守りたいという想いから、グローバル化の問題性に気付き、それを皆に知らせ、実践的に種子運動をして市場化された社会からの脱却をはかろうと試みています。地域毎に共同体を復活させ、その土地に合った植物を育て、継承していくことが大事というのは、とても女性的な視点(=大地の母を感じさせる視点)で、ストンとくるものがあります。そこをきちんと理論立てて説明しているからこそ、賛同者が増え続けている理由なのかと想います。
今後、この草の根的な運動が、この思想の共認を拡げ、国際企業や国際資本家に真の意味で対抗できるのかが問われることになっていきそうです。
次回は、社会的共通資本を唱えた日本人の宇沢弘文氏を紹介します
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