2010-07-14

BRICs徹底分析〜インド編 その5.現実肯定の思想が次代への可能性を切り開く

「インドの指導者(知性)は、決して欧米に屈服はしない」では、2回に渡って主要な人物を扱ってきました。インド編 その3その4参照。
 
インドの指導者たちの多くは、欧米の大学で教育を受け学位を取得していますが、その価値観に染まることなく、インドに戻ってからは母国のために欧米と対等に渡り合っています。
 
60年前までイギリスの植民地であったインドが欧米と対等に闘っているのに対し、一応独立国家であるはずの日本の指導者は、いつの間にか欧米の手先となって大衆を支配しようとします。
(参考)アメリカ→官邸→マスコミの共認支配を許すな
 
この違いはいったいどこにあるのでしょうか?
今回はインドの思想の中に、その秘訣を探ってみようと思います。
 
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Ⅰ.ヒンドゥー教には唯一絶対の聖典が存在しない
Ⅱ.インド社会の成立過程とヒンドゥー教による他民族の統合
Ⅲ.キリスト教という外圧を受けてのヒンドゥー教復興運動
Ⅳ.現実を肯定し、外圧の変化に応じて塗り重ねられるインド思想

 
参考図書として、「ヒンドゥー教 インド3000年の生き方・考え方」クシティ・モーハン・セーン著 講談社現代新書 から引用させていただきました。(引用文には、本書の頁を記載しています。)
ちなみに著者は、インド編 その3で紹介したアマルティア・セン博士の祖父です
 
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Ⅰ.ヒンドゥー教には唯一絶対の聖典が存在しない

 ヒンドゥー教には、キリスト教、イスラム教や仏教などの世界宗教と違い、まったく開祖というものがいない。ヒンドゥー教は、ゆうに5000年をこえる期間にわたり、インドに生まれたすべての宗教や文化を吸収、同化しつつ次第に発展してきた。したがって、この宗教には、キリスト教における「聖書」やイスラム教における「コーラン」などに相当するような、なにか宗教的論争が起きた際の最後の解決のよりどころとなる唯一絶対の権威のある聖典は存在しない。「ヴェーダ」「ウパニシャッド」「バガヴァッド・ギーター」「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」「プラーナ」、六派哲学に関する哲学書、バクティ(信愛)運動や神秘主義者たちの残した詩歌などはすべて聖典としての権威を認められている。しかし、そのうちのいずれかが特別に権威があるということはない。(P3)

絶対的な聖典が存在しない原因は、インド社会の形成過程にあります。
そこで、インド社会が成立してきた過程をみてみます。
 
Ⅱ.インド社会の成立過程とヒンドゥー教による他民族の統合

 インド社会は、多くの民族と文化によって成り立っている。インドの社会と宗教の複雑さを理解するには、まずこの事実を認識する必要がある。ヒンドゥーという語はインダス川のサンスクリット語であるシンドゥーに由来しているが、それはかつてペルシア人がインドを「シンドゥー川の川向こうの国」と呼んでいたからであるとされている。
 このようにみると、ヒンドゥー教とは、インドに住む人々の宗教をひっくるめた総称のようであるが、しかしこの宗教には、ヒンドゥーという言葉の由来が暗示する以上の大きな統一性がある。事実、ヒンドゥー教は、幾世紀にもわたってインドの統一を保つうえでの最も重要な要因であった。(P16)
 アーリア人の神に対する礼拝の方法は、野外で火を囲み、神々に種々の動物をいけにえとして捧げる、いわゆる供犠であったらしい。「ヴェーダ」の神々の大半が太陽、月、火、嵐といった自然力の象徴であることからみて、明らかに自然が彼らの関心の的であった。一方、インダス文明に関するわれわれの知識は完全であるとはいえないが、その文明を築いた人々は、後生のヒンドゥー教神話と関連をもつさまざまな男女の神々を崇拝していたとみられる。
 インドという国家が次第に統一されていったことを示す重要な手がかりの1つは、このアーリア神話とそれ以前の非アーリア神話が融合し、そこから共通の神話が発展していく過程である。しかしながら、インド哲学からみてさらに重要なことは、アーリア人と先住民族のさまざまに異なる人生観が相互に影響し合う過程であり、また、「ウパニシャッド」「バガヴァッド・ギーター」「ダンマパダ(法句教)」などに表された哲学思想にみるような両文化の合成物ができあがるプロセスである。(P18 )

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モヘンジョダロ:インド原住民族は、アーリア民族侵入以前から高度な文明を持っていた)
 
インドは原住民族(ドラヴィダ人)の国に、前1500〜1300年頃にアーリア人が侵入して作られましたが、その際、アーリア人は原住民やその文化を根絶やしにはしませんでした。そして、その後も他民族の文化を受け入れながらインド社会は形成されており、インドの思想であるヒンドゥー教も、仏教、ジャイナ教、シク教、外来のイスラム教、キリスト教など、さまざまな文化・思想の影響を受けながら変容を続けています。
 
絶対的な教義が存在しないのは、ヒンドゥー教がその時々の外圧状況に応じて変化を受容する思想だからであり、これは、他の宗教との間で戦争を繰り返し、同じ宗教内においてさえ異なる宗派との争いが絶えないキリスト教やイスラム教などの一神教との大きな違いです。
 
しかし、単に受容するだけではありません。近代になってキリスト教が世界的に広まり、インド文化の危機に陥った時には、原点に遡ってヒンドゥー教を検証し復興することで、自国の文化を守り通したのです。
 
Ⅲ.キリスト教という外圧を受けてのヒンドゥー教復興運動

 今日にいたるまでの約200年の間、ヒンドゥー教はいわゆる「西欧の衝撃」により大きな影響を受け続けた。それによって、ヒンドゥー教は新しい教義こそ1つとして生み出さなかったが、その代わり、旧来の思想を新しい光のもとへ引き出すことになった。このような新しい展開は、一部はキリスト教からの影響の結果もたらされたものであるが、すべてがそうであるとはいえない。インド社会は、近代に入ってから、きわめて大きな変化を経験してきており、その結果として思想の分野にもいくらかの変化が起こることはしごく当然であろう。さらに、近代になってヒンドゥー教が新しい展開をみせたことは、新中産階層の勃興とも関連している。
 西欧がインドに衝撃を与えた第一期ともいえる18世紀から19世紀初期にかけては、ヒンドゥー教からキリスト教への改宗がかなりの数にのぼっているのが目立つ。ヒンドゥー教の指導者たちは、キリスト教からの挑戦を前にして途方にくれ、なんらなす術を知らず、改宗を防ぐいかなる対策も立てられなかった。しかしながら、このような期間はそれほど長くは続かず、事実、改宗者の数は、インドに対して与えた西欧の衝撃の大きさに比べたら、かなり少ないものであったとうにみえる。
 だがこのことは、キリスト教がヒンドゥー教に対してなんらの影響ももたらさなかったということではない。キリスト教への改宗を防ぐために、ヒンドゥー教の指導者たちは、宗教儀礼の大幅は改革や、堕落したヒンドゥー教各派ではすでに忘れ去られてた多くの古いヒンドゥー思想の復興を余儀なくされたのである。(P170)

ヒンドゥー教復興運動によって自国の文化を守る一方で、西欧文明の優れた点については貪欲に吸収し、時代に合わなくなったものは廃止するなど、常に現実に立脚しているところがインドの強みです。
 
Ⅳ.現実を肯定し、外圧の変化に応じて塗り重ねられるインド思想

 以上述べた第一期の流れは、続いてしばしば「ヒンドゥー教信仰復興運動」または「ヒンドゥー教の宗教改革」時代と呼ばれ、その両側面をいくらか合わせ持っているといえる第二期を招来した。この運動の先駆者はラーム・モーハン・ローイ(1774〜1833)である。 
 ラーム・モハーンは、宗教の面では前8世紀の「ウパニシャッド」にまでさかのぼったが、社会的問題に関しては進歩的な考えをもっていた。彼は、インド人は西欧の科学を学ばなければならぬと強く主張し、イギリス植民地政庁のインド総督に手紙を送り、数学、物理学、化学、解剖学、その他の有益な諸科学の教育の必要性を説いた。また、夫に先立たれた妻が亡夫の火葬の火に身を投げて殉死する寡婦焚死(サティー)の風習の廃止を呼びかけ、ついにイギリス政庁にそれを禁止させた。彼はまた、多くの新聞に関与し、一方ではベンガル語と英語の雑誌やペルシア語の週刊誌などを発行し、1823年には、新聞規制法に反対するキャンペーンを指導したこともある。(P172)

インドの可能性は、他民族や他文化に対する受容力の高さにあり、現実に有効な認識や文化に対する吸収力が高いところにあります。
インド編 その1で紹介したIT産業などは、まさにインド人の適応力の高さを示しています。
 
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(写真はこちらから)
しかも、単に受け入れるだけではないところがインドの強さです。インド人の力の基盤は、問題に直面した時に立ち返ることができるヒンドゥー教という思想の存在であり、他民族国家を統合するために思想の融合=統合を繰り返してきた歴史が培った論理能力の高さです。この点が日本人には決定的に欠けています。
 
日本人がこれから世界に出て行くためには、問題を解決するために必要な思想=新理論の構築と、欧米の詭弁を見抜き闘える論理能力の獲得は、喫緊の課題です。
 
日本はインドを政治上であまり重視していませんが、インドに学ぶべきところが多々ありますし、欧米社会に対抗しうるアジア世界構築するためにも、もっとインドに目を向けた方が良さそうです

List    投稿者 watami | 2010-07-14 | Posted in 07.新・世界秩序とは?1 Comment » 

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コメント1件

 ホモ | 2011.04.07 21:55

深く考えさせられる記事でした。

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