2009-12-18

『商品市場の背後に性市場あり』 その3 ・・・ 性権力を正当化する欺瞞思想=近代思想の正体

 
前回は、性市場の拡大過程で生産階級があたかも主人公であるかのように思い込まされるという『民主主義のペテン』について扱いました。
今日はその続きです。 前回は、こちら
 
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                    近代思想が心の充足を妨げている・・・
 
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市場拡大の原動力となった『近代思想のペテン』がなぜまかり通ったのか?近代思想がどの様にして実を結んだのか?
今回は、これらについて見ていきましょう。 
 
引き続き 『実現論 第二部私権時代 チ.性権力を正当化する欺瞞思想』 より引用してゆきます。
 

 性闘争=恋愛の主体は当然個人であり、その個人は、当然規範から自由でなければならない(何しろ規範破りの性闘争なのだから)。
 
そこで、恋愛が至上のものとして共認され、自由な性市場が繁殖してゆくと、下司な迎合男(近世・近代の思想家)たちが、活力溢れる性市場に幻惑されて(何しろ、そこは社会の最基底の男女共認が形成される場である)、「個人こそ社会の原点であり」、「自由こそ最も大切な価値である」などと主張して、現実には性市場にしか実在しない、個人や自由を社会全体の原点や価値にスリ替え、この事実に反するとんでもない架空観念が性市場の繁殖と共に広く行き渡って、社会共認となって終った。
 
こうなると、モテない男まで「我思う。故に我在り。」などと訳の分からないことを呟いて、個人主義・自由主義に加担してゆく。
 
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言うまでもなく、性的自我こそ、人類を滅亡に導く邪心の源なのであって、それが人間存在にとって原点である根拠やましてや至上のものである根拠など、どこにも存在しない。同様に、「個人が原点である」根拠などどこにも存在しないし、「自由が最高である」根拠もどこにも存在しない。
 
それどころか、それらの観念は悉く生命存在の摂理や人間存在の事実に反した嘘(or 幻想)であり、そこにあるのは邪心存在にとってはそう思い込んだ方が意識を統合し易いという自我の思い込み(=自我統合)だけで、事実に基づく根拠など一切無い。(考えてみれば、既にこの段階で、共認動物たる人類の滅亡は刻印されていたのである。)

 
 
「我思う。故に我在り」というのは、あのデカルトが「方法序説」の中で提唱した有名な命題ですね。また、ここで登場する『自我』はフロイトによる影響が大きくて、戦後日本では「個の確立」、「自我の確立」を是とする教育が行われてきました。『自我』に関しては、「個人主義者の詭弁 個人と自我」 や、「自我とは?(フロイトとラカン)」に詳しいので、是非御一読下さい。
 
この「性的自我」が邪心の源であり、それを原点とした「自由」「個人」という価値観が社会を埋め尽くすことになりました。
 

 但し、ここで「思想家」という者の特性に触れておく必要がある。近代思想を作ってきたのは、一般に現実に対する否定性(不安や不満)が強く、それ故に自我収束→観念収束の強い観念タイプの人間、もっとはっきり言えばかなり偏った人間である。従って近代思想には、常にどこか病的で虚弱な観念主義の臭いが付きまとっている。
 
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     デカルト         フロイト       ハイデッガー       ニーチェ
 
しかし、病的であれ何であれ、その観念が女の性的自我や社会的存在理由を正当化してくれる都合の良い観念でありさえすれば、それは共認され、支配共認となる。その様にして近代思想は形成され、共認されていったのである。

 
要するに思想家たちは、(知ってか知らずか)女の性的自我に迎合した思想を作り上げることで近代思想を拡大、浸透させたということですね・・・・
 

 この様にして、女(と迎合男)たちが恋愛(性闘争)や性権力の共認を男女解脱共認=最基底の支配共認として確立した以上、自由主義・個人主義をはじめ、全ての社会共認が女原理一色に染め上げられてゆくのは必然である。
 
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ところが、生殖存在たる女は元来、貯蔵や豊かさ志向etc.身の安定を求める傾向が強いが、他方の闘争集団への収束力は貧弱で、従って依存性が極めて強い。しかも性的自我の本質は、反集団性・反規範性に、つまりは反社会性にある。だから、集団や社会の為に何を成し得るかという発想は皆無で、専ら自分の為に社会は何を成すべきか(してくれるか)という発想しか出てこない。
 
そんな存在が、役割規範を破棄して性的自我に収束すれば、『集団や社会をどうする』という視点など完全に欠落し、専ら集団や社会に対して、豊かさや安定や保障を要求するだけの要求の塊と化して終う。つまり、集団=自己(集団あっての自分)という自然に則した存在原理が、集団捨象の自我収束によって徹底的に排除され、あるのは他者否定と自己正当化の塊たる自我と要求だけとなる。
 
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        他者否定・自己正当化がもたらすものは、孤独、虚無、偽り・・・

 
女性の安定性や依存性は本来必要なものですが、女性が本当に安定できる集団が解体してしまったのですから、社会に対して自分の為に何かをしてくれるように要求するようになってしまうのも無理からぬ構造なのかも知れません・・・
 
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                        不安に駆られる女
 
続きます!
 

List    投稿者 cosmos | 2009-12-18 | Posted in 07.新・世界秩序とは?4 Comments » 

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コメント4件

 saken | 2010.07.11 16:40

この記事を読んでくれた人から、なんとなく、「お金で安心感が得られる」と錯覚している、という感想をいただきました。
心を開いて充足しあえるという、人間同士の本物の充足が、とりわけ都市生活者には弱いのだな〜と実感しました。その代償の位置にお金があった。
・・・人間同士の充足や安心感がないから、犯罪もなくならない。
この本来の充足感を取り戻すのが先決ですね!

 ミキ&村石太マン | 2010.10.04 19:40

子供の頃 テレビで 豊田商事の結末の凄さを 今でも
忘れません。テレビの映像での殺人事件
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