TPPから見る世界の貿易情勢〜4.日本が置かれた状況
TPPへの参加を検討することになった日本ですが、そもそも、日本の貿易に関する他国との協定は現状どうなっているのかを押さえておく必要があると思われます。TPP参加の是非をめぐっては、報道されてはいますが、現状どうなっているのかについては全くと言っていいほど報道されていないのではないでしょうか。
そこで、シリーズ4回目となる今回は、日本が置かれた現状について、調べてみたいと思います。
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1.ニュースのおさらい
2.TPPの位置づけ
3.関税について
いつも読んでくれてありがとうございます 😀
今回も応援ヨロシクお願いします 😉
まずは、下の図をご覧ください
日本はすでに、ASEAN、メキシコ、チリ、スイスとEPAを締結しており、更にオーストラリア、インド、ペルー、GCC加盟国(バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、サウジアラビア、UAE)と交渉中なのです。そして、これらのEPAでは関税は原則撤廃ですが、コメ・麦や乳製品などの国家貿易品はその対象から除外されています。
(上図は日本を中心とした関係を書いていますので、日本以外の国についてはその協定関係の全てを網羅している訳ではありません。)
一方、お隣の韓国はと言うと、「FTA自由貿易協定こそ繁栄の道」だとして、主要国と積極的にFTA協定を結んでいます。
具体的には、ASEAN、EU、米国、中国、ロシアなど。この中にはまだ交渉中のものもありますが、注目すべき点は、個別の国と協定を結んでいるという点です。例えば、韓国は現在、ロシアとの交渉を進めています。韓国の現代自動車はロシアに自動車工場を建設し、これによりロシアにおける輸入車のシェアを現在の3位から1位にしようとしています。他にも電気製品の工場など、ロシアとの経済連携を高めることで、FTA合意をめざしています。また、つい先日(12月3日)、韓国は米国との間でFTA交渉で合意に達しました。自動車分野においての交渉が難航しましたが、米国による輸入関税の撤廃時期を先延ばしすることに韓国側が譲歩することで解決したようです。このように、韓国はTPPなどの経済ブロック圏を作るよりも、個別に協定を結ぶ方を優先する戦略を採っているのです。
日本もEUとの協定を模索していました。しかし、「非関税障壁」が文字通り壁となって、話がうまく進まなかったようで、痺れを切らせたEUは先に韓国とFTA協定を結んでしまいました。EUの本命は日本とのFTA協定締結でしたが、うまくいかないため、韓国と協定を結ぶことで日本に圧力を掛ける作戦のようです。
ここで、「非関税障壁」について簡単に触れておきます。
非関税障壁とは、関税以外の方法によって貿易を制限することです。例えば、TPPによって医療・介護の現場への開放が進む結果、外国人看護師が日本の医療現場に入ってくるとします。その際、英語を話せない日本人患者は彼らにとっては「非関税障壁」者となります。同じように、外国語表示のないお店は「非関税障壁」店と見なされます。自由貿易協定によってGDPが上がると喜んでばかりはいられません。このような負の面があることをしっかり認識しておく必要があります。非関税障壁については、次回で詳しく扱う予定です。
さて、話を戻しますが、日本は現状でも結構多くの国と協定を結んでおり、コメは守りつつ関税を撤廃しています。いまさらTPPに参加するメリットは本当にあるのでしょうか?
試算(→リンク)によると、TPP参加による輸出拡大効果は実はしれています。参加しなければ米国やオーストラリアなどへの輸出が関税の分だけ不利になると言われますが、その「関税の分」とは、ほんの数パーセントにすぎません。
過大な経済効果をはじき出して見せる内閣府や経済産業省、さらには、それを声高に伝えるマスコミには非常に違和感を覚えます。本当に日本のことを考えているの?と思ってしまいます。TPPにおいては、米国が主導権を握ろうとしています。政府やマスコミがこのような対応をする裏には米国の意図があるのでしょうか?このあたりは、次回、追求していきたいと思います。
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コメント8件
mihori | 2012.01.05 22:03
民主主義を過大視はしているのではありません><。
“民主主義が色々な問題の元凶になっているのでは!?”と問題視しています。
コメントいただいたように、民主主義に色々定義が考えられること、そして、
フランス革命から200年経っているのに理想の民主主義を未だに追求してること自体、
民主主義は欺瞞だということを証明しているのではないかと考えています。
>「民主主義」を名乗っているものが民主主義なのか、あるいは前提を欠如しているものなのか。
>それらは機能しているのか機能不全なのか、などなど様々な観点を区別して論じなければ、
>どういったシステムでもダメだ、となって終わりでしょう。
その通りだと思います!
だからこそ、民主主義というものは一旦捨てて、
ゼロから考えることが求められているのではないでしょうか^^?
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今日は よろしくお願いしますね^^すごいですね^^
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匿名 | 2011.10.25 14:08
過去のものを含め全てを読んだわけではありませんが、結論としては、民主主義を過大視し過大に失望しているだけのように思います。
民主主義の定義は何か、それは何と異なるのか。
「民」とは誰か、何か(ルソーのような一般意思といった概念を肯定してしまえば話は全く違うものになる)。
次に「個人」や「人権」は語られなくなったと言っていましたが、民主主義とこれらの相互関係はどうなっているのか(端的にいえば相互に矛盾関係が生じた場合、どちらが優先するのか)。憲法を語っていますが、憲法(近代的憲法・立憲主義)の意義はこの点にあります。
こういった基礎的な部分の理解が欠如しているように読めました(最もこういった基礎的なことをちゃんと書いてある書物は少ないですが・・・)。その他、多数決民主主義が妥当なのかそうではないのか(民主主義=多数決民主主義ではない。たとえば憲法でも特別多数を要求しているものもあるし、立場によっては全員が同意してもダメというものもある)、また民主主義にとって討議をどう評価するのか(討議民主主義)、それを欠く民主主義は?などなど。
こういった基礎理論を踏まえたうえで、その実態。「民主主義」を名乗っているものが民主主義なのか、あるいは前提を欠如しているものなのか。それらは機能しているのか機能不全なのか、などなど様々な観点を区別して論じなければ、どういったシステムでもダメだ、となって終わりでしょう。