【シリーズ:新しい認識だけが、現実を変えていく】(10)〜残る観念は頭で塗り替えたら終い〜
●天動説から地動説への転換は大きなパラダイム転換だった!!
【シリーズ:新しい認識だけが、現実を変えていく】で扱ってきた内容です↓
(1)〜必要意識⇒課題意識には、不全発と可能性発の二通りある!〜
(2)〜不全発の『変革の必要』から、実現発の『認識の必要』への大転換〜
(3)〜社会運動の総括1 現実否定の自己欺瞞〜
(4)〜社会運動の自己欺瞞〜
(5)〜現実捨象の倒錯観念から、観念捨象の現実直視へ〜
(6)〜現実否定の倒錯思考〜
(7)〜現実とは、人々の意識である〜
(8)〜実現基盤を摘出できない、現実否定の「構造認識」〜
(9)〜現実、その下部意識と上部意識〜
今回扱う「〜残る観念は頭で塗り替えたら終い〜」を読んでみると、まず文中の「パラダイムって」言葉って何だろう?!って疑問が浮かんできました。
一般に「思考の枠組み」という風に解説されている言葉ですが、茫洋としていてわかったようでよくわからない 🙄 言葉です。
でも、それを、
「パラダイム=潜在思念の統合様式」と考えてみたら、思いの他スッキリ 😀 とつなげて考えられるようになりました。
その時代の外圧に適応すべく、潜在思念がとらえた新たな可能性に導かれて思考し、その時代にあった観念が生み出されていく。だから外圧が転換すればパラダイムも転換するし、常に可能性に向かって行くから、不可逆的になるんですね!!
外圧は既に私権から次の圧力へ変わってます。それに見合った観念を生み出すにはどうしたらいいのか?今の時代の状況はどうなっているのか?がわかる『観念パラダイムの逆転6 残る観念は、頭で塗り替えたら終い』を紹介します☆
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既に、最も重要な下部意識は、私権収束から本源収束へと転換した。従って、今後(30年間)は、上部意識=観念に焦点が移る。社会の最先端では、旧来の私権闘争に代わって、観念闘争が、最もホットな場となるだろう。
既に述べた様に、旧パラダイムと既成観念は、本源収束の出口を塞ぎ、社会を八方塞がりの状態に陥らせている。もしこのまま、旧パラダイムから脱却できなければ、人類は滅亡する。しかし我々は、遂に、生存圧力に基づく現実否定→倒錯思考の観念パラダイムを全的に逆転させる新パラダイムを見出した。それは、同類圧力に基づく現実肯定→実現思考の観念パラダイムである。それは、とことん現実に立脚し、現実を直視し続ける思考パラダイムであり、旧パラダイムの生み出した倒錯観念(古代宗教)や欺瞞観念(近代思想)を全否定して、本源収束を導く全く新たな状況認識(誰もが認めることのできる事実認識の体系)を構築してゆくだろう。
この新パラダイムの登場をもって、共認闘争=観念闘争の幕が切って落とされる。現実否定(or捨象)の既成観念を、全的に爆破せよ。旧観念は、現実を否定(or捨象)することによって、自己欺瞞(上部意識と下部意識の断絶)に陥った。それに対して、本源収束の下部意識に立脚する新観念が、旧観念を全的に爆破しても、何ひとつ困ることはない。数億年・数百万年の塗り重ねによって形成された下部意識を、頭で都合良く変えることなど出来ないが、観念は頭で塗り替えたら終いだからである。
とは云え、単なる思想なら一つの時代に何種類か存在し得るが、思考パラダイムは一つの時代に一つしか成立し得ない。しかも、旧パラダイムから新パラダイムへの移行は、不可逆的である。つまり、旧パラダイムはどうあがいても、新パラダイムにその座を明け渡すしかない。ならば、学者や文化人や報道人etcの知識階級は、一日も早くその座を明け渡すのが世の為であり、身の為でもある。彼らは、その私権に塗(まみ)れた特権的な身分を、なかなか手放そうとしないだろうが、あがいても無駄である。どうあがいても、特権的知識階級は消滅する運命にある。おそらく、万人(素人)による認識の創出と共認形成の場(=統合サイト)が、いずれ新たな社会統合機構となって、彼らに最終宣告を下すことになるだろう。 ******************************************
外圧に適応すべく、潜在思念が捉えている可能性を素直に言葉にしてゆくと、旧パラダイムでは表し切れない、新パラダイムの言葉が必要になる。言い換えれば、今の圧力に適応した言葉は私権時代の言葉ではずれてしまうって事。
最近良くある事例としては、同じ事象を体感したおじさんと若者がいた時
・おじさんは否定的に捉え発信
・若者は肯定的に捉え発信
って事があります。すでにその時点で新・旧の思考パラダイムのズレが出ている。とはいえ、生物の適応原理からしても、より新しい外圧に適応した新パラダイムへ移行していくことを考えれば、現実の圧力に即した思考に、もしくは、新パラダイムで思考できる層に社会の主軸が変わっていくのを感じます☆
旧観念を垂れ流すマスコミにうんざりしている人が増えていることは、マスコミの広告宣伝費が如実に下がっている ことから分かります!!↓
●日本の広告費の推移
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コメント5件
gokuu | 2012.01.24 22:45
コメントありがとうございます。
三河時代から徳川は家臣団が有名です。
ところが、徳川政権樹立期になるとその影が薄いのが気になるところです。
大きくは、その結果、樹立した政権が、商人優位の政治フレームであったことが、疑問の中心です。
茶屋四郎次郎を始めWキャップの参謀たちがどのように家康の周りに取立てられていったのか?
信長の時代から、武器(=鉄砲)の供給力を背景に、影響していった堺の商人の出自などから更に追求して行きたいと考えています。
今後とも、お楽しみください。
今後とも、ご助言も頂ければ幸いです。
因みに・・・・・淀屋4代目のけっ所の原因の仮設も納得のいくものです。
泰平が続く中、官僚支配〜官僚同士の覇権闘争へと流れていくこれまでの時代の流れは、現代のそれととても似ていて、その原型がこの時代に作られたのかもしれません。
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立池 満 | 2011.12.01 22:12
いつもながらの力作、楽しみにしています。
さて「江戸時代の商人」ですが、もしや彼ら黎明期の江戸を開発し秩序を確立したリーダーたちが実はWキャップ、つまり家康の直属隷下の武士でもあった、という最大のポイントが少しぼやけて・・・(失礼!)。
ご存知のように関が原以前から夏の陣終了まで家康を支えた茶屋四郎次郎は「中島ヒロノブ(延信?)」という、少年期から家康と行動をともにしてきた最大のパートナー、プロデユーサのような武士でした。京都茶屋町と、夏の陣以降は江戸日本橋を差配し、徳川和子(まさ子)の輿入れ(後水尾天皇側室に)も実現させ、彼女の周囲に千家や楽、松花堂など文化人を配し、江戸文化のバックボーン形成までしました。
ちなみに吉原差配の庄治陣内も四郎次郎のスカウトです。
淀屋常安は岡本三郎衛門与三郎(彼は下級の野ぶせりあがり、四郎次郎がリクルート)、江戸金座差配の後藤庄三郎も元は家康の若手親衛隊から。
江戸の町を実質的に仕切った3人の商人(後藤新平の「江戸の自治」など研究書では「町年寄」「町役人」という表記)にいたっては
伝馬差配=奈良屋庄三郎こと小笠原庄三郎、
度量衡管理及び商流差配=樽屋三四郎こと水野康忠
(家康の従兄弟)
薬種差配=喜多村彦左衛門=北村彦左衛門
という、事実上の組閣に等しい布陣でした。
後藤、小笠原は「家康神君の峠越え」の時、命がけでで家康を守りきった精鋭でした。
北村だけは前田利家からもらった情報リーダーで、薬種卸、販売を生業と見せながら、情報収集と硝石(弾薬材料)の開発、管理を差配した。
こう見ると、物流、人流(伝馬)、商流、通貨政策、軍のロジステイック、すべて直轄部隊が掌握しながら、その費用は「商人」として自ら拡大再生産するという、理想的な「小さな政府」を実現したわけですね。
ただ残念なことに「制度化」までいたらず、背景を知悉していたのは秀忠まで、家光になると、「「商人の分際で偉そうだ」という感覚になりました。彼らWキャップの武士=商人たちも3代目、4代目。淀屋4代目がけっ所となったのは、大阪中ノ島米帳合取引所をねらった幕府新世代官僚と後発商人・住友の陰謀ともいわれますが、まあ仕方が無かったでしょう。
帳合取引所は堂島に移され、幕府直轄になった。銀座、金座いずれも幕府官僚の息がかかった商人に変えられました。
ちなみにWキャップというのは米軍用語で、在日米軍総司令官が同時に在韓総司令官だったり、一等書記官がNSA地域トップだったりする、複数のポジションを持つ役割をさします。