2010-06-23

BRICs徹底分析〜インド編 その2.インド独立後の経済と政治

前回のインド編 その1では、インドでソフト産業が伸びた要因を扱いました。 
 
中国に次ぐ高いGDP成長率を維持し、今や世界経済を牽引しているといっても過言ではないまでになったインド経済は、どのようにして作られたのでしょうか? 
 

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ネルー(左)とガンジー(右)

今後の世界経済を予測するためにも、インド経済の動向は注目されます。そこで、今回は独立後のインド史を、経済と政治を中心に振り返ってみます。 
 
1.インド独立後の経済政策の歩み。社会主義的な経済政策から市場化政策への変遷
2.農業国家インドの危機。市場原理の色彩の強い「緑の革命」の導入
3.IMFは、国家資産を収奪する機関。IMF支援により一層市場化に巻き込まれていく
 
 
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1.インド独立後の経済政策の歩み。社会主義的な経済政策から市場化政策への変遷 
 
1947年イギリスから独立したインドは、米国と中国がパキスタンとの関係を深めるにつれ、時を追ってソ連に依存する動きを強めました。とくに1974年に第三次印パ戦争が勃発したのをきっかけに、インドとソ連は「平和・安全・友好条約」を締結したことで、政治・経済のみならず、軍事的にもソ連に依存する度合いが強まりました。 
 
その後、冷戦終結に向けての国際情勢の変化は、インドにも大きな影響を及ぼし、1979年の経済危機を乗り越えるためにIMFから巨額の借款をするなど、経済自由化へと転換し始めました。 
 
まずは、独立後の年表を見てください。 
 

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年表は、インド株式オンラインさんから引用させていただきました  
 
上記年表で、インドの対外政策上、いくつか重要なポイントがありますので、解説していきます。 
 
 
2.農業国家インドの危機。市場原理の色彩の強い「緑の革命」の導入 
 
インドは1962年から1966年にわたって、大不作に見舞われました。このとき、インド農業大臣のアドバイザーであったスワミナサンは、フォード財団の協力を得て、植物育種・灌漑設備の整備・農薬のための融資を含む、いわゆる「緑の革命計画」を開始しました。 
 
その結果、1968年の収量は1967年の1,130万tから1,650万t(46%増)に伸びたのです。 
 
ところが、1970年代に入ると増産効果にかげりが見え始め、新品種の干ばつに対する抵抗力の弱さから、72年には異常気象による不作に見舞われてしまいました。 
 
また、新品種は多量の農薬を必要とするし、化学肥料も水も多量に必要とすることから、灌漑施設、化学肥料、農薬、豊富な水などの近代的投入・多額な投資を必要とし、富農と貧農の二極分化が進んでしまいました。 
 
さらに、1980年代にはいると異変があらわれました。ウォーター・ロギングという現象により、田畑が水浸しになり、土地が多量の化学肥料の投入、そして灌漑により塩類集積を起こし、荒廃した土地となってしまったのです。その結果1エーカー当たり2tだった収量が15kgにまで減り、パンジャブ州の6万haもの土地が塩害を受けました。 
 
「緑の革命」は、一時的な収穫量の増大には貢献したものの、農薬や化学肥料を必要とする近代的農業はコストがかかり、農家の経営を圧迫し、結局は飢餓が広がるという結果に終わっています。 
 
余談になりますが、緑の革命をインドに持ち込んだスワミナサン博士は、その後食料安全保障の見地から緑の革命に批判的な立場となり、持続的農法の推進者となりました。 
 
(参考)
『緑の革命』
『途上国を市場に巻き込んだ「緑の革命」』 
 
 
3.IMFは、国家資産を収奪する機関。IMF支援により一層市場化に巻き込まれていく

緑の革命による財政悪化、アメリカの援助打ち切り、石油ショックなどで経済危機に追い込んでおいて、「救いの手」としてさしのべたのがIMF融資ですが、IMFは発展途上国に民営化・自由化を強要することで、国家資産を収奪することが目的であることが、ほぼ明らかになっています。 
 
・IMFも世銀も、純粋な任務を帯びて1944年に誕生した。世銀は戦後の復興と発展プロジェクトに資金を供給すること、IMFは一時的に国際収支赤字に陥った国家にハードカレンシーを貸し付けることが当初の使命だったのだ。 
 
・IMFと世銀が変わったのは1980年からだ。
・80年代はじめ、石油価格が5倍に跳ね上がったことと、ドル利払いの急増で大きな打撃をこうむった第三世界の国家は、IMFと世銀に対し支援の要請をした。しかし彼らに与えられたのは、債務免除ではなく資金の貸し出しと引き換えにさまざまな融資条件がつけられた構造支援プログラム( SAPS)というものだった。 
 
詳細は国によって異なるものの、債務借り換えをちらつかせながら、貿易障壁の撤廃、国の資産を海外投資家に売却すること、労働市場をより「柔軟」にすることなどを指示している点では共通だ。

「日本を守るのに右も左もない」さんより 
 
’60年代の「緑の革命」、’80年代のIMFの介入は、途上国を市場に巻き込むためのであり、現在のインドの市場拡大はその結果である可能性が高いです。 
 
日本が、’85年のプラザ合意からバブル経済に突入し、バブル崩壊とともに資産を収奪されたように、また、「規制緩和」という大義名分の元、日本買収計画がちゃくちゃくと進められているように、インドも欧米の餌食となってしまうのでしょうか・・・  
 
それとも、2600年前からアーリア人に侵略されつつも、伝統文化を守り続けているインド人は、したたかに欧米と渡り合っていくのでしょうか  
 
次回も引き続き、インドを分析していきます 😀  
 
(参考)
『日本をバブル崩壊に追い込んだ米国 中国が半歩譲れば標的に?』
『金融ビッグバン年表:周到に進められた、日本買収計画』
『シリーズ「インドを探求する」第3回 〜地理的観点からインド史を観る』
『インド経済の状況把握』 
 

List    投稿者 watami | 2010-06-23 | Posted in 07.新・世界秩序とは?2 Comments » 

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コメント2件

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