2011-01-26

シリーズ 認識形成の場が国家と市場を超える(2)〜ゼロから、自分たちの『場』を作る活動〜

 
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行き詰まった社会に悲観するのではなく、これから自らの手で(=みんなで)新たな社会を作りだしていく転換期であり、そのことが求められている時代だと捉え返せば、何をすべきかは自ずと見えてくるでしょうし、その萌芽はすでにネット上にも現れてきているように感じます。
 
ネット上には、事実が報道さえないマスコミに対する批判は勿論、事実そのものがより早くより正確に発信され続けており、マスコミ自体がネット情報を後追いで報道することも多くなってきており、ネットの論調が社会的にも無視出来なくなりつつあります。
 
マスコミや検察、官僚、政治家など、古い権力はいまだに残り続けてはいますが、彼らが迷走し、暴走し続ける様はあまりにも愚かしく、私たちにとってはすでに見るに堪えないものになっています。私たち自身の内にあるその感覚自体が、すなわち新たな社会=自分たちの『場』を求めているものである、というのは言い過ぎでしょうか?
 
人類は、常に可能性に向かって進化適応してきた存在であることを思い返せば、今の逆境と「何とかして欲しい」というみんなの期待こそが新たな可能性であり、「何とかしたい!」と想う人達のエネルギー源(活力源)となっていることは、改めて説明する事自体が失礼に当たるかも知れません。
 
この「何とかしたい!」という想いは、すでに心ある人達の誰もが抱いている想いであるのでしょうが、「どうして良いのかわからない…」ということだけで心の奥底に留まっているに過ぎないでしょう・・・
 
それでは、改めて、みんなの意識を結集する『場』とは?その活動とは?について考えていきたいと思います。
 
 
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超国家・超市場論16 ゼロから、自分たちの『場』を作る活動 より引用
 
 

認識形成の『場』の構築とは、人(ひと)欠乏や認識欠乏を顕在化させ、人々の新しい活力源を作り出す活動であると同時に、人々の協働活動と評価共認に基づく、全く新しい社会統合機構を作り出そうとする活動である。
 
しかも、それは人類の新たなまつり場であり、そこでは『場』に参加することが、そのまま『場』を構築することになる。云い換えれば、『場』に参加するだけで、『場』の構築という事業の立派な協働者となる。従って、人々が次々と『認識形成の場』に参加するだけで、国家に変わる新しい社会統合機構(の中核)が構築されてゆく。
 
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それは、自分たちでゼロから着実に新しい『場』を構築してゆく運動であり、従来の国家や市場に要求するだけの「社会」運動とは全く位相を異にしている。旧体制(国家と市場)自身が行き詰まって終った今、国家や市場に要求しても事態を悪化させるだけであり、その様な欺瞞的な社会運動は早晩旧体制と運命を共にすることになるだろう。
 
それより、新しい社会統合機構が出来れば、旧体制とりわけ国家そのものはどうなるのだろうか?まず、現状の国家の存在基盤を見てみよう。

 
 
上記の内容を整理して図解にしてみましょう。【図解もと】
 
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新しい活動は、自分たちでゼロから着実に新しい『場』を構築してゆく運動であり、従来の国家や市場に要求するだけの「社会」運動とは全く位相を異にしてることがわかります。
 
 
引用文にある「要求するだけの社会運動」とはどういうものかを以下に示します。

共認革命6 チンケな運動(要求運動の終焉) 
 
社会的な問題意識の高い人々の中には、環境その他のサークルで活動している人も多い。しかし、どのサークルも参加者は少なく、ネットワーク化も進んでいない。従って、それらの活動が大きな運動に盛り上がってゆく感じがしない。何より、それらの活動の集積が社会を変えていくとは思えない。だから、普通の人は参加する気になれない。
 
この悪循環の根は、古い運動(論)のパラダイムにある。
´70年、貧困が消滅した途端に、思想は輝きを失い、無思想・無関心が蔓延していった。思想の終焉である。そして、思想の終焉と共に、運動は閉塞していった(ex.´70年以降の社・共の凋落は、誰の目にも明らか)。
その原因が、豊かさ追求(貧困からの脱出)と、それを正当化した近代思想(自由・個人・人権)と、それに導かれた要求運動というパラダイム全体の終焉であることは明らかである。ところが、今なお多くの運動が、とっくに輝きを失った近代思想に依拠し続けている。それでは、誰も(ごく一部の人しか)「運動」に参加してこないのも当然だろう。
 
もともとこの社会(市場社会)は、近代思想(恋愛・自由・個人・人権etc)に導かれて成長してきた。その同じ思想に立脚して、体制を転換させることなど出来る訳がない。にも拘らず、(新しい思想を構築しようとはしないで)「運動」を存続させようとすれば、身近で具体的な運動目標を結集軸にするしかなく、(もともとが体制と同じ思想に立脚しているので)身近な運動目標に埋没すればするほど体制に絡め取られて、体制の補完物になってゆく。
 
つまり、各運動団体は、今や夫々に体制の部分部分の穴埋め補修の役割を担うことによってかろうじて存続しているだけなので、自分たちの運動を統合するネットワークさえ形成できないのである。これでは、全国民的な運動NWに発展してゆける訳がない。
 
注:この点は、新しい運動である筈の、環境運動も同じである。
云うまでもなく環境破壊・肉体破壊の原因は、市場拡大にある。にも拘らず、市場拡大を推進してきた旧思想に代る新理論を構築できず、当の旧思想に依拠したままなので市場の補完運動に堕し(それではごく一部の人しか参加しないので)、環境運動のNW化さえ出来ないでいる。

 
 
すでにおわかりでしょうが、行きすぎた福祉や年金制度、過剰な権利の要求はもとより、国家や市場に要求するだけの社会運動では根本解決(答え)にはならないのです。
 
これら要求するだけの運動により、結局は国家や市場に絡め取られて、国家(政治)も市場も暴走する一方で、世界的な経済破局も目前という状況です。
 
 
(次回に続く)

List    投稿者 cosmos | 2011-01-26 | Posted in 07.新・世界秩序とは?4 Comments » 

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コメント4件

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