2009-10-24

『経済学って、本当に正しいの?』4 〜何故これほど市場を絶対視するのか〜

 『経済学って、本当に正しいの?』シリーズの第4弾
 前回の第3弾では「市場拡大に必要なもの」に注目し、『市場拡大には国家統合における不安定要素が不可欠である』という基本原理があることを紹介しました。 😉
 国家や国民は「豊かさ実現」、金貸しは「金儲け」という思惑から、目標共認として「市場拡大」は一致しています。
 でも一方で、安定した社会秩序を望む国家や国民と、市場拡大には不安定要素が不可欠であることに気付いている金貸しとでは矛盾を孕むこととなります。
 この矛盾をいかにして誤魔化し、正当化する屁理屈を作り出して行ったのか?また不安定要素って何?という疑問に答えてくれる引用文紹介してみたいと思います。
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るいネット秀作投稿 何故これほど市場を絶対視するのか(1)

では逆に何故これほど市場を絶対視とすることになったのか?このあたりを70年〜80年の経済構造の変化をもとに調べてみました。
70年代の半ばを境にして経済構造は大きく変化してきたと考えられる。ニクソンショック、第一次石油ショックによって引金を引かれた変化が、政治、文化、生活へと波及しながら社会の場面転換を作っていく。日本では74年の実質マイナス(−0.2%)の成長率になりそれまでの年率10%代の高度成長の幕が降ろされる。アメリカにおいてはスタグフレーションが観察されるのである。

経済指標指数グラフ

それは確かに「不確実性の時代」の幕開けであった。変動相場制は貿易財関連企業にとっては大いに不確実性の高い精度であり、そのことは主要産業の原材料の大半を輸入し、成長率の相当部分を外需に負う貿易立国としては、経済の中軸部に不確実性の巣を作ってしまったようなものである。
おまけに為替レートの変動は、決して各国のGNP、成長率、物価水準といった「ファンダメンタルズ」を反映したものではない。その結果、各国の経済政策が、たとえば為替レートの動きにそのように反映されるか、その結果貿易収支がそう変化するかは、決して簡単明瞭に予測できる事項ではなくなってしまったのである。こうして経済政策自体が大いに「不確実性」をはらんだ経済活動になってしまう。
「不確実性の時代」にあっては、経済活動は教科書通りの動きは見せない。ひとつの変動と別の変数を結びつける因果の連鎖が定常的な反応を示さない。その結果、経済政策は期待通りの効果をあげることはできない。金融緩和により景気拡大政策が逆にインフレ率と失業率を高めるスタグフレーションを引き起こす結果ともなりかねないのである。
そこでむしろ経済政策の有効性を原則的に否定し、政府の経済管理を可能な限り縮小しようとする「新自由主義」が登場することになる。(現在の小泉政権の小さい政府も同じ軸上です)しばしば「新しい古典派経済学」と呼ばれることになる新たなタイプのマクロ経済理論が古典派的な市場万能論への復帰を唱えるのである。
こうして新自由主義の呼び声と共に市場均衡論が復位する。何と。この不確実性の時代に制御するのは市場メカニズム以外にはないという考えかたが再び主張される。
同時に市場メカニズムの哲学的基礎が自由の観念であったことがもう一度想起され、自由という旗印のもとで「市場」か「政府管理」かという二者択一の古典的対立の図式が持ち出される。市場における消費者の自由な選択と私的な営利企業の利潤追求が「自由」の内容であり、政府の経済への介入が「自由」への制限だとする、何度となく繰り替えされてきた議論が再び叫ばれる。

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   野心家のニクソン                   1973年 第1次石油ショック
   画像は国会傍聴記                  トイレットペーパーや洗剤が店頭から消えた
   by下町の太陽・宮崎信行のブログ         店頭に並んだ輸入トイレットペーパー
   より引用させていただきました。          日経、産経ニュースより引用
1971年のニクソンショック(ウィキペディア(Wikipedia))
1973年の第一次石油ショック(1978年第二次オイルショック)(ウィキペディア(Wikipedia))
上記の代表的な事象が、以降の世界各国の経済構造を大きく変化させたといっても過言ではありません。
インフレやデフレといった現象は、これまでの公共投資によるバラマキや金融政策によって均衡を保ってきていましたし、それまでの経済学によって一定理論化が行われてきました。しかし、その経済学では適応できないスタグフレーション(ウィキペディア(Wikipedia))を発生させることになったからです。
第二次世界大戦以降、安定した社会秩序を望んでいる国家や国民を無視して、これまでのように世界規模の戦争による不安定要素を生み出すのが困難になった金貸したちは、世界経済に直接不安定要素を発生させる手段に転換したと考えられます。 🙄
スタグフレーションは、物価水準の上昇(インフレ)と景気後退が同時に発生する訳ですから、国が市場にいくら金をぶっ込んでも状況はそうそう改善はしません。その結果『国に任せてもダメじゃん』という共認が形成され、政府管理を縮小、市場の自由化を絶対視する『新市場主義』は正当化されます。豊かさ実現の目標共認となっている『市場拡大』は追い風となって、ますます市場は金貸しの独壇場となるわけです。 😡
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(パロディストのマッド・アマノさんの作品です。植草さんのブログから拝借
自ら不安定要素を作り出し、経済学者に『不確実性の時代』という言い訳をさせ、『新市場主義』を正当化するとは怒り心頭です! 👿
それにしてもそれらを補強する屁理屈を作り出している経済学って何なのか?
次回は中間整理として、経済学の変遷をまとめてみたいと思います。お楽しみに! 8)

List    投稿者 mtup | 2009-10-24 | Posted in 07.新・世界秩序とは?2 Comments » 

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コメント2件

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金貸しは、国家を相手に金を貸す | 「私権の失速・私権体制の崩壊」シリーズ(5)…大破局の真相

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