2009-11-28

「経済学って本当に正しいの?」9 〜市場「原理主義」の限界〜

 「経済学って本当に正しいの?」シリーズ第9弾、このシリーズも今回と次回で一旦完結する予定です。
 このシリーズを始める前提としての疑問は、「サブプライムを発端とした世界経済危機に直面し、このような状況に陥った近代経済学(学者)は、どのような学問で、彼らは何をしていたのか?」ということから始まり、その変遷を追求してきました。
 そして調べていく中で、経済学のいかがわしさ、そして経済学者はその背後にいる金融資本家の手先に過ぎないということが明らかになってきました。 👿
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 前回は、「市場の声」とは市場関係者の声であり、そんな気まぐれな「市場の声」に国家が振り回され、『国家が市場に従属せざるを得ない』というのは、本来ありえない狂った構造であることを紹介しました。
 では、国家が市場に従属するとどのようになるのか? つい最近の出来事なので皆さんも思い当たる節はあるかと思われますが、そのことを端的に著している投稿がるいネットにありましたので、以下に引用します。 8)
市場「原理主義」の限界

小泉改革が、アメリカ型の市場原理の徹底であることは、明らかになってきました。現在の不況は、その「序章」にすぎません。
■■新保守主義誕生が端緒
1980年代から90年代前半にかけて、新保守主義の大嵐が世界に吹き荒びました。
79年、サッチャーがイギリス首相に、81年、レーガンがアメリカ大統領にそれぞれ就任。そして82年、日本では中曽根康弘氏が首相となり、遅ればせながらの新保守主義政権が誕生したのです。
三人の政治家は、それぞれの国で新保守主義改革(自由化、民営化)を推し進めました。
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(写真は日経ビジネスオンライン、毎日jpより拝借)
90年代に入ると、市場万能思想は地球的規模に広がり、旧ソ連・東欧諸国、そして東アジア諸国の市場経済化が着実に進展します。
「社会主義の崩壊」は「資本主義の勝利」に短絡され、「グローバルな市場経済化は世界経済を未曽有の繁栄に導く」とのアプリオリ(先験的)な命題が、金科玉条のごとく奉られるようになりました。
いかなる自由主義国家であれ、マクロ経済の不安定と不均衡を是正するために、必要に応じて政府は市場に介入するものです。いかなる市場原理主義者にせよ、全面的な政府無用論を唱えたりはしません。
にもかかわらず、グローバルな市場経済に、あたかも政府は無用であるかのように市場原理主義者は言います。
1997年に、東アジアが通貨危機に見舞われるまでは、そうした言説に疑念を差し挟む向きは皆無に近かったのです。

(注記)
新保守主義
レーガン、サッチャー、中曽根の時代を基礎にする、経済政策における自由主義、社会政策における保守主義を指し、以前の産業保護、伝統主義などの右よりの旧保守主義と対比される。
市場原理主義
小さな政府を推進し、市場による競争を重視することが公平と繁栄をもたらすとする思想的立場。

■■「変化」への適応できず
「あつものに懲りてなますを吹く」というわけではありませんが、以来、グローバルな市場に何らかの規制を課すべきである、との主張が声高に唱えられるようになりました。
しかし、いかなる規制をいかにして国際金融市場に施すべきかについて、合意の形成には程遠い状況にあります。
グローバル資本主義への市場原理主義の安易な適用は、実に危険きわまりないのです。
90年代に入って加速された、経済のグローバル化、高度情報化、先進国のポスト工業化、途上国の工業化、環境問題のグローバル化、価値観の多様化、高齢化などの「変化」が、今後、更なる進展を見せるに違いありません。
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(写真はIPS記事より拝借)
世界の「変化」への「適応」という問題意識は、人々の潜在的な共通感覚となりつつあります。少なくとも欧州では、市場原理主義はほぼ完全に色あせました。その証拠に、欧州各国で社会民主主義ないし中道左派政権の登場が相次いだのです。

(注記)
グローバル化
旧来の国家や地域の境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を巻き起こす現象
ポスト工業化
工業化(製造業等)の次の産業(IT等、サービス業)
中道左派政権
穏健な左派(政治思想、政治勢力を大きく二分した時の革新側)

■■幅きかせる規制撤廃論
にもかかわらず、わが国の社会研究者、とりわけ経済学者の間では、相も変わらず、規制を撤廃し、競争社会を実現しさえすれば、それで万事が片付くかのように言う、素朴市場原理主義者がだんぜん幅を利かせています。
わが国の市場経済が不自由、不透明、不公正であることは、もとより言うまでもない。そうした市場を浄化する必要のあることについては、合意が成立していると見てよいでしょう。
問題なのは、市場を浄化しさえすれば、新たな成長軌道上を日本経済は順風満帆で走り続けることができるのか否か、です。この設問に「イエス」と答える楽観論に、政治家、経営者、官僚、経済学者の多数派がくみしているようです。
しかし、私は「ノー」と答えます。
一例を挙げれば、ポスト工業化の進展に伴い、国境を越えての「一人勝ち」の現象が、ほとんどの産業界で常態化しつつあります。
こうした自然独占が消費者の利益をむしばむことは言うまでもありません。
また、「一人勝ち」に至るまでの競争が必ずしも優勝劣敗ではないこと、そして「一人勝ち」の結果が市場にロックインされてしまい、技術を磨いた敗者の復活はあり得ないのです。
自然独占にどう対処すべきか。この問題一つを取り上げても、適切な市場の制御が求められているのではないでしょうか。

 市場原理主義は、「一人勝ち」、「勝ち組」といわれた企業や個人を作り出しました。企業ではヤフー、マイクロソフト、楽天、ユニクロ、マクドナルド、トヨタなど、個人ではホリエモンや村上世彰などが思い浮かびます。 🙄
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 例えばマイクロソフトは、インターネットエクスプローラーを無料配布し、ブラウザ市場を圧倒しました。 ネットスケープは見る影もありません。そしてOS市場もウインドウズにより独り占め状態です。さらにはパソコンにワード、エクセルを標準インストールすることによって、一太郎、ロータスを駆逐して行きました。(一人勝ちと独り占め)
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(写真は「題名のない日記」より拝借)
 このように市場を一人勝ち(独り占め)してしまった後はどうなるか?
 不当な値上げやサービスの低下、頻繁なバージョンアップによる買換え需要の創出、世の中の景気に陰りが見えると下請け叩きや派遣社員の解雇、リストラなど、利益追求のためには手段を選びません。 😥
 結局、彼らは『偽ニッチ』に過ぎなかったのではないかと考えられます。
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 そして、市場原理主義、『偽ニッチ』の暴走の行き着く先が、世界経済危機だったと断罪できるのではないのでしょうか。
 では、GDP信仰や市場原理主義に代わる可能性はあるのか?
 このシリーズのまとめとして、次回に取り上げたいと思います。 😉

List    投稿者 mtup | 2009-11-28 | Posted in 07.新・世界秩序とは?No Comments » 

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