2009-05-10

フランスのエリート養成制度

■先日の「類グループ何でや劇場会議」で、戦後教育を受けた日本の官僚や政治家(特に団塊世代以降)の無能化が話題になりました。
日本と欧米の統合者養成制度の違いが指摘されました。
そこで、世界の中でも歴史が古く、より先鋭的なエリート育成システムを作り上げたフランスの統合階級育成の実態を調査しました。
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エリーゼ宮
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●フランスのエリート教育機関には大きく分けて、一般大学と、グランゼコールとよばれる高級官僚養成機関があリます。(以下引用①はウィキペディア、②は「選択」09年2・3月号「あるコスモポリタンの憂国」)

○フランスで最優秀な学生は、例えばパリ大学やソルボンヌなどではなく、エリート校である超級グランゼコールへ行く。
※グランゼコールには医学・法学・神学の分野が存在しない。そのため、医者や弁護士、聖職者になりたい場合は、大学に進学する必要がある
・現在名門とされる国立のグランゼコールの多くは18世紀に設立された。こういった歴史の古いグランゼコールのほとんどが理工係技術者の養成機関である。これは、フランス革命によって貴族制が否定された後、新しく国家を再建するための人材(理工系の技術者)が求められたが、当時のフランスの大学は、職業訓練校・実学高等専門学校として機能しておらず、そういった分野の人材育成機関を国家が自ら用意する必要があったためである

。①

・グランゼコールの名門校としては卒業生が哲学界、研究教育界、数学界に名声を博している「ENS」と呼ばれるエコール・ノルマルがある。また、理工学系で産業界、政界に強い「X」と呼ばれるエコール・ポリテクニクがある

○グランゼコールの一つではあるが更にその上に略称 ENA (エナ)と呼ばれる、フランス国立行政学院という超エリートしか入学出来ないフランス随一の超エリート官僚養成学校が存在する。
他の多くのグランゼコールと異なり、大学またはグランゼコールを卒業後入学する高等教育機関(第三課程)であるから、いわば大学院レベルといえる。

・卒業前のインターンシップ段階で、既に地方の副知事ポストが約束されているほどの「新貴族」養成機関である。
・第二次世界大戦後1945年にドゴール将軍の提唱で設立され、歴史は浅いがフランス社会において絶大なる影響力を持っていて、とりわけ政界官界において、エナルク(Enarque、ENA卒業生の意)か否かでは天と地ほどの差がある。

○設立以来、ENAはその二つの国際課程の中で、2000人以上の各国からの留学生を卒業させた。 各学年は100人当たりのフランス人学生につき、40人余りの30ヶ国に及ぶ外国人留学生を抱え、同一の養成がなされる。
60年前の創立以来、ENAは5600名のフランス人と2600名の外国人を世に出した。ちなみに片山さつき現衆議院議員、古田肇現岐阜県知事(元経済産業省)もこの制度の卒業生。

●フランスのエリート教育は小学生の段階から始まります。(この辺は先進国共通かと思います:筆者)
まず小学1年から留年、飛び級でふるいにかけられる。
そしてリセといわれる名門高校(例えば、ルイ・ル・グランやアンリ・キャトル)に子供を入れることが最初の超難関。
めでたく名門リセに入学後は数学を中心に揉みに揉まれ大学入学資格を得るための統一国家試験「バカロレア」にほぼ満点合格すると、校長が大学ではなく「プレパ」へいけるかどうか、親に打診なく学生の行き先を決める。
※プレパとは前述のXやENSと呼ばれる超級グラン・ゼコールへ挑戦するための、リセのなかに用意されている大学レベルの2年間の「準備学級」のこと。
○このプレパの入学から真の受験学級が始まる。
理系は無論、文系でさえ数学が最重要であり、筆舌に尽くしがたい知力が要求される。
「2年間は太陽を見る時間がない」と比喩されるほど。
数学が重要視される理由は、科学技術が分からなければ高次元の戦略に参加するのは難しく、フランスでは国の未来に目線があるため「産業経済力は科学技術の1領域」としての視界が広がるという考えがあるから。
・グラン・ゼコール合格の可能性があると判断された学生は「コンクール」と呼ばれる入試テストを受験する。1項目4時間の論文試験が一日2項目、その「蒸留水の原理」で足きりして行くような試験が延々2週間(!)続く。
・筆記試験を通過した合格者には今度は口頭試問。5名以上の審査官からあらゆる質問攻めにあい、重要視される内申書も人間としての沈才の程度と全人格が露呈する。

○「ENA」へ入学するにはプレパ以外のルートとし、「シアンスポ」と呼ばれる国立パリ政治学院に合格する必要がある。プレパが準備学級であるのに対して、シアンスポはれっきとした名門グランゼコールである。
シアンスポの就学は5年間で、毎年約100名がENAへ入学する
シアンスポからは、ミッテラン元大統領、シラ元大統領、ドビルバン前首相ほか多数の首相や政官界の著名人を輩出している%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%85%83%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%82%AF.jpg
ジャック・シラク大統領

○ENAでは27ヶ月の教育後、所謂インターンシップとして合計8ヶ月のプログラムがある。
国外では大使に付いて直接研修を受け、国内では知事や大都市の市長に直接研修を受ける。
また民間でのワーカー体験も必修。大企業の統治者からの研修を3〜5ヶ月かけて全学生が行う。○ENAでは入学時だけでなく、卒業時「コンクール」が行われる。
10人の審査官が1人の学生を取り囲むように質疑応答。審査官には司法官、大学教授、海外の見識者も入る。
この審査では、質問に対して必ずしも答えがあるわけではなく、「知能はあるところまで来ると、突き抜けるもの」、それを見極める作業である。
学力以外に、国家の中枢課題を担う者としてのあらゆる能力が試される。長い官僚職の間に、途中で思考に柔軟性を欠いて固まってしまうようでは国も国民も困るとの思いがある


※日本でも小学校から熾烈な受験競争を経て東大卒業→中央官僚にいたるエリート教育の制度がありますが、フランスのそれと決定的に違うのは、学力以外の評価がほとんど為されていないことが問題です。・フランスでは、学力の指標としてまずは数学を筆頭に、充分優秀な知識の有無を見る。
それ以外に人間としての質実剛健さ、人物として資質・発展の可能性等を論文でも口頭でも徹底して見る。
・しかし非エナルクであるサルコジ大統領が大統領選に勝利した要因の1つとして「非エナルク、非エリート」があげられている。(中略)保守党に限らず、現実と遊離してエリート集団と化した社会党は「キャビア社会党」と呼ばれて失墜した。
・エリートによる閉塞感を一掃したいという国民の期待を担って登場したサルコジ政権では、弁護士出身の大統領以下、非エナルクが大半を占める。エナルクはペクレス高等教育・研究相とジュアノ環境担当相の2人だけだ。「東京のクマ日記」
・一方日本では学力テストのみで東大→中央官僚となる。
やがて一部は地縁・血縁・世襲で国会議員や自治体首長となっていく。
・そこには省益・局益あるいは狭い権益を守るのみで、民族、国民・国家をどうすべきかといった発想は生まれにくい。
・そういういわば薄っぺらな人品骨柄の人物しか戦後教育の日本では育たない構造にあるのは、国民にとっていかにも不幸なことです。
・しかし、日本にも一縷の望みはある
それは、欧米の「人物」評価の基準があくまで「自由・個人・平等」といった、古い観念による  
ものであるからです。
・非エナルクであるサルコジが大統領に選ばれたのも、この旧い観念による社会統合の行き詰まり
を何とかしようというフランス国民の意思の現われかとも思われます。
・今回の世界同時金融危機も個人・市場の自由が絶対という観念の延長線上での出来事といっても過言では有りません。
・日本の次世代に可能性があるとしたら、欧米流の個人思想ではなく、縄文以来の共同体的共認社会の系譜が残っていることにあるのかも知れません。

List    投稿者 ryujin | 2009-05-10 | Posted in 07.新・世界秩序とは?3 Comments » 

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コメント3件

 バランス | 2009.11.07 22:27

我が家の愛ネコをみておもうのは、
食って、糞して、寝て、また食って・・・
と同じことの繰り返し。
しかし、愛ネコにはそこに何の疑問も
不満もない様子。
翻って人間も本来、食って、糞して、寝ての
繰り返しのみで十分な存在なはずで、
生きがいや生きる意味なんて考えるから
人類総精〇病にかかってしまったのでは?
と思ってしまいます。
しかし、こんな発言をする人間こそ
病院にいけといわれる世の中なんですがね(笑)

 era | 2009.11.09 4:04

かつて消費で得た充足感というものを経験した幼少期。
それは、働くとこんなにすごい物が買えるんだ→お金ってすごい!→働いてお金を得るってすごい!!→親に感謝
という図式でした。
当然、そうして得た物は、大切に扱いました。
それらの物は、「仕事」の代償として家の中でも存在感がありました。
製品自体も重厚だった印象があります。
それだけに終わっていればよかったのに 比較的最近まで それは、少しかたちを変えて よりよい物(そう思っていた、思わされていただけなのだが)、新製品への目移り、購入、壊れていない物の買い替え、ちょっと無理した、でもさしたる目的もない家族での海外旅行(行ってきた、連れて行ったこと自体に目的があるような)等に変化してきたと思います。
でも その過程を経て今、消費では、本当の充足は、得られないと気付き始めた気風を感覚的にも感じています。
仕事に充足感を求める傾向にあることも ひしひしと感じていますが 若い世代は、家庭での仕事に充足感を求める傾向があるようにも思えます。
夫婦で働かないと今や子どもも持てない時代ですが 子どもを持たない夫婦が根強く増えてると言われてる中で 子どもを持つ選択をした夫婦は、仕事も家事も子育てもシェアして それも無理なく、楽しんでいるように思えます。
子育て中だから できないことも多い中、子育て中だから できることを楽しんでする、そんなことが上手いように思えます。
男性のゴミ出しも保育園の送り迎えも「やらされてる」のではなく主体的な感じにかわったように思います。
そんな変化も充足を求めてのことかと思います。
ひとりで負担感を強いられてきたように思えた子育ても こんな風に自然にシェアしてできれば充足できたのかもしれないと 子育てをしてきたものとして そういう潮流をつくれなかったことへ反省もしています。
男は仕事、女は家庭という役割分担がありましたが 女性が仕事をするというこは、家庭に差し支えない程度にという暗黙の圧力があったように思います。
今は、仕事も家庭もシェアへの自体に変わりつつあるのかもしれません。
同じ土俵を複数持っているということは、夫婦で共認関係をつくる上で よいことだと思います。
仕事と共に家庭も充足の場になりえるのではないでしょうか。

 hermes danmark | 2014.02.02 0:32

hermes birkin handbag 35cm black togo 金貸しは、国家を相手に金を貸す | 『これからの消費はどうなる?』6 〜消費や遊びより「仕事!」〜

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