2010-08-18

BRICs徹底分析〜ブラジル編 その5.ルーラ大統領とブラジル・ナショナリズム

ブラジル編も第5回です。
BRICsシリーズでは、指導者分析を試みています。当然ながら、大統領職を2期8年間務めているルーラ大統領です。 
 
第1回では、オリンピック誘致に成功して涙ぐむルーラ大統領を紹介しました。
第2回から第4回は、ブラジルの強みである「農業大国」「資源大国」の実情をみてきました。 
 
今回は、1945年10月生まれ、現在64歳の「ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ」大統領と、第二次世界大戦以降のブラジル動向を重ね合わせてみてみます。 
 
 lura01.JPG
1979年の金属労組のストライキを指導するルーラ氏。翌年の1980年には労働者党を設立。
写真はリンクから借りました。ポルトガル語サイトをグーグル翻訳で何とかあたりをつけました(笑) 
 
キーワードは、ブラジル・ナショナリズムです。 
 
1.早すぎたナショナリズム、1930年代、1950年代のヴァルガス政権
2.軍事政権下で国家指導者として鍛えられていくルーラ氏
3.ブラジル・ナショナリズムを体現、脱米路線を進めるルーラ大統領 
 
本文に入る前に、応援クリックを! 
 
 
 

にほんブログ村 経済ブログへ


1.早すぎたナショナリズム、1930年代、1950年代のヴァルガス政権 
 
ブラジルは、人種、混血のルツボ 
 
ブラジルは、ポルトガル人が侵略して築いた国です。先住民が数百万人いましたが、多くは殺戮されてしまいました。
ポルトガル人は、ブラジルの地で奴隷を使った大規模農場を経営していきます。奴隷は先住民とアフリカからの黒人奴隷です。ポルトガル人は奴隷狩りを目的にして奥地探検をしているのです。 
 
この奴隷制は、1888年の黄金法により終結します。しかし、農業労働者は必要なので、最初は欧州から(イタリアやドイツから)、次にアジアから多くの移民を受け入れていきます。 
 
このような歴史があって、ブラジルは多数の人種、混血が混在する国家なのです。
白人(ポルトガル人、イタリア人、ドイツ人等)、先住民、黒人、アジア人。そして、白人人種は少数なので、多数人種である先住民や黒人と交わり、白人と先住民の混血、白人と黒人の混血、白人と先住民と黒人の混血等が進んでいきます。

約一億六千万人の人口を持つブラジルの国民全体の人種構成は大体下記の通りです。 
 
−白人:約35%
−白人と黒人、白人とインジオ、及びそれら3人種の混血:約50%
−純粋黒人:約5%
−アラブ系、アジア系、ユダヤ系、インジオ、その他:約10%
(アジア系の中に国民全体の1%弱にあたる日系人約130万人が含まれています。) 
 
人種のるつぼ・2−ブラジルならではの混血人種;ブラジルではありとあらゆる混血が見られる

  白人の母親と黒人の父親を持つ子ども
  lura02.bmp
  高橋直子さんのブラジル人とアイデンティティーから 
 
早すぎたナショナリズム政権、ヴァルガス政権

奴隷解放から40年が経過した1930年代に、ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス氏が政権を取ります。1937年には、イタリア・ファシズムに影響を受けたエスタード・ノーヴォ体制を確立し、大学の整備、国家主導の工業化、ナショナリズムの称揚と移民の同化政策、中央集権体制の確立が進みました。 
 
1942年にヴァルガスは第二次世界大戦に連合国の一員としてイタリア戦線に参戦したが、独裁体制に対する不満が軍内部で強まり、第二次世界大戦終結後の1945年10月13日に軍事クーデターによって失脚しました。 
 
1946年に新憲法が制定された後、1950年にブラジル史上初の民主的選挙によってジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが大統領に就任しました。
二度目のヴァルガスはファシズム色よりも左派ポプリズム色を打ち出し、ブラジル経済の国民化を進めましたが、軍の抵抗に遭ってヴァルガスは1954年に自殺します。
(ウイキペディアを参照した)

人種と混血のルツボであるブラジルでは、支配階層である白人達は、欧米を向いていました。そして、黒人、先住民、混血者の下層階層は、まだまだブラジルという国家形成を意識できませんでした。 
 
ナショナリズム=ブラジル国家の形成を試みたヴァルガス政権は、下層階層をうまく組み込めなかったため、挫折します。 
 
ヴァルガス氏が最初の失脚をする1945年10月にルーラ大統領が生まれています。 
 
 
2.軍事政権下で国家指導者として鍛えられていくルーラ氏 
 
ナショナリズムの挫折時代に、苦難の成長をしていくルーラ氏 
 
ルーラ大統領の幼年期、少年期をみてみます。

1945年10月27日:ペルナンブーコ州の貧しい無学の農民の一家に生まれる。8人兄弟の7番目
ルーラ氏誕生の2週間後に、父親が母親の従妹と一緒にサントスに出稼ぎに出る(駆け落ち) 
 
1952年:一家が、父親のいるサントスにいき、父親のもう一つの家族と同居生活。ルーラ氏7歳 
 
1956年:二家族同居はうまくいかず、母親が8人兄弟を連れて、サンパウロに移り、パブの裏の小さな部屋で暮らしはじめる。ルーラ氏は11歳 
1957年:翌年、12歳で靴磨きとして働き始める
1959年:14歳の時、製鉄所で初めて正式の工員となる。働きながら小学校の課程を修了 
 
1964年:19歳の時、プレス工として勤務していた自動車部品工場で起きた事故で、指を失う。その頃から彼は労働組合に加入し、重要な役職に就くこととなる
(英語版及び日本語版のウイキペディアを参照した)

1956年に就任したクビシェッキ大統領は「50年の進歩を5年で」を掲げて開発政策を進め、内陸部のゴイアス州に新首都ブラジリアを建設し、1960年にリオデジャネイロから遷都します。しかし、この開発政策によって生まれた債務が財政を圧迫し、インフレが加速しました。 
 
1961年に就任したゴラール大統領はこのような困難な状況を乗り切ることが出来ず、1964年にアメリカ合衆国の支援するカステロ・ブランコ将軍のクーデターによって失脚しました。 
 
ブランコ将軍は軍事独裁体制を確立し、親米反共政策と、外国資本の導入を柱にした工業化政策が推進されました。
(ウイキペディアを参照した)

ルーラ氏の苦難の幼少期、少年期が、ヴァルガス大統領、ブラジリア遷都を実行したクビシェッキ大統領の挫折と重なりますね。 
 
そして、1964年のブランコ軍事政権の登場と同じ年に、ルーラ氏は自動車部品工場のプレス機械で左手の指を失い、労働運動に目覚めます。 
 
軍事政権下で、鍛えられていくルーラ氏とブラジル労働党 
 
軍事政権は、1964年から1985年までの20年間続きます。 
 
この軍事政権下で、ルーラ氏は労働運動の指導者、ブラジル労働者党の指導者として成長していきます。 
 
1975年、ルーラ氏はサンパウロ州サン・ベルナルド・ド・カンポおよびヂアデマの鉄鋼労働者組合の組合長に任命されます。サン・ベルナルド・ド・カンポおよびヂアデマは、自動車産業が立地する地域です。ルーラ氏は、基幹産業である鉄鋼・自動車産業の労働者代表となったのです。ルーラ氏は30歳。 
1978年にも再選され、その任期中に軍事政権時代長きにわたって行われてこなかった、大規模なストライキを含む主要な組合行動を組織します。軍事政権下のストライキですので、ルーラ氏も数ヶ月の投獄を経験しています。(最初の写真が、労働者を前にして演説するルーラ氏ですね。) 
 
1980年2月、ルーラ氏を含む学者、労働組合リーダー、知識人のグループが労働者党(PT)を発足させます。独裁政権のただ中において、進歩的な理念を掲げた左翼政党です。ルーラ氏35歳。 
 
1982年、ルーラ氏は自身初の選挙であるサンパウロ州知事選にルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァの名で臨みました。 ルーラ氏37歳。 
 
1984年、労働者党およびルーラ氏は民衆キャンペーン「直接選挙運動」に参加します。このキャンペーンは、次期大統領選挙における直接投票を要求するものです。 
 
1989年に、29年ぶりの直接選挙による大統領選挙が実現しました。ルーラ氏はこの大統領選挙に労働者党の候補として出馬しましたが、決選投票で国家再建党のフェルナンド・コロール・デ・メロに敗北しています。ルーラ氏44歳です。 
決戦投票ということは、労働者党・ルーラ氏が、保守政党と拮抗するまでに成長したということです。
ルーラ氏と労働者運動、労働者党が、軍事政権下で鍛えられ、下層階層の多くの支持を獲得していったのです。 
 
 
3.ブラジル・ナショナリズムを体現、脱米路線を進めるルーラ大統領 
 
ブラジル・ナショナリズムを体現しているルーラ氏 
 
ルーラ氏は、1994年と1998年の大統領選挙に出馬しますが、ブラジル社会民主党のカルドーゾ氏に敗北します。 
 
そして、2002年の大統領選挙で、勝利します。得票率は61%、得票数は5240万票に達し、ブラジル民主主義史上最大の得票数でした。 
 
何故、ルーラ氏は大統領選挙に勝利できたのでしょうか。長年の労働者運動、労働者党の実績があるのは当然として、それだけではないように思います。
ルーラ氏の容貌をみて、血の交わりが感じられと思います。公式資料には登場しませんが、ブラジルでは、こんな風に見られているのです。

ルラ大統領は、その風貌からおそらく白人、黒人、インディジナ(先住民)の血が混じっているだろうといわれている・・・・。 
 
ルラ大統領は、興味深い例である。東北地方の貧しい農民の一家に生まれ、都市に移り住んだ後も貧しい暮らしを続け、軍事政権下の労働組合活動を経て、左翼政権の大統領になった。 
 
涙もろく、東北地方の方言で演説するおちゃめなおじさんでもある。ワールドカップの試合は、ブラジルユニフォームを着て応援し、リオのカーニバル会場にも登場する。大統領官邸でシュラスコ(ブラジル風焼肉)を楽しみ、上半身裸で友人とサッカーに夢中になる。 
 
これはルラ大統領がブラジル人向けの宣伝用にする行動ではない。人々の間で築かれてきたルラ大統領の、ブラジル人らしき歴史と習慣である。サッカー、カーニバル好きだけでなく、大げさな話し方、親しみやすさ。音楽、踊りと議論が大好きで、ゆったりとした時の流れを好み、違いを受け入れる寛容さを持ち合わせる。
 
高橋直子さんのブラジル人とアイデンティティーから 
 
 ルラ大統領 ブラジリアのAlvoradaパレスで、夫人と共に観戦<写真 Planato> 
 lura03.JPG 
 同じく高橋直子さんのブログ記事W杯試合中、ブラジルは、、、から

ルーラ大統領は、人種、混血のルツボであるブラジルのナショナリズム、ブラジル人のアイデンティティを体現しているのです。 
 
大統領就任式がその一端を示しています。

2003年元旦の大統領就任の宣誓式で、ルーラ氏は涙ぐみながら次のように宣言しました。 
 
『大学の学位がないと何度も非難されてきたこの私が、生まれて初めて免状を手にします。それがわが国の大統領という称号です。』 
 
これによってルーラ氏は、国家の最重要職を務めるのには致命的とされてきた公教育経験の不足を非難する幾多の攻撃に応える形となった。労働者党の支持者たちは彼の明晰な知性を引き合いに出し、かような非難を重く捉えることはなかったが。
(ウイキペディアを参照した)

脱米路線をとり、各国指導者と連携するルーラ大統領 
 
ルーラ大統領は、就任以来、中南米の反米、非米諸国の指導者と連携を強めていきます。また、アジアやアフリカの指導者との交流も深めています。 
 
ルーラ大統領の動向をおっているサイトがあります。その写真集から、主要な指導者との写真を拾ってみます。 
 
リンク 
 
lura04.JPG lura05.JPG
左はベネズエラのチャぺス大統領、右はキューバのフェデル・カストロ議長 
 
lura06.JPG lura08.JPG
左はリビアのガダフィ議長、右はインド国民会議派のソニア・ガンジー総裁 
 
  lura07.JPG  lura09.JPG 
  左は、イランのアフマディーネジャード大統領、右はケニアのキバキ大統領 
 
ルーラ大統領は、欧米の覇権を突き崩す世界的な指導者として、存在感を高めています。

ルラ大統領が世界で最も影響力あるリーダーのトップ 
 
米誌タイムが29日、「世界で最も影響力のある100人」のランキングを発表。
25人が選ばれた「リーダー」部門では、ブラジルのルラ大統領がトップ。
日本の鳩山由紀夫首相は第6位。オバマ米大統領は第4位。
映画監督マイケル・ムーアのコメントによれば、PT政府のFome Zeroプロジェクトが、ブラジルを「第一世界」へと引き上げたと評価し、またルラ大統領の人生から、「ラテンアメリカの労働者階級の本当の息子」と評している。

レオンロザ注:PT政府は「労働者党政府」、Fome Zeroプロジェクトは「飢餓ゼロプロジェクト」 
 
人種、混血のルツボ、ブラジル国民がナショナリズムを高揚させ、真に誇れるのが、ルーラ大統領なのです。 
 
 
今回でブラジルを終え、次回からはBRICsの4番目として、ロシアを分析していきます。 
 

List    投稿者 leonrosa | 2010-08-18 | Posted in 07.新・世界秩序とは?4 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kanekashi.com/blog/2010/08/1367.html/trackback


コメント4件

 アリガトうさぎ | 2011.05.27 23:21

>なお、王朝側は常に倍返しをしていますが、実質価値が常に倍以上であるとは限らず、他国からの貢物に幻想価値を付け横流しし、あたかも倍返しをしているかのように見せていた可能性もあります。これは中国という国がもともと交易に長けた遊牧民族によって形成されているからだと思われます。
このようなダマシが存在していることが『贈与』とは違って、胡散臭い『市場』の本質なのだと思う。

 Hiroshi | 2011.05.28 23:59

>しかし冊封は直接的な支配関係ではなく、臣下の礼をとった周辺諸国の長は王号や爵位を与えられ、その領域の支配権を認知されました。
なるほど、こうやって中国に認められて支配権を与えられると、周辺国も中国のほうしか見なくなりますね。属国根性ってやつですか。朝鮮や日本の支配層に濃そうですね。

 kanon | 2011.05.29 11:27

★アリガトうさぎ様
コメントありがとうございます♪
そうなんです!いくら巨大帝国を築いたとは言え、財源には限りがあるはず・・・とすると常に倍返しをしていたと考えるより、幻想価値を付けて横流しをしていた(騙していた)と考える方がしっくりくるんですよね。
さすが市場と一体になった国家はしたたかですww
★hiroshi様
長いものに巻かれるのも一つの適応方法なんですね。支配層に多いのはやはり保身意識が強いからでしょうか??

 wholesale bags | 2014.02.10 20:57

金貸しは、国家を相手に金を貸す | 中国の国家と市場に潜むもの〜(3)朝貢制ってなに?

Comment



Comment