EUの起源 ①
○EUの起源は「欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)」と」言われています。
そのECSCを提唱したフランスのロベルト・シューマン(1947〜48フランス首相)とそれを補佐したジャン・モネです。
二人とECSCとの関係を追って見ました
シューマンの切手
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ジャン・モネ(左)右は元西ドイツ首相アデナウアー
以下、『ウィキペディア(Wikipedia)』 からの引用です
○ロベール・シューマン
ロベール・シューマンの父ジャン=ピエール・シューマン(1837年 – 1900年)は、ルクセンブルクとの国境に近いロレーヌ地方エヴランジュに生まれたフランス市民であったが、ロレーヌ地方が1871年にドイツ帝国領になるとドイツ市民になった。ロベールの母ウジェニー・デュラン(1864年 – 1911年)はベタンブール生まれのルクセンブルク人で、1884年に結婚してドイツ市民になった
ロベール・シューマンは1886年にルクセンブルクのクローザンで生まれたが、血統主義によりドイツ人になり、アルザス=ロレーヌがフランスに奪還されると1919年にフランス国籍だけを取得した。母はルクセンブルク語を話したため、ロベールの第二言語はドイツ語になった。フランス語は学校で習っただけなので(ルクセンブルク人はみなそうだった)、ドイツ語訛りのフランス語を話した。
ロベール・シューマンは1886年にルクセンブルクのクローザンで生まれたが、血統主義によりドイツ人になり、アルザス=ロレーヌがフランスに奪還されると1919年にフランス国籍だけを取得した。
・・・・戦後、シューマンは大きな名声を手に入れた。財務大臣になり、1947年から1948年まで短期間首相を務め、後年外務大臣になった。1950年5月9日、独仏間の緊張の主な原因を取り除くことを求め、ジャン・モネの計画を採用して、シューマンはドイツに石炭と鉄鋼業を共同で運営することを要請した。この要請は欧州石炭鉄鋼共同体の基礎になり、やがて欧州連合に発展した。この要請はシューマン宣言として知られ、この日5月9日は、ヨーロッパ・デーとなった。
第一次世界大戦時、モネはロンドンで活動していた。1919年から1923年にかけて、モネは国際連盟の事務次長を務め、その後は1938年までコニャックで家業を営んでいた。1932年以降、モネは国際的にさまざまな分野で重要人物として提言し、世界各地で影響力を持つようになっていた。
第二次世界大戦のさいには、モネはフランスとイギリスの軍事物資の管理に関する共同委員会の特別委員長に就任し、終戦後はフランスの復興に関して要職に就く。
モネはシューマン構想を協議する場の議長を務め、協議の結果、欧州石炭鉄鋼共同体が設立されることになった。
1952年から1954年まで、モネは欧州石炭鉄鋼共同体の最高機関(のちの欧州委員会)の初代委員長を務める。このような経歴を重ねることで、モネはヨーロッパ経済の発展に大きな影響力を持つようになり、また政治手腕についても1975年に活動を引退するまで国際的に高い評価を受けていた。
○この2人の経歴と関係からすると、欧州石炭鉄鋼共同体の直接の提唱者はジャン・モネの方の可能性が高いようです。
フランスとドイツ間の政治的紛争の修羅場だったロレーヌ地方で幼少期を過ごし、その紛争終焉を願っていたシューマンが、モネの共同管理案に乗っかったとみるのが順当のようです。
しかし、このモネの経歴(戦争物資の元締め)からすると、単に両国の平和的融和を望んだとからだとはとても思えないですね。
恐らくモネの背後に、欧州石炭鉄鋼共同体を手始めに、こんにちのEU構想のグランドデザインを描いた勢力があるはずです。
それだけの長期戦略を考え、実行に移せる勢力とは、果たしてヨーロッパ貴族団か、それとも金貸しロスチャか?
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