2012-03-28

脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(11)ムハマド・ユヌス

現代は市場原理に基づく経済システムが実体経済から遊離(バブル化)して、経済の崩壊の危機に陥っています。この経済システムに、過去〜現在に至るまで異議を唱えてきた経済理論家たちがいます。このシリーズではそれらの理論家の思想や学説を改めて見つめなおし、次代の経済システムのヒントを見つけていきたいと思います。

前回は、リバータリアニズム思想家であるロン・ポールの学説に触れました。

脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(10)ロン・ポール

今回扱う思想家は、貧困層へ雇用と金銭的余力を生み出すシステム(マイクロ・クレジットとソーシャル・ビジネス)を構築し、それを普及させたことで、500万人以上の貧困者を救うことに成功したムハマド・ユヌスです。

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【ムハマド・ユヌス氏】

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◆人物紹介

以下、『マイクロ・クレジットとソーシャルビジネス−ムハマド・ユヌス氏によるもう一つの「世界世直し運動」の検討−』より引用

1.少年 ・ 青年時代
ムハマド ・ ユヌスは 1940 年、現バングラデシュの商業都市チッタゴン市近郊のバツア村に生まれた。ユヌスの少年時代は、チッタゴンで宝石商を営む愛情深い両親とともに裕福な九人兄弟姉妹の大家族の一員として過ごした。母親は子どものしつけこそ厳格だったが、優しく思いやりのある人物で、貧しい親戚によくお金を分け与えていたという。
                           (中略)
進学先は、チッタゴン大学付属高校からチッタゴン大学へと進み、大学卒業直後から、母校で 4 年間経済学の教鞭をとった。この間、教師とは別に自分で製品の包装工場を立ち上げ、父をその会長にして成功するなど、企業家としても自信をつけた。
2.米国留学時代
1965 年、フルブライト奨学生として米コロラド大学、翌年にバンダービルト大学(テネシー州)に留学。
                           (中略)
厳格で有名なルーマニア出身のゲオルグッシュ=ローゲン経済学教授に師事し、後に助手になった。同大学では経済学博士号も取得した。教授から、正しいモデルの大切さ、具体的な計画が私たちを理解させ、未来を創造することに非常に役立つこと、また物事の本質は実は複雑ではなく、複雑に見せているのはわれわれの傲慢さであること、などを学んだ。
3.バングラデッシュ独立運動に加担 ・ 帰国
1971 年故国に独立戦争が始まり、米国にいるユヌス自身もその独立実現のために奔走した。 
                              (中略)
バングラデシュは、大きな犠牲を伴いつつも 1971 年 12 月にはパキスタンからの独立戦争に勝利した。そして翌 1972 年、ユヌスはバングラデシュに帰国。この間の一連の活動からは、深い祖国愛が感じられる。新政府からは肩書きのみの役職(経済局計画委員会副委員長)を与えられた後、やがてそこを辞職して、チッタゴン大学の経済学部長に就任した。着任後すぐに、大学内外の環境改善に取り組んだユヌスは、とりわけ地方の村を豊かにするために大学、とりわけ経済学部は何が出来るかという課題に挑戦したのである。ユヌスは、村そのものの現実の状況を理解することから始めた。大学近くのジョブラ村が対象になった。
4.バングラデッシュ飢饉と農業経営
1974 年、バングラデシュを大飢饉が襲った。飢餓で死ぬことの恐ろしさを間近で見たユヌスは、その直後から農業経営に立ち向かった。大学の他の教員と学生たちとともにボランティア農夫になり、米の効率生産を目指す実験農業を始め、自ら田植えまでして米の収穫高を四倍にした。さらに農村に必要と思われた「識字プログラム」など、学生を巻き込んでさまざまなプロジェクトに取り組んだ。

企業家、経済学者としての経験を積んだユヌス氏は、バングラデシュの独立をうけ、貧困に喘ぐ祖国の人々を何とかしたいと強く想い、マイクロ・クレジットとソーシャル・ビジネスのシステムに取り組みます。その情に溢れる志の根源は、温かい家庭環境で育まれたものかもしれません。

◆ユヌスの問題提起 〜貧困の発見〜

貧困スパイラルから脱却できない女性たち

ユヌス氏は、ジョブラ村で、まるで奴隷のように竹を編む、若くも貧しい主婦ソフィアと出会い、貧困から脱却できない実態を教わります。

ソフィアは、原料の竹を仲買人(バイカリ)から借りた 5 タカ(当時の米ドル換算で約 16 セント)で購入し、その竹で竹椅子を作り、5 タカ 50パイサで売るので、一日 50 パイサ(当時の米ドル換算で約 1.6 セント)の収入が入るだけである。
しかし問題は仲介人がカネを貸し付ける際に高利の利子を一方的に決めること、また作られた製品の買い取り人でもある仲買人が安い買い取り価格をこれまた一方的に決めること、そして貧しい主婦は、それに従うしかないという現実にあった。
借入金は、社会的あるいは投資の目的で行なわれる場合もあるが、多くの場合、生物的に生き残るため(食べ物や薬を買うため、あるいは危機的状況に遭遇したため)という。しかも借りた者にとっては、借金から解放されるのはとてつもなく難しい。なぜならほんのわずかな借金を返しただけで、また再び借金をしなければならなくなるからである。こうして貧困の悪循環から解放されるためには、死ぬことでしかない。
それにもかかわらず高利貸しは、第三世界ではごく一般的な職業であり、社会的にも認められているので、借り手側も自分がいかに不当で厳しい契約を結ばされているかを知らない、というのである。つまり極貧にある人は、おろかで怠惰であるから貧困なのではなく、中間業者から不当に搾取され、いわば「借金漬け状況」に陥れられているために、辛い肉体労働を一日中していても、「貧困の輪」 から脱出できないのである。
『マイクロ・クレジットとソーシャルビジネス−ムハマド・ユヌス氏によるもう一つの「世界世直し運動」の検討−』より

ユヌス氏はこうした現状を、

「貧困は貧者自らが作り出したものではない。貧困とは、貧者自身が持つ解決能力を制限してしまう制度によって作り出されてきたものである。」

と表現し、貧しい人々が頼れる制度を構築することに向かっていきます。

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【機織機の前で作業をする労働者】
画像はこちら

◆貧困救済への挑戦 〜マイクロ・クレジットとソーシャル・ビジネス〜

グラミン銀行(マイクロ・クレジット)の創設

ユヌス氏は、マイクロ・クレジットの創設へ向け、始動します。

ユヌスは第 1 ステップとして、個人ではなく、銀行が貧しい人に金を貸すことはできないものかと、ある銀行のチッタゴン大学支店に交渉に出かけた。 (中略)
ユヌスは、銀行側に対して貧困者に金を貸して欲しいと要請するのだが、銀行側は貧困者は読み書きが出来ない、担保を持たない、またローンを組むには本店を通してからでないとだめ、と答えるのである。
そこでユヌスの第 2 ステップは、チッタゴン地方の当銀行の支社長との面会となった。しかしその会話も途中までは第 1 ステップと全く同じ内容の繰り返しであった。しかし突然ユヌスが、自分が管轄するジョブラ村の貧しい人全員の保証人になると提案し、そのローンの額は全部で 1 万タカ(315 ドル)であると言うと、その程度の額であれば、ユヌスを保証人としても良いとその支社長は回答したのだった。
第 3 ステップは、そのローンの正式承認により、1976 年にユヌスは当銀行からローンを借り、1977 年 1 月にはジョブラ村の貧しい人への貸付を開始したことである。

こうしてユヌス氏は、貧困者への無担保小口融資システム「マイクロ・クレジット」を実現させました。このシステムは、従来の銀行貸付業務とは異なり、無担保で貸し付けるため、担保を持たない貧困者を救う手立てとなりました。

『グラミン銀行に見る借り手の持続的発展の可能性』より引用

女性を中心にして500 万人以上に貸し付けを実施。
顧客に対し担保を求めない代わりに、顧客 5 人による互助グループがつくられ、それぞれが他の 4 人の返済に関して責任を負う必要がある。このようなシステムによる貸付金の返済率は約 98%以上と、通常の銀行と比べても遜色のないレベルを保っている。
なぜグラミン銀行は貧しい人たちに貸し付けているのに、これほど高い返済率を達成できるのであろうか。その理由は融資先の 97%が女性になっている点にある。バングラデシュの女性は、家族を守らなくてはならないという意識が男性に比べて強く、借りたお金を有効に使って、必ず返済をする。

このように、マイクロ・クレジットは共認圧力による返済を下にし、高い返済率を達成する上、貧困層に共同体性を回帰させるシステムにもなっています。

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【グラミン銀行支店】
画像はこちら

やがて、このシステムは、バングラデシュ国内には留まらず、世界の貧困層を救うシステムへと拡充していきます。

1997 年の時点では、世界の 58 カ国でグラミン方式のマイクロ・クレジットが設立されるようになっていた。
とりわけアフリカ(22 カ国)・アジア(16 カ国)、南北アメリカ(15カ国)が多い。
先進地域ヨーロッパでは、すでに実施されている福祉制度がかえってネックとなり、グラミン銀行方式は、なかなか定着できないことがわかった。また先進国では個人主義が根を張っているため、5 人グループで互いに支えあいながらクレジットを借り、返済するという方式が、必ずしも容易とはいえないという事情もあるようだ。
『マイクロ・クレジットとソーシャルビジネス−ムハマド・ユヌス氏によるもう一つの「世界世直し運動」の検討−』より

やはり、個人主義の根付いた先進国では、他己を意識する体制は上手くいかないようです。

ソーシャル・ビジネス

さらに、ユヌス氏は、金融だけでなく、貧困の解決と社会貢献を結びつけた「ソーシャル・ビジネス」という取り組みを実践していきます。ソーシャル・ビジネスの考え方は次のようなものです。

ソーシャル・ビズネスが、人びとに仕事へのやりがい・人生への生きがいを与えてくれるように見えるのはなぜなのだろうか。
ユヌスは上述の本(Yunus 2007)のなかで、それは本来の人間性に根ざしているからという。
ユヌスによれば人間には、本来的に他者のために善を尽くしたいと言う性格が備わっているのである。ソーシャル・ビズネスは人間が本来持つこの欲求を満たすことが出来るために、人びとはソーシャル・ビズネスについて人間精神を鼓舞し、示唆を与えるものと感じるのである。
ビズネスの世界では、人間性のこの側面を完全に無視している点が実は問題なのである。しかしユヌスは、やがてソーシャル・ビズネスはビズネス世界において根を張ることになるだろう、との希望を表明している。
ユヌスは実は 1980 年代の後半から、「社会的意識に基づく企業」 について書いたり、語ってきたりしていたのである。世界経済会議においても 「ソーシャル・ビズネス」について話したこともあった。
ところがある時から、具体的目的のための「ソーシャル・ビズネス」 を創設する必要性を感じて、2005 年にはソーシャル・ビズネス形態で「眼科治療院」 を4つ経営することにした。その運営のために非営利の「グラミン健康トラスト」、また営利の「グラミン健康維持サービス」の2つの組織を立ち上げた。
ユヌスによれば、ソーシャル・ビズネスになりうる領域としては、マイクロ・クレジットや健康管理などのほかに、情報技術・代替可能エネルギー・環境改善・貧困者への栄養など、多様な分野が考えられる。
またソーシャル・ビズネスの出資者は、自分の出資したお金を取り戻せるだけでなく、その会社の所有権を保持したままでいられる。資産家や財団などはソーシャル・ビズネスへ出資しうるであろう。世銀やアジア開銀・アフリカ開銀・アメリカ間銀行などは資金提供の窓口を設置したらよいとユヌスは考えている。
『マイクロ・クレジットとソーシャルビジネス−ムハマド・ユヌス氏によるもう一つの「世界世直し運動」の検討−』より

ユヌス氏によるソーシャル・ビジネスには、2つの形態があります。

みらい06—ムハマド・ユヌス『貧困のない世界を創る』『私事歳時記@はてな』より引用

第一の形態は、投資家や株主は一切の配当を受け取らないというモデルである。
ソーシャル・ビジネスによって、投資家は、投資分のお金を全て取り戻すが、それ以上の利益は得ない。利益はソーシャルビジネスを行う企業の中に貯えられ、そのサービスや商品をより安価で提供するために、あるいは、拡大し、より多くの人がそのサービスを享受できるようにする。
第二の形態は、まさに貧困者によってソーシャルビジネスが所有されているという形態である。
この形態では、利益は株主・所有者である貧困層に分配され、それ自体が社会的便益を産み出す。その企業の提供するサービスは、社会的な利益の最大化を目標とすることもあれば、そうでないこともある。

グラミン創造研究所長ハンツ・ライツ氏によれば、ソーシャル・ビジネスの特徴は、次の7つとされています。

1. このビズネスの目標は、貧困、もしくは人びとや社会を脅かす諸問題(教育・健康・技術へのアクセス・環境など)のうちのひとつかそれ以上を克服することであり、利潤を最大化することではない。
2. 当該会社は財政上・経済上の持続可能性を達成するものである。
3. 投資者は投資額のみを回収できる。当初の投資以外、いかなる配当金も与えられない。
4. 投資額が支払われた後の利益は会社に残り、その会社の拡大と改善に使われる。
5. 当該会社は、環境に配慮する。
6. 当該会社のスタッフは、標準的労働条件よりも良い諸条件で、市場報酬を受け取る。
7. この仕事を喜んでやりたまえ!

◆社会的事業の草分けとなったユヌス氏

このように、ユヌス氏は、金銭的利益を最大の目的とする私権的企業のビジネスとは異なり、社会を脅かす諸問題を克服しながら、貧困者を救うビジネスを確立させました。

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【貧困のない世界を創る】

実際、ユヌス氏は貧困者の生活の質を向上させるための住宅ローンや健康プログラムの構築事業、歴史的価値のあるため池を再生させ魚の養殖場として活用し、貧困者に雇用と収入を与える事業、さらにバングラデシュの栄養不良の子供たちに栄養化の高いヨーグルトを安価で提供するというダノン社との合弁事業を実現してきました。

こうしてユヌス氏は、社会に必要とされる事業は利益なしでも拡大していくことを証明したのです。

私権が衰弱の一途を辿る現在、私権に立脚した事業ではなく、企業の枠を超えて『社会』へと対象を広げ、相手発の姿勢で活動していくことで、社会に本当に必要な解決策(事業)を提示することが出来るのだと思います。

次回は、イスラーム経済学者のムハンマド・パーキルッ=サドルを紹介します

List    投稿者 MITA | 2012-03-28 | Posted in 07.新・世界秩序とは?No Comments » 

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