『私権時代の国家・市場の成立から崩壊に至る構造』のまとめ
本シリーズでは、次代の社会システムをどのように構築してゆけばよいかを考えるために、「るいネット」の超国家・超市場論7〜14を引用しながら、私権時代の国家・市場の成立から崩壊に至る構造をみてきました。
今回は、更に続けて、
超国家・超市場論 15 『認識形成の場』こそ、新しい社会統合機構の中核である
超国家・超市場論 16 ゼロから、自分たちの『場』を作る活動
超国家・超市場論 17 新しい社会統合機構が、国家機関を吸収・解体する
超国家・超市場論 18 認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である
超国家・超市場論 19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
超国家・超市場論 20 認識形成は遊びではない、生産活動である。
以上6つを扱っていきます。
今回のシリーズでは、超国家・超市場論の中でも、認識形成の場⇒社会統合機構へと時代が、変わっていく状況と現在の特権階級について詳細に扱っていきます。
現在、検察省の不祥事をはじめとして、特権階級の無能視が進むにつれて、『認識形成の場』に対する注目度は上がり続けているように思います。
その前に、前回のシリーズ「超国家・超市場論7〜14」をかけ足で振り返ってみたいと思います。
その前に、応援よろしくお願いします。
↓
(1)私権時代の統合様式(力の序列共認)
■私権時代の幕開け
人類は、五〇〇万年に亙って本源集団の中で生存してきたが、五五〇〇年前、遊牧(邪心)集団によって人類最初の同類闘争=掠奪闘争の幕が切って落とされる。そして、数百年に及ぶ掠奪闘争の結果ほぼ全ての本源集団が破壊されて終った。この同類闘争(掠奪闘争)は武装集団を生み出し、力による制圧とそれを追共認した力の序列共認によって統合された武力支配国家を作り出した。
■私権の強制圧力を背景に「身分」観念が社会の統合機能になった
力の序列共認だけでは争いが絶えない国家という肥大集団を統合するために、社会的な階級=身分が制度化された。「私権」という価値の評価指標たる「身分」観念が統合機能として働くことになる。
(2)国家(力の序列共認)とその統合限界
■国家の統合限界①
支配階級が富を一方的に収奪、消費した結果、彼らは解脱充足に溺れ、他の堕落していない勢力によって滅ぼされる。これは武力統合が孕む統合限界であるが、力による制圧以外に統合の方法がないため、国家は数千年に亙って戦争→支配→滅亡を繰り返す。
■国家の統合限界②
武力社会では私権闘争の圧力を活力源としながら、生涯固定の身分制度によって私権の拡大の可能性が閉ざされる。私権の強制圧力は否応なく対応するしかない圧力でしかなく、拡大の可能性が封鎖されるこの矛盾と限界こそ武力統合の本質的な統合限界となる。
(3)私権時代の抜け道が、交換搾取の場=市場である
■抜け道として登場した交換取引(市場)
交換取引は身分制度による私権拡大の封鎖からの抜け道として登場する。品物に価値があると信じ込ませることさえ出来れば、交換による益の方がずっと大きいという価値感が主流となっていく。
■市場拡大のメカニズム
私権の圧力下で快美幻想がはびこり、生活全般に亙って快美(快適さや便利さ)を求める快美欠乏が上昇。その幻想共認が作り出す価格格差をテコに市場は繁殖。 更に、生産効率を上げる為の科学技術が発達してゆき、市場の拡大競争が生み出した侵略戦争→軍備強化への期待圧力が、科学技術をいっそう大きく発展させてゆく。
(4)何をするにもお金がかかる社会
■何をするにもお金がかかる社会ができあがった原因
市場を拡大させた主動因は、人々が快美幻想に収束したことであり、人々が快適で便利な快美生活を手放せないことが、何をするにもお金がかかる社会が出来上がった原因である。
■市場拡大のテコとなったお金の共認
市場拡大の原理的なテコが価格格差の幻想共認だとすれば、具体的なテコは交換取引の評価指標としてのお金の共認である。万人に共認された評価指標(=お金)が確立されたことによって、市場は飛躍的に拡大。
(5)市場は社会を統合する機能を持たない
■評価指標としての「身分」と「お金」
身分は、力の序列共認を下敷きにして、上から下まで貫通する身分という観念に置き換えられた事によって、社会全体を統合する機能を持ち得ている。それに対しお金は、私的な交換の場での評価指標にすぎず、交換の局部では統合機能を持ち得ても、社会全体を統合する機能は持ち合わせていない。
■市場は社会を統合することができない
市場は闘争圧力からの抜け道に過ぎず、共生適応の最先端機能たる取引⇒お金では闘争圧力に対応することが出来ない。市場は闘争圧力に対する真の最先端機能ではなく全体を統合することはできない。
■市場は国家の寄生物である
市場が自力で拡大することが出来なくなった現代、市場は、国家に寄生するしかなく、その拡大さえも国家(国債)に押し付け、国家は800兆もの借金で首が廻らなくなって終った。
(6)市場の拡大限界は国家の拡大限界でもある
■市場の拡大限界
市場は生存圧力(貧困の圧力)に基づく私権闘争を圧力源=活力源にしている。市場活動によって物的な豊かさが実現すれば市場は活力源を失って衰弱(=縮小)してゆく。市場の現実に差し迫った絶体絶命の限界である。
■私権闘争の終焉
私権闘争の抜け道として形成され、繁殖してきた市場が活力を失って終ったことは、私権闘争の終焉を意味する。そして、私権闘争が終焉したということは、私権闘争の止揚・統合体である国家の命運も遂に尽きようとしているということに他ならない。
■私権闘争に代わる活力源が必要
貧困の消滅した’70年以降、私権の強制圧力が衰弱し続け、人類は私権闘争を圧力源=活力源として生きてゆくことはもはや出来ない。人類の命運は、次の新たな活力源⇒圧力源を作り出せるか否かにかかっている。
(7)人類の新たな活力源=圧力源
■これからの人類の活力源
これから先、人類は同類圧力を主活力源として、共認機能・観念機能を更に進化させてゆくしかない。
■同類圧力=共認圧力を生命源とする社会
共認社会の同類闘争は人類的課題に応える創造競争=共認闘争となる。人類は、動物的な生存圧力の場を超えて、同類圧力=共認圧力の場へ移行する段階を迎えた。それは、共認動物が到達すべき必然的世界であり、真の人類史が始まる起点となる時である。
(8)外交収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』
■認識が統合価値となり活力源となる
人々は社会不全から人(ひと)収束を伴いつつ認識収束へと向かっており、認識欠乏が顕在化するのは、既に時間の問題。認識欠乏が顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、最強の活力源となる。
■人類の最先端機能=認識形成の場
人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。
私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。
今や、私権時代は終焉を迎え、次代は人々による認識形成の場を核にして形成される社会共認によって統合される社会に向かうことは間違いないと思われます。すでにその萌芽はいたるところに現れ始めており、なによりも、人々が自らの潜在思念(心)に耳を傾ければ、そのことが実感できるような状況になってきていると思います。
また、私権社会を背景にした旧い観念にすがるしかない統合階級には今の危機的な状況を突破する答えを見いだすことはできないことも既に明らかになってきています。
今の私たちには、既存のマスコミによる発信・統合階級による共認支配から脱し、状況認識の共認の輪を広げてゆくことが求められています。『認識形成の場』が、国家や市場を超えうる可能性があることを次回以降のシリーズを通じて、更に深く追求し明らかにしていきたいと思います。
それでは、次回以降をご期待下さい。
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コメント2件
hermes picotin | 2014.03.13 7:17
hermes bags china jails 1 400 金貸しは、国家を相手に金を貸す | 『なぜ今、TPPなのか?』【1】プロローグ
hermes bags apricot | 2014.02.02 0:32
hermes chemnitz 金貸しは、国家を相手に金を貸す | 『なぜ今、TPPなのか?』【1】プロローグ