BRICs徹底分析〜ブラジル編その2:農業大国への道、セラード開発とは
前回はオリンピックやワールドカップの招致に沸き、驚異的な経済成長を遂げるブラジルをみてみました。
今回は、農業大国といわれるブラジル。その歴史と展望を扱ってみます。
特に、セラード(見通しの効かない潅木の荒野)開発について、その潜在力も含めみていきます。
セラードは、現在でこそ世界の穀倉地帯と言われていますが、1970年頃までは、雨季と乾季の厳しい自然環境に曝された不毛の地で誰もが現在の姿を予想することが出来なかったようです。
1.ブラジル農業の歴史
・奴隷制による大型プランテーション開発
・欧州移民・アジア移民による更なる展開
・現在のブラジル農業の実力
2.カンポ・セラードとは
・セラードって何
・どんな原風景、どのあたりに位置するの
3.セラード開発の現状と課題
・ブラジル企業・団体の主導権はどこまでとれているか
・セラード開発への穀物メジャーの関与
・日本のODA協力、日本へ輸出しているのか
ブラジル大豆生産の半分を占めるセラードの大豆畑
リンクから
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1.ブラジル農業の歴史
ブラジルはカブラウに発見されポルトガル領となって以来、500年になります。ブラジル発見は日本では織田信長時代です。
ブラジルの農業は古くは「ブラジルの木」(赤茶色の木で染料の原料となる)やゴムの生産が中心で、19世紀まではゴムの独占栽培がおこなわれていました。
しかし、その後ペルーやボリビアなどの周辺国に栽培が拡がり、19世紀後半のマレーシアへの密移入により一気に衰退をします。
その後は、次第にサトウキビやコーヒーのプランテーション栽培に移っていきます。
奴隷制による大型プランテーション開発
植民地から、独立後の帝政期にかけてのブラジルの北東部ではサトウキビのプランテーション栽培が盛んだった。カリブ海諸国と同様に、サトウキビを作る時は労働力としてアフリカから連れてきた奴隷を働かせた。(ウイキペディア)
サトウキビの栽培と黒人奴隷の移入
リンクからお借りしました。
欧州移民・アジア移民による更なる展開
米州でも最も遅い1888年にようやく奴隷制が廃止されると、栽培の主流作物もサトウキビからコーヒーへと移り、大量導入していたヨーロッパからの移民を労働力に主に南東部のサンパウロ州を中心にしてコーヒー豆の栽培が進んだ。
その後ヨーロッパ諸国と移民の待遇を巡って対立すると、今度は日本人移民獲得のため、1908年に第一回目の日本人移民が行われた。(ウイキペディア)
当時の日系移民
リンクからお借りしました。
ブラジル農業の実力
現在のブラジルはコーヒー豆とサトウキビの生産量は世界1位。大豆は米国に次いで世界2位、トウモロコシは米国、中国に次いで世界3位。牛肉も世界2位です。
因みに大豆は5,819万トン(2007年)、サトウキビは4億1626万トン(2004年)、トウモロコシは4,181万トン(2004年)、牛肉は893.5万トン(2008年)の生産量です。
食料純輸出(輸出額−輸入額)では、米国を抜き、いまや世界最大です。
図は、主要国の農産物の純輸出額(輸出額から輸入額を差し引いた額)です。米国がプラスマイナス0に近い額になっているのは輸出額も多いが輸入額もが同じくらい多いことを示しています。ブラジルは輸出額が輸入額を大きく上回って世界1位です。
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次は、日本も大いに関心のある大豆の輸出入です。
05/06年段階で、ブラジルは米国に匹敵する大豆輸出国に成長しました。(米国30%、ブラジル30%)。
大豆の輸入国では、中国が最大で41%、次いでEU25%、日本が9%です。
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2.カンポ・セラードの潜在力
セラードって何
カンポ。セラード(Campo Cerrado)は、ブラジル高原に広がるサバンナ。
カンポとはポルトガル語で「畑」の意で、樹木のない植生を表す学術用語。セラードは草原にまばらにのみ低木の茂る植生を表し、「カンポ・セラード」で「見通しのきかない草原(荒地)」の意味であるという。
総面積はおよそ200万平方キロ。植生は高木が少なく、灌木がまばらに生えるのみ。乾期になると落雷や野焼きを原因とする火災が頻繁に発生する。
セラード面積200万平方キロメートルは、日本の国土(38万平方キロメートル)の5.5倍もの広さです。
セラードの風景
リンクから
どのあたりに位置するのか
ブラジルの東北部から中央にかけての内陸一帯がセラードです。首都ブラジリアもセラードの一角に位置しています。
広瀬隆雄さんのブログブラジルの農業から
3.セラード開発の現状と課題
セラード開発をけん引した農牧公社
セラード開発成功の最大要因は農牧研究公社(1975年設立)によるとこるが大で、この農牧研究公社が未開拓の荒地を適地に転換させる技術と種子の開発をおこなった。
ブラジルは、1990年代後半からの輸出急増で2005年に農産物輸出国のトップ5に入った。
ブラジルの農産物輸出が急増した最大の要因は、セラードという広大な未開拓の土地があり、その土地を農耕適地に転換させる技術と種子を農牧研究公社によって開発したことである。
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セラード開発と穀物メジャーの関与
セラード開発には穀物メジャーが深く関与しており、特に穀物メジャーの融資による農家の資金面と販路面の問題を短期間に解決した役割りは大きい。その反面、生産物を担保に収穫後に返済するという先物取引の手法は農産物を証券化することになり懸念する向きも多い。
メジャーの関与なくして現在の発展はなかったが、日本もブラジルも物流で負けてしまったことに対する反省の念は深い。
基礎要件を現実の生産と輸出拡大につなげるには、90年代の経済自由化改革によりブラジルの農業領域に全面的参入してきた穀物メジャーの役割が大きかった。
具体的には、主として穀物メジャーがパッケージ融資を通して大規模農家の資金不足と販路問題を同時に解決した仕組みの提供である。すなわち,化学肥料など使途を限定した生産資材資金を融資し、返済はまだ作付けしていない生産物を担保に収穫後に返済する先物取引の手法をとっているケースが多い。
返済価格はCBOT(シカゴ穀物取引所)の先物価格をベースにして事前に決める。この借金と現物返済の契約は農家が発行する農産物証券に化体する(形をとる)。
もちろん、ブラジルでは穀物メジャーなど巨大な外資が自国の農業の根幹を押さえることに対して経済面だけでなく、安全保障面でも危惧を持つ政治家は少なくない。穀物メジャーの影響力膨張に不安を感じる農家も多い。
政府の融資金利は8.75%であるのに、穀物メジャーのパッケージ融資の実効金利は高い市中金利に近いケースが少なくなく、農家が外資に利益を吸い上げられているとの懸念もある。
だが、ブラジル農業は、世界で最低水準の政府助成のもとでも急速な発展を遂げ、外貨不足のブラジル経済に大きく貢献してきた。今後、世界最大の農産物供給国に向かうブラジルでは、穀物メジャーのかかわりがさらに深まるとともに、中国、日本を含むアジアのブラジルへの食料依存もさらに高まる可能性が高い。日本にとって,ブラジルとどのような関係を構築するかが新たなテーマとなってくるだろう。
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日本のODA協力、日本への輸出
日本のセラード開発への関与は1970年代中の食料自給率の低下とニクソンの大豆禁輸に危機感を抱いた当時の田中角栄首相の強い意向により始められた。その結果、現在ではブラジルからの大豆輸入は確実に拡大している。
日伯セラード農業開発協力事業
この事業は、セラード開発のために、日本とブラジルが共同でおこなった国家プロジェクトで、1979年9月から2001年3月まで、3期に分けて実施された。
日本からも、国際協力事業団を通じて多数の農業専門家が送り込まれ、600以上の農家が入植したといわれている。日本政府は、このプロジェクトが終了するまでの21年間に、なんと約600億円にもおよぶ資金を投入しているのだ。
なぜ日本政府は、ブラジルの農業開発に対して、これほど力を入れたのか?
その背景には、ちょうど現在と同じように“世界的な食物不足”と“穀物価格の高騰”という問題を抱えていたからだ。
当時、首相であった田中角栄のもとで、日本政府がこれほど莫大な資金を投じて「日伯セラード農業開発協力事業」を推進した裏には、食料不足に対する強い危機感があった。
1965年ごろから、日本の食物自給率が急速に低下し始めていたことに加え、1970年初頭から続いた世界的な天候不順のため、穀物不作が深刻化していたのだ。こうした状況を受け、ついに1973年、当時アメリカ大統領であったニクソンが、大豆輸出禁止措置に出る。
他国では、大豆は飼料用にしか使われていないが、日本では米に次ぐ貴重な食料である。当然、そのほとんどをアメリカからの輸入に頼っていた日本は大きな痛手を受けることになった。
慌てた日本政府は、こうした食糧危機を回避するため、アメリカに代わる大豆の生産国を探し求めた。その結果、ブラジルがもっとも有望だとの結論にいたったのである。 それが、日本がセラード開発に莫大な資金をつぎこんだ、理由のひとつであった。
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1978年6月、国際協力事業団とブラジル政府がセラード開発を目的とする会社設立を決定。同月18日、皇太子御夫妻が日本移民70年祭記念式典に出席。
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対日輸出の現状
プロデセール(日伯合同ナショナルプロジェクト)事業の成果
日本の大豆自給率は全体で約4%とほとんどを輸入に頼っているのが実情である。しかしながら輸入先の相手国別にみると1980年には米国から96%とほとんどを輸入していたのに対し、1999年には70%とその比重を低下させている。
これに対して1980年には総輸入量の1%未満であったブラジルからの大豆輸入は、1999年には12%へと割合が増加し、現在では米国に次ぐ日本への大豆輸出国となっている。
これは言うまでもなくセラード開発によるブラジルの大豆生産増大の効果である。
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上記、プロデセール(日伯合同ナショナルプロジェクト)事業はセラード農業開発全体の3.5%に過ぎないが、食料増産や地域開発などに寄与した点が高く評価され、セラード開発の大きな推進力になったといわれている。
セラードの総面積は200万平方キロメートルで日本の国土の約5.5倍もあり、現在開発されたのが47万平方キロメートルで、今後開発可能な部分がまだ80万平方キロメートルも残されている。
将来、世界的な食料不足が懸念されているなか、その需要に応えられる地域はこのセラードだけだといわれており、日本だけではなく世界の国々にとっても重要で関心の高い地域です。
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