2010-09-08

BRICs徹底分析〜ロシア編その3 プーチンの10年(2000年〜)

1999年12月31日、ロシア連邦初代大統領エリツィンは、正午にテレビ演説を行い辞任を表明した。後継者には、当時首相だったプーチンを指名、プーチンは2000年大統領選挙で過半数の得票を受け、正式にロシア連邦第2代大統領に就任した。 
 
初代大統領エリツィン時代(1991年〜1999年)は、混迷の時代だった。ソビエト連邦崩壊から始まった市場経済への変革は、(本シリーズその2で紹介したように)「オルガルヒ」と呼ばれた新興財閥を生み出し、政治権力と癒着した構造は政治腐敗として蔓延していった。プーチン登場の時は、その様な時代背景だった。 
 
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  写真左はエリツィンのテレビ演説、右はロシア連邦第2代大統領プーチン(ロシアのHPより) 
 
ロシア連邦第2代大統領プーチンは、ロシア国民の圧倒的支持を受け、大胆かつ強力な改革を行った。その改革の根底にある考察が漂っていた。(このことは、あまり報じられていないが)サンクト市副市長時代から考えていた内容を実現するために行った、言わば実践だったと言えよう。 
 
プーチンが考えていた思想、プーチンが実行した改革、プーチンの10年(2000年〜)を考えてみる。 
 
1.ロシア国家立て直しのための鉱物資源戦略
2.石油、天然ガス価格の高騰に支えられたロシア経済の回復
3.メドベージェフが担当した「優先的国家プロジェクト」 
 
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1.ロシア国家立て直しのための鉱物資源戦略 
 
プーチンを語る上で、見逃せないのが経歴である。1952年レニングラード(現サンクトぺテルブルク)に生まれ、1975年レニングラード大学法学部を卒業し、ソ連国家保安委員会(KGB)に勤務する。 
 
東ドイツへの派遣の後、1990年故郷に戻り、1991年サンクトベルク市対外関係委員会議長、1994年サンクトベルク第一副市長と階段を駆け上ってゆく。 
 
1996年中央政界へ転じ、以降大統領まで上り詰めたのであるが、プーチンを語る上で(サンクトベルク時代より一貫して)「愛国心」という言葉がピッタリする。そして、この「愛国心」こそが、プーチンにとって許されない新興財閥「オルガルヒ」との対決に結びつく。 
 
サンクトベルク時代に考えていたプーチンの考察を、田中宇氏の国際ニュース解説「プーチンの光と影」より引用させて頂く。リンク

サンクト市の副市長だった1994年ごろ、プーチンは同市内に新設された「国家鉱業研究所」の研究員も兼務しており、そこで彼は「ロシアの豊かな資源を活用すれば、世界的な大国の座を取り戻すことができる」と主張する論文を書いた(部下たちに書かせたものをプーチンの名前で発表したという説もある)。 
 
プーチンは「ロシア経済発展のための鉱物資源戦略」(”Mineral Raw Materials in the Strategy for Development of the Russian Economy”)と題したその論文で、石油やガスといった資源産業を再国有化し、その国有企業群の経営を欧米並みに効率化するとともに、金融機関の機能を併設して「金融産業企業群」となることで、世界からロシアの資源開発への投資資金を集めるメカニズムを作ることを提唱した。 
 
プーチンが使った「金融産業企業群」(financial-industrial corporations)という言葉は、ソ連時代の経済の中心的な存在だった「軍事産業複合体」(military-industrial complex)に対抗する概念である。ソ連は「軍事力」で世界的な覇権を獲得したが、冷戦後のロシアは「資源」で覇権をとる。「戦車より石油だ」という提案だった。

プーチンが大統領になった時代、金融・メディアは言うに及ばず、石油やガスといった資源産業も、新興財閥「オルガルヒ」に支配されていた。 
 
写真左人物はグルシンスキー(金融、メディア)、中央は(言わずと知れた)前ユコス社長のホドルコフスキー、右人物はエリツィン時代の金庫番と呼ばれたベレゾフスキー(金融、自動車産業、石油産業、メディア、航空)で、プーチン大統領就任後に法的な追求を受けた3名である。 
 
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ロシアのHPより) 
 
グルシンスキーとベレゾフスキーは、メディア企業を支配下に置き、プーチン政権に対抗するキャンペーンを実施しうる立場にあったことが法的な追求につながり、結果現在は2人とも英国で亡命生活を余儀なくされている。 
 
ホドルコフスキーは、2003年から始まったユコス事件で拘留、同年12月に社長を辞任した。最大の石油会社ユコスは、国有石油会社ロスネフチなどに安値で買収国有化された。 
 
このように対立したオルガルヒを切り捨て国有化企業へ転じることにより、プーチンのロシア国家立て直しのための鉱物資源戦略は、着実に実現されていった。その戦略の一部を、再び田中宇氏のレポートから引用させて頂く。

油田や天然ガス田の開発には巨額の資金がかかり、石油やガスを消費地や積み出し港まで運ぶパイプラインの建設も資金が必要だ。ロシアは、地理的にユーラシア大陸の西から東まで広がっているため、国内にパイプラインを引き、それを海外に延長することで、西欧にも、インド方面にも、中国など東アジアにもエネルギーを売れる。 
 
ロシアからドイツへの直結ガスパイプラインが2010年に開通するほか、シベリアから中国への石油パイプラインが2008年から稼働する予定となっており、同じルートで天然ガスを売り込む構想がある。日本や韓国も、売り込みの対象となっている。昨年11月には、当面は解決不能の北方領土問題を議論しないことを前提にプーチン大統領が訪日したが、その主目的は「ロシアのエネルギー産業に投資しませんか」「石油やガスは要りませんか」という売り込みだった。 
 
ガスプロムは、ロシアとトルクメニスタンの天然ガスを、アフガニスタンを経由してパキスタン、インド方面に運ぶパイプラインを建設する構想を持っている。これは911事件の前、アメリカの石油関連会社ユノカルがアフガニスタンのタリバン政権と組んで作ろうとしたパイプラインのルートだ。ガスプロムは、イランからパキスタン、インドにつながるパイプラインの建設も手がけようとしている。 
 
またガスプロムは、アメリカに天然ガスを売り込む構想も発表している。ロシア北西部の沖合にある北極圏の海域であるバレンツ海の海底には、天然ガスが埋蔵されており、これを欧米企業と合弁して掘り出す構想だ。2010年からガスを売り出し、アメリカの天然ガス市場の10−20%を取ることを目標にしている。 
 
(中略) 
 
プーチンは、株価を上げるため、欧米人をロシアの国有資源会社の経営者として招くことも画策した。昨年12月、1期目のブッシュ政権で商務長官をつとめたアメリカ人ドナルド・エバンスは、ロシア政府に招待されてモスクワに飛んだ。モスクワに着いてみるとプーチン自身との会談がセットされており、そこでプーチンはエバンスに、ロスネフチの会長か副会長に就任してほしい、と要請した。 
 
プーチンは、ブッシュの元閣僚を経営者として招くことで、株式上場するロスネフチに関する企業イメージをアメリカで向上させ「プーチンが支配する会社」という悪い印象を消すことを狙ったのだろう。エバンスは結局、就任要請を断ったが、この出来事は、投資家集めを重視するプーチンの戦略を象徴している。

 
 
2.石油、天然ガス価格の高騰に支えられたロシア経済の回復 
 
プーチン登場前後の経済状況はどうであったか?見つめてみたい。三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部発行の「ポスト・プーチンのロシア経済」を参考にさせて頂く。リンク 
 
まず、経済の転換が一目で分かる資料を見て欲しい。 
 
下の図表4は、1999年から2006年にかけての実質現金収入伸び率と失業率である。
ロシア人の実質収入は、プーチン登場の2000年以降(前年比)10%以上の伸び率を示し、失業率は1999年の15%から2006年の6%台へと半減した。 
 
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図表5は、原油価格とロシアの貿易収支である。輸出の6割をエネルギー資源が占めるロシアは、原油価格高騰に伴う貿易黒字拡大により貿易収支黒字が急激の増大している。この「巨額の所得移転」が最終需要を拡大させる原動力になっている。 
 
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原油高は、実体経済面だけでなく、国際金融面でもロシア経済の安定に大きく寄与した。その鍵は、原油価格高騰によって膨らんだ「安定化基金」である。安定化基金は、原油価格下落のリスクに備えることを基本目標にして2004年1月に創設された。 
 
同基金の残高は、創設1年後に早くも5000億ルーブルを超え、2005年以降は石油関連税率の引き上げと原油価格高騰との相乗効果により、急速に膨れ上がった。2007年6月時点で、安定化基金の残高は3兆ルーブル(約15兆円)にも達している。 
 
ロシア政府は、2005年夏に、安定化基金を原資にパリクラブ向け債務150億ドルを繰り上げ返済し、さらに2006年8月には同債務220億ドルの繰上げ返済を実施、旧ソ連から引き継いだ同債務の完済を果たした。 
 
パリクラブ債務完済によって、ロシアは、「市場経済先進国への仲間入り」という目標に向けて一歩前進したといえる。 
 
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3.メドベージェフが担当した「優先的国家プロジェクト」 
 
ロシア連邦第3代大統領メドベージェフである。 
 
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メドベージェフは、プーチンと同郷で、経歴からも見てプーチンとの強い繋がりが伺える。 
 
1965年レニングラード(現サンクトぺテルブルク)生まれ、1987年レニングラード大学(現サンクトベルク大学)法学部卒業、大学院に進み、同大学で非常勤講師をしていた。大学時代にアナトリー・サプチャークと出会い政治に関わる。1990年サプチャークがレニングラード市ソビエト議長に就任すると議長参事官に就任した。ここでプーチンと出会うのである。 
 
1994年プーチンがサンクトぺテルブルク第一副市長になると、プーチンの顧問を兼任、2000年プーチンの大統領選挙では、選挙対策本部責任者として貢献、プーチンが大統領に当選すると、大統領府第一副長官に任命された。 
 
こうしてみると、メドベージェフはプーチンの信任も厚く、プーチン大統領が推し進める重要な国家プロジェクトを継続して進める後任に指名したことも理解できる。この重要な国家プロジェクトとはどのようなものか?

そのプーチン大統領が国内で精力的に推し進めているのが、2005年9月に発表された優先的国家プロジェクトである。同プロジェクトは、旧ソ連時代からの数十年間に亘り顧みられなかったセクターを復活させ、将来に向けた社会基盤を整備することを目的としている。 
 
陣頭指揮は大統領候補と目されるメドヴェージェフ第一副首相。 
 
資源は、保健、教育、住宅建設、農業の4分野に集中投下される。2006年のプロジェクト支出総額は連邦財政支出総額の10%にあたる1,200億ルーブル(約45億米ドル)で、2007年は1,700億ルーブル以上が見込まれている。 
 
ロシアの人口は1993年をピークに年率0.5%ほどのペースで減少している(旧ソ連共和国からの移民がなければさらに拍車がかかったであろう)ことから、このプロジェクトの中で最大の支出が割り当てられているのが、疾病予防を中心とした保健分野であり、2006年のプロジェクト支出総額の47%を占めている。かつての劣悪な医療環境やウォッカの飲みすぎ?もあろうが、ロシア人男性の平均寿命は2005年で59歳。1950年代とほとんど変わらない。 
 
大和総研ホールディングズコラムより

この国家プロジェクト、井本沙織さんの「プーチン政権の構造改革(2000−2006)」にも詳しく紹介されている。リンク 
 
プーチン大統領は、大統領三選禁止の憲法に従い2期で大統領を辞した。後任にメドベージェフ第一副首相を指名し、自らは首相に就任した。メドベージェフ大統領・プーチン首相のコンビで、『強いロシア』、『世界の多極化の一角を占めるロシア』という国づくりを継続している。 
 
次回は、リアリスト・プーチンを生み出し、圧倒的な支持をしているロシアという民族・国家の基底部に迫りたい。 
 

List    投稿者 hassii | 2010-09-08 | Posted in 07.新・世界秩序とは?2 Comments » 

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