2011-07-14

シリーズ「必要か否かの判断の土俵」その9〜新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する〜

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最近のマスコミでは原発に関する記事が希薄になってきているようですが、実際は危機的で薄氷を踏むような状況が続いているようです。人々もそのような状況を認識しはじめていて、ツイッターなどで様々な情報が広められています。 ⇒(リンク)
人々の評価(認識)共認のつくられ方がいままでと大きく変わりはじめ、それに伴って社会の状況も転換点にさしかかっているのではないかと思われます。
しかし、座していればよい訳ではなく、私たち一人ひとりも、どのように行動すべきか考えることが求められていると思います。
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それでは、超国家・超市場論29「新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する」から引用しながら考えていきましょう。

歴史を貫通する人類の最先端機能は評価共認であり、それが人々を収束させ、集団を統合し、秩序と体制(役割分担etc)を形成してきた。
集団を超えた社会空間(同類闘争の場)においても、集団(と個体)を収束させ、社会を統合し、秩序と体制を形成する最先端機能が、人々の評価共認であることは不変である。ただ、互いに顔の見えない社会空間では、体感共認に代わる観念共認が不可欠になり、従って体感評価に代わる評価指標(身分やお金という観念)が最先端機能となり、この評価指標が人々を収束させ、秩序と体制を形成する役割を担うように成っただけである

かつての村落共同体のような身近な集団では、それぞれの日々の生き方を互いに見ながら、無意識下で絶え間なく評価し合っています。だから、そのような集団ではリーダーは自ずと決まるし、何か課題が登場すると、その課題を担うのは誰が良いか即座に全員の想いが一致することになります。
一方、超肥大集団の国家では、身近な集団の中のように直接的な評価に基づく共認は出来ません。そのため、「身分」や「家の格式」などの観念上の評価指標によって序列を決めて社会を統合するというシステムが採られました。私権時代には、世界中どこの国家においても社会を統合するために「身分」が登場したのは、「評価共認に先端収束する」ことが人類共通の歴史的な事実であることを示しています。

従って、いかに時代が変わり、中身が変わっても、『評価指標の共認』という収束=統合機能の絶対的な必要性は、不変である。
それ故に、時代が変わる時、新しい可能性(中身)は、必ず古い評価指標の世界の真只中に姿を現わしてその評価の洗礼を受けることが、顕在化するための絶対的な必要条件となる。なぜなら、新しい評価指標(=投稿資格)が確立するまでは、現存する評価指標(=お金)に基づく評価を獲得してゆく以外に、評価獲得の道がないからであり、また、新しい秩序(=社会統合機構)が出来てもいないのに現存秩序をいきなり壊してしまう訳にはいかないからである。
そして又、新しい可能性は、現存する同類闘争の場(=市場)の中で、現存の評価指標(=お金)に則って現実の必要が認められ、勝ち抜いてゆくことによって、はじめて既存の全てを自らの下に収束させてゆく新しい最先端機能であることを、人々に証明することが出来るからである

明治維新後の近代国家体制の中で、お上のお墨付きによる「地位」が評価指標になり、官僚組織における「地位」を獲得するために「学歴」が必須の条件になっていきました。民間の大企業も国家の官僚組織を真似たので、官も民も「学歴」が評価の条件として根付いていきました。
一方、明治・大正・昭和と時代を経るにつれ、「市場」によって社会全体が覆われるようになると、「お金」が評価指標の筆頭になっていきました。国家体制の背後に大資本・金融勢力が鎮座し、彼らによって社会全体が牛耳られるようになっていきました。国民の目には触れないように巧みに操作されていましたが、今回の原発事故によって、産業界から政界まで支配していたのは金融資本だったことがあからさまになってきています。
1970年代以降、社会全体が豊かになると「お金」、「序列」、「学歴」の意味合いはどんどん希薄になってきました。いまや、「お金」・「地位」=「学歴」を得るために受験勉強に励もうとしても活力が続かない子どもたちがほとんどです。
それでも、社会を統合する上で必要な評価指標はいまのところ「お金」しかないのでかろうじてその位置にありますが、マスコミに代わるように広がってきたネットの世界では、発信される内容に応じて人々の評価が集まるような状況が現れています。
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その実現基盤は、既に『新しい潮流1〜14』やここまでの『超国家・超市場論1〜24』で明らかにしたように、充分に整っている。即ち、古い現実は影が薄くなってゆく一方であるのに対して、『認識形成の場』には基底的な『判断の土俵』や『人収束⇒認識収束』などの新しい現実が、これまでになかったエネルギーとパワーを与えてくれる。従って、古い土俵(市場)での闘いなど勝って当然であり、そこで勝ち抜くことによってはじめて、古い場をその内側から新しい場の下に再統合してゆくことが可能になる。これが、『現実を突き抜けて顕在化してゆく』ということである。
そしてこれが、新しい社会統合機構の中核となる『認識形成の場』が有償化され、古い同類闘争の場=市場に乗り出さなければならない窮極の根拠である。

豊かな社会が実現されて以降、社会共認を形成する位置に付いたのは、マスコミ・学者(大学)でした。表面的な民主主義の仕組みの中で、大資本・金融勢力に支配されたマスコミから流される情報によって人々の意識・評価は左右されてきましたが、今回の原発事故によってこれまでの流れに終止符が打たれようとしていると思われます。
いまや、受験勉強だけに向かってきた成功者は現実社会の中では全く役に立たない無能な人材になり果てていることは明らかで、東大などの高学歴者の集まりである電力会社をはじめ、官僚や政治家、産業界の重鎮たちなどの無能ぶりは、東日本大震災以降のズブズブの状況の中で明らかになっています。
また、官・業からのリーク情報を横流しするだけの大新聞や著名な学者たちの無能ぶりや節操の無さも明らかになり、人々はブログやツイッターなどのネット情報の方を信用するようになってきています。
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新しい社会統合機構として「認識形成の場」が創られるまでには、新しい観念(理論)と事実が集積される場が必要になりますが、さしあたり私たちにはツイッターなどで、事実を発信し広めてゆくことが求められていると思われます。 ⇒(リンク)
次回は、このシリーズのまとめとして、認識形成の場の構築について考えてみます。

List    投稿者 wyama | 2011-07-14 | Posted in 07.新・世界秩序とは?9 Comments » 

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コメント9件

 たむたむ | 2012.10.27 23:47

こうやって歴史を俯瞰してみるといろいろなものが見えてきますね。楽しく読ませてもらいました。
試しに、今回の記事に「西部劇」というコンテンツを加味して整理し直してみました。
①「西部劇」に代表される拡大と征服の物語で白人支配の歴史を肯定。1950年代は西部劇黄金期に。
②1960〜70年代、テレビと人権思想の普及により、映画離れとネタ切れ状態に。
③以降、テーマは多様化。犯罪物、青春物、海外歴史物、SFで可能性放散的に作品が生まれ、一定息を吹き返す。
④最近は、スピルバーク作品に代表される“事実”物、CGや3D技術で見せる過度なフィクションに二極化している。
こうしてみると、描かれる中身は変遷しつつも、一環して染脳装置、事実認識を撹乱させる装置として、映画が機能してきているように思います。

 leonrosa | 2012.10.29 2:11

たむたむさん、コメント有難う。
西部劇は確かに米国映画の1ジャンルですね。いつも、ネイティブインディアンが悪者になっている。ネイティブインディアンを虐殺して西へ西へと領土拡大していった米国史を映画という形で正当化しているのですね。

 gbc | 2012.10.29 19:02

別に映画に詳しいわけではありませんが、卒業はキリスト教を攻撃している映画だと思います。娘の母親と不倫する不道徳さと、花嫁を式場から連れ出すとき、出口のドアが開かないように十字架を閂の様に使用したことなどです。ハリウッド映画はユダヤが発祥のせいかどうか知りませんが、邪悪で退廃的なものが多いと思います。が、それを悟られないように作りこんでいるのが、まるで洗脳映画のようです。自分達に都合のよい映画を作って、しかも、それで金儲けする。最高にずるがしこい人たちです。

 leonrosa | 2012.10.29 22:36

gbcさん、コメント有難う!
映画『卒業』には、そんな仕掛けもあったのですね。
団塊世代は、ダスティン・ホフマンとサイモン&ガーファンクルにすっかり騙されています。私もその一人だったでしょう。
でもでも、音楽はやはりいいなぁ。
「4月になれば彼女は」「スカボロー・フェア」「ミセス・ロビンソン」そして、「サウンド・オブ・サイレンス」

 gbc | 2012.11.06 10:23

「エデンの彼方に」という映画はご覧になられましたか、この映画もハリウッド映画本領発揮の作品だと思います。リボーショナリーロードも同じ系統の映画のように思います。ワープアを推奨しているかのような、マイレージ、マイライフ』もおつな作品です。巧みな洗脳映画はもうたくさんです。

 leonrosa | 2012.11.06 12:42

gbcさん、再度のコメント有難う!
「エデンの彼方に」という映画は見ていません。ところで、この映画は『エデンより彼方に』ではないでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%88%E3%82%8A%E5%BD%BC%E6%96%B9%E3%81%AB
エデンと言えば、1955年公開の『エデンの東』の方を連想します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%9D%B1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
1950年代の米国映画は良い作品があると思います。1980年代以降では、マイケル・ムーア監督のドキュメント、「ボウリング・フォー・コロンバイン」や「シッコ」が良いですね。

 gbc | 2012.11.10 19:48

どうも間違えてました。

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