2010-10-14

国家と市場の成立→崩壊構造に迫る(8)外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』

 
 
前回は、「人類の新たな活力源=圧力源」ということを明らかにしました。
今回は、その答えとなる「外交収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』」を明らかにしていきます。
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それでは、<超国家・超市場論14 市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある>を引用しながら明らかにしていきます。

『新しい潮流1〜14』
新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
新しい潮流7 同類圧力は、新しい認識によって生み出される
新しい潮流8 現実を対象化するための概念装置
新しい潮流9 構造認識は数十年で伝播する
新しい潮流10 外向仲間収束は、観客から協働者への移行の土台となる
新しい潮流11 外向仲間の拠点(収束核)が、認識形成サイトである
新しい潮流12 外向仲間の本質は認識仲間である
新しい潮流13 認識仲間の実現基盤
新しい潮流14 社会空間における本源共認の実現形態
で明らかにした様に、現在すでに人々は、社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へと向かっている。この認識欠乏が顕在化するのは、もはや時間の問題である。
それが顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、従ってまた最強の活力源となる。
なぜなら、人類の最先端機能は観念機能であり、従って答え(に近い認識)こそが、人々の意識を統合すると共に、その答えが人々に活力を生み出し、その認識が人々の全ゆる行動の指標(モノサシ)となるからである。従って、答え(となる認識)は、まぎれもなく最先端価値であり、その下に全てを収束させる統合価値ともなり、全ゆる行動を導く指標価値ともなる。
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数年前から社会的な閉塞感・不全感(不安感)は高まるばかりです。その様な社会不全に対しては、個人ではどうしもなく、答えが見つからないのでいつまで経っても不全感は解消されません。その結果、人は潜在的に可能性や安心感・充足感を求めて、身近な仲間や人に向かうようになりました。若者を中心にした仲間第一の意識潮流は端的な現象でしょう。あの「いじめ」でさえ、仲間関係が全てとなって逃げ場のなくなった子供達が陥らざるを得なかった社会現象といえます。
その「社会不全⇒人(ひと)収束」も、やがては個人や集団を超えた社会圧力を把握しようとする認識欠乏に向かいます。要するに、個人や集団内には見つからない社会不全に対する答えとなる認識を広く外に向かって=社会に向かって求めはじめるのです。詳しくは、社会収束2 私権圧力を超えた外向収束の潮流を参照下さい。
ネットに人が集まるのも、外向収束⇒認識収束の潮流であることは、この記事を読まれている方には自明のことかも知れません。そして、もしもそこに社会不全の答えとなる認識があったなら、それが現在社会における最先端の価値となり、これからの社会を統合する指標となることもあえて説明は不要でしょう。
しかし、そこに答えとなる認識があったとしても、それだけでは現実は変わりません。

そして『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。従って、『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。

社会とは、まさに人々の意識そのものです。故に、答えとなる認識が末端にまで浸透しなければ現実は変わりません。現実とは人々の意識に他ならないのです。
それでは、社会を統合する最先端機能とは・・・

既に『超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く闘争圧力を把握せよ』で触れたように、人類の最先端機能は、最末端まで貫く同類闘争の圧力を大前提にしており、それなしには成立しない。では、大前提となる次代の同類闘争圧力とは何か?それは既に、前稿で明らかにされている。即ち、人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、まぎれもなく新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。
つまり、私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。
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私権時代は「身分」という力の序列とその共認によって、(良かれ悪しかれ)国家として統合されていました。市場は、身分序列によって統合されていた私権社会の抜け道として登場しましたが、身勝手な市場には社会を統合する機能はありません。また、市場は生存圧力に基づく私権闘争を圧力源=活力源としているので、市場活動によって豊かさが実現すれば、自らの活力源を失い、縮小するしかありません。そして、市場の拡大限界が国家の統合限界となります。
豊かさが実現し、市場の拡大限界=国家の統合限界に到った今、人類の新たな活力源=圧力源、それを見いだすことがこれからの社会を考える上での鍵となります。人々が求める新しい認識が、最先端の統合価値となり、最強の活力源となります。そして、最先端の認識闘争=評価闘争の場となる『認識形成の場』の形成が、最終的な答えとなります。
重苦しい閉塞感を打開し、突破する答えとなる認識にみなが収束し、新たな可能性に向かって歩み始める日も近い。
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次回は、今までの総まとめの予定です。

List    投稿者 cosmos | 2010-10-14 | Posted in 07.新・世界秩序とは?4 Comments » 

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コメント4件

 匿名 | 2011.07.10 20:32

あのー、これっていわゆる、日本でも古典的に不動産デベロッパーやファンドなんかもやってる「開発型不動産投資」ですよね。
多少、商品の事務的な仕組みは違っていても、
土地に建物や施設などを作って、開発利益を分配する、という事業に投資する。という基本スキームは、日本の街中の不動産業者でもやってる事業で、それを多くの人から資金を集めてリスクを分散して投資家は小額、小口の有限責任資金で参加できる、というようなものでしょう。
別に、その仕組み自体は、目新しいものでも、悪徳でもなんでもなく、ありきたりなものですが、事業内容をよく吟味しなければリスクはある。というようなものです。
多くの不動産金融商品がそうであったようにっこの類の商品は、たいてい「リスクは高いが、リスクを回避するための保険や法的スキームなど金融、法的技術により一般投資家のリスクは低減されている」という触れ込みです。
きちんと自分で不動産事業、不動産市場のリスクや事業の仕組みを理解して判断できれば、恐れるものでも、だまされるものでもありませんが、「何も考えなくても儲かる」ものではないことは理解しておく必要がありますョ☆☆☆

 s.tanaka | 2011.07.16 18:59

コメントありがとうございます。
そうなんです。一見すると普通の不動産投資信託なんですね。サブプライムのような複雑な証券化の仕組みも関係なさそうだし。
 
ただ、サブプライムの時も皆はじめは大丈夫だろうと高を括っていたわけですし、米国デフォルトの噂もあるこの時期に日本でこの話がたまたま2人の人間から同時に出てきたことは、何か偶然ではないように感じています。
このスキームに何か仕掛けがあるのか無いのか、しばらく追求してみようと思います。

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