2015-12-03

金貸し勢力のスパイの証言(18)~原爆研究情報を米国に売り渡しノーベル賞を得た湯川秀樹~

東北帝大 湯川秀樹

この記事はかなり衝撃的である。タイトルにあるように湯川秀樹が国賊であったとは・・・それを知る人も少ないのではないか。

ユダヤの対日悪戯を80年余りに渡って追い続けた渡部悌治が暴いている。

日本は戦時中からこうした輩が暗躍していたということのようだ。金貸し連中は、明治時代から着々と日本支配を推し進め、日本のあらゆる組織に彼らの工作員を忍ばせていたのである。

 

以下、「伝説の秘密諜報員 べラスコ」(高橋五郎著)を基に転載紹介しています。

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◆東北帝大青年助手変死事件と原爆、そして湯川秀樹

 

東北帝大青年助手変死事件――渡部が注目したこの変死事件には原爆が絡んでいた。事件を通して示された“おこない”を疑われたのは仁科芳雄博士ファミリーと湯川秀樹だ。

 

以下、『ユダヤは日本に何をしたか』(渡部悌治著)からの転載

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大東亜戦争のたけなわとなった頃のことである。山形県の新庄市近郊の沼沢の近くで、冬の日の穏やかな午後、一人の青年の凍死体が発見された。調査により、その男は道筋の茶屋に、人待ち顔に立っていたという。沼近くなったところで靴を脱ぎ、素足で数十歩進んだと思われてから、白雪の上にうつ伏せになって死んでいたのだ。左手に口の開いたままのカバンを握り締め、カバンからは書類の片々が周囲に散乱していたという。

 

その頃、隣県の宮城県警のまだ若い五乃井という警部補が、当時原子爆弾の研究に関係ある仙台の金属研究所の青年助手の失跡を探索していた。この失跡者が、金属研究所内の極秘の原子爆弾関係書類を持ち出しているとみたからである。

 

五乃井警部補が失跡者・菊池清太郎を助手としていた東北大学の仁科教授に失跡直後に面会したとき、仁科教授は五乃井に、「菊池君は生きていないでしょう」と語ったという。そして側近にもそう漏らしていたというのである。

 

私もこの失跡者の両親を訪ねた。その時の良心の感触は、既に仁科教授に言い含められているように感じた。おかしいと思った。息子の生存にはもはや望みはかけていないように見え、深く語ることを避け、何かしら息子が重大な過失を犯して、あたかも、それが死に値することでもあるかのように思いこんでいるように見えた。

 

しかし、この青年はある良家の子女と婚約しており、その失跡も挙式を前にしてのことであった。息子の失跡を内密にし、捜査の打ち切りを願っている様子の両親の態度に、私は大きな疑念を抱かざるを得なかった。この青年が既にこの世にいないものとすれば、犯人は、この青年は生きていないと言えるもの以外にはいないはずである。それならば、理研〔理化学研究所。世界的にもトップレベルの水準を誇り、原子爆弾を始め最新兵器の開発にも携わっていた〕の仁科芳雄博士の甥である東北大学の仁科教授が、叔父の仁科博士から託された書類をこの青年助手に持ち出させたか、あるいは敵側の工作員に手渡させたかということになる。仁科教授は「仁科博士から預かったものを紛失した」と言っていた。

 

そこで、仁科教授は仁科博士付きの敵国工作員だったのかが問題となる。その疑問を解く意味でも、この青年助手は死なせてはならないものだったのだ。彼が生存して発見されるか死体で見つかるかでは、国の機密の行方を知るについての手がかりを失うか否かの重大な岐路に立つのである。それほど重大な意義を持つこの失跡に当って、両親がまったく他人事のような素振りを見せていたのは、きわめて不可解なことであった。さらにこの失跡者の後を追っていた五乃井警部補が、決して一人占めの功名からではなしに、また上司に内密に捜査を進めているというふうでもなしに、なんとなく上部の有力筋から捜査打ち切りの圧力があって、しかもそれに抗して密かに事件を追い詰めているかのような素振りをしていたのも気にかかる行動であった。

 

この凍死体を発見した新庄警察も、山形県警部もともに、凍死体となった失跡者の背後関係を知らなかったのであろう。それを単に自殺と見て死因の解析もしなかったために、この凍死者についての宮城県警察部からの照会があったときには既に旬日を経過していた。警視庁が、この青年助手の死の足どりについて調査を命じたのは、さらにその後数日を経てからである。しかし、両県警察部とも納得のゆく報告書を提出しうる能力はなかった。山形県警にしても、かつて東北大学の宇野弘蔵教授らが、コミンテルンの指令と文書や工作費を、日本海の飛島沖で直接手渡されていた事実とか、左翼分子らが、宮城県の重要河川の氾濫に乗じて鉱山の鉱毒抗を決裂させて、穀倉地帯の収穫を皆無にしてしまった陰謀にも対処し得ないでいた程度のものだから、なんら収穫も期待することはできなかった。

 

この青年助手の死についての警視庁からの県警への調査命令には、私が関係していたことに原因があった。凍死の現場のある山形県の新庄市に立ち寄ってから、私の故郷の酒田市にまわったときに酒田警察署の前田警部補とその上司に一部ずつ、凍死事件関連の第三国工作員達の動向や、その手先になって踊らされているロータリー・クラブの動き、東北大学の教授連が敵国の対日工作にどのような役割を演じているかなどを記した資料の一部を渡しておいたのだ。決してたには見せないことを訳してあったのだが、この者たちが上司に見せ、さらに署長から山形県警に上申され、それが警視庁にまわされていたのである。郷里から東京に戻ると、警視庁の高橋課長らが、明治神宮前の隠田の私の家に待機しており、なぜ自分達に話してくれなかったのか難詰されたりした。

 

しかし、当時はまだ、当局に話してもよいほど真相は掴めていなかったのである。理研の仁科芳雄博士の甥の仁科教授が、東北大学にいる間に、仙台のフリーメイソンやロータリー・クラブの威力に屈して敵側の指示に従い、自分では持ち出せないで助手の菊池清太郎に持ち出させ、山形県の新庄市の郊外で敵の指令を受けた朝鮮人に手渡させたのではないかとの疑惑が残っていたからだ。仁科教授が叔父の仁科博士を裏切っているのではないかとも考えられたのである。

 

当時の仙台市の上層階級は、他に見られないほどフリーメイソンやロータリー・クラブの威力が強く、(市政は)その指示で動かされていた。岩手県東磐井郡川崎村の薄衣周辺に米国ユダヤ・フリーメイソンの流れをくむ帰国者がおり、戦時中反戦運動の密令を受けた朝鮮独立運動家の金東河らが止宿していたが、その影響力が大きく残存していたことによるものだ。敵の対日工作機関のミッションスクール、各会派キリスト教会の存在が強く作用していた。東北学院総長のシュネーダー博士など、仙台のフリーメイソンやロータリー・クラブの采配をふるっていたことも事実である。

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たとえば、当時の食糧事情の悪さから、空腹に耐えての研究では士気もあがるまいなどと口実を設けて、東亜連名やロータリー・クラブほかのメンバーが食料などを手に慰問団を装って仁科博士らの理化学研究所に裏口から堂々と出入した。

 

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仙台上層部の圧力に抗しきれず、仁科教授が原子爆弾関係書類の持ち出しの中心となったのではないかという疑問が、残されていた調査事項であるし、それが明確になってから警視庁と打ち合わせる予定であったと説明しておいたのである。

 

戦時中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで千間一つを沈めるといわれていた新兵器は、今日言う原子爆弾のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。しかし、その基礎理論が完結を見ないでおり、理研内では研究員達が手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部にもらしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた。ところがそれを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である。

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仁科博士のサイクロトロンとは、原子核の人口破壊に用いるイオン加速器。原子爆弾開発に必須で、列強が競って研究していた。

 

List    投稿者 tasog | 2015-12-03 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨No Comments » 

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