2021-04-13

【金による新基軸通貨】1980年、金を巡る闘いで奥の院(デル=バンコ)が米財務省・IMFに圧勝

1980年1月、デル=バンコの金価格操作によって、金1オンスが850ドルという最高値に高騰した。これは金を巡るデル=バンコVS米財務省・IMFの闘いの結果であり、勝利したデル=バンコは世界中の金をかき集めた。一方、米財務省とIMFは完敗し、FRBの金庫の金は空になったらしい。

『Electronic Journal』2008年07月18日「1980年の金高騰の裏事情」の要約。
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1979年9月――金1オンスが850ドルになる6ヶ月前、IMF委員会は次の2つの決定をした。
1.金公定レートを廃止する
2.金の一部を競売にかける
特に2はIMFと米財務省が保有する金の一部を投げ売りすることを意味する。

ゴールドプランで中央銀行から金を借り、低利であることを前提に、それを売却して営利の事業に注ぎ込んでいた米国の中枢を担うチェース・マンハッタンやJPモルガン、バンク・オブ・アメリカは急速に値上がりする金の価格に経営が窮地に陥っていた。いかに低利でも金の価格が上がるとそれに応じて利息の額が急拡大したからである。
米財務省とIMFは、保有する金の一部を競売にかけて、金の価格を下げようとしたのではないか。

デル・バンコ一族は、デリバティブを通じたレバレッジの手法で金の釣り上げを仕掛けたのに対し、合衆国財務省やIMFが大量の金を放出して何とか金価格を下げようとする。まさに金の戦争。そして、総額20兆ドルを超える巨額な資金がCOMEX市場に投入されたが、金の価格は一向に下がらず、米財務省とIMFはこの戦いに敗れ、金の価格は850ドルに達する。

1980年1月21日、金の価格は850ドルという記録的な高値をつけた日の午後、カーター大統領が、合衆国は「世界最強の国家であり続けるために必要ないかなる代価も支払わなければならない」という声明をだした。その後、金の価格は下落し、1985年までに金の価格は300ドル前後になり、1997年末には300ドルを割り込んだ。つまり、8年間に金は60%以上も安くなった。

この戦争は、デル・バンコ一族による金の吸い上げではないか。
まず、中央銀行の所有する金を「金リース/ゴールドプラン」(そもそもこのプランはデル・バンコ一族のアイデア)によって市場に誘い出し、それをデル・バンコ一族が吸い上げる、これが第1段階の金集めである。
その後、米財務省の保有する金地金とIMFの金が金価格を下げるために市場で出てきたところを再び吸い上げる。これが第2段階。
このようにして、デル・バンコ一族は世界中の金を集めた。

米国の金塊蓄積所は、ニューヨーク連銀の地下金庫室と、ケンタッキー州フォートノックスにあるFRBの地下金庫室に保管されていると言われている。日本や世界の弱小国の保有金もフォートノックスの地下金庫室にある。しかし、その日本の金も含めて米国の金はほとんどなくなっているという情報がある。1980年の金戦争の結果、米国は完敗し、金はほとんどなくなって金庫室は空になったという。
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List    投稿者 tasog | 2021-04-13 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨No Comments » 

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