2021-12-23

日本経済が成長しなくなったのは「デフレ下におけるインフレ対策」という愚行が原因?

日本経済が成長していない事実は周知の事実かもしれないが、世界的に見ても日本だけGDP成長率が-20%と圧倒的な最下位!

「日本は成熟社会だから、もう経済成長しない」などという人がいるが、決してそうではない。

原因は複数

「デフレ下におけるインフレ対策」という愚行が原因!!

「日本政府がそんな簡単な間違いを犯すのか?」「なぜそんな間違いに気づかなかったのか?」

実際に起きている事象から追っていく。

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FACTA ONLINE 日本衰退の元凶「新自由主義」より転載

日本衰退の元凶「新自由主義」

なぜ、日本経済は成長しなくなったのか。答えは簡単である。政府が「デフレ下におけるインフレ対策」という愚行を続けてきたからだ。

まず、図1をご覧いただきたい。

これは、1995年から2015年までの20年間の経済成長率(名目GDP=国内総生産の変化率)の各国比較である。日本だけが経済成長を止めているのが、一目瞭然だ。しかも、日本は20年に及ぶデフレであり、このような長期のデフレは、世界にも類を見ない。第2次世界大戦後、「奇跡」と呼ばれた経済成長を成し遂げた国が、90年代半ばを境として、突然、このような無残なパフォーマンスしか出せなくなった。なぜ、こうなってしまったのか――。

しばしば、「日本は成熟社会だから、もう経済成長は望めない」だの「少子高齢化社会だから、経済成長はできない」だのと、したり顔で語る人がいる。しかし、欧米の成熟した先進諸国と比較しても、日本だけが突出して成長していない。さらに言えば、90年代半ばを境に、日本だけが、突然、折れたかのように、成長が止まっている(図2)。これほど極端な現象は、社会の成熟、産業構造の変化、あるいは人口動態といった構造的な要因では、説明できない。

◆「大きな政府」がデフレ対策の第一歩

よほど間違った経済政策を長期にわたって続けない限り、このような形で成長できなくなるはずがない。結論を先に言えば、日本経済が成長しなくなったのは、日本政府の経済運営の誤りのせいなのだ。

そもそも、マクロ経済には、インフレとデフレの二つの状態がある。

インフレとは、需要が供給より多い状態が続くため、物価が継続的に上昇していく状態である。一言で言えば「好況」ということだ(なお、ここでは、不作による食糧価格の高騰や、地政学リスクによる輸入品価格の高騰など、コストプッシュ型のインフレは除いている。ここで議論するのは、あくまで需要過剰によるインフレである)。

デフレとは、言うまでもなく、インフレとは正反対の現象である。つまり、需要不足、供給過剰の状態が続くために、物価が継続的に下落していくことである。需要不足ということは、要するにモノが売れない「不況」だということだ。したがって、政府の経済運営は、デフレ(不況)を回避し、インフレ(好況)を維持することを目指すこととなる。

もっとも、需要過剰のインフレが行き過ぎれば、バブルを発生させたり、物価の高騰によって国民生活を破壊したりするなどの弊害が生じるので、それは回避しなければならない。こうしたことから、政府の経済運営は、バブルを警戒しつつ「適度な」インフレを維持するのが望ましいということとなる。では、デフレを回避しつつ、過度なインフレも防ぎながら、経済を運営するには、どのような経済政策が必要となるのであろうか。まずは、インフレ対策から、みていこう。

<中略>

「橋本構造改革」が愚行の始まり

実際にインフレ対策が実施された事例がある。70年代から80年代にかけての先進国である。

特に、マーガレット・サッチャー政権時のイギリスや、ロナルド・レーガン政権時のアメリカは、規制緩和、自由化、民営化、グローバル化を推し進め、「小さな政府」を目指す改革を行った。この改革のイデオロギーとなったのが、いわゆる「市場原理主義」あるいは「新自由主義」である。

当時のイギリスやアメリカが新自由主義的な改革を実施したのは、当時の英米がインフレに悩んでいたからだ。

反対にデフレ対策が実施された事例もある。最も有名なのは、1930年代のフランクリン・ルーズヴェルト政権が実施したニュー・ディール政策である。公共投資など政府支出を拡大させただけではなく、産業統制や価格規制の強化や労働者の保護も行い、まさに、需要拡大と供給抑制を実施したのである。その理由は言うまでもなく、当時のアメリカが、世界恐慌という大デフレ不況に襲われていたからだ。

以上のインフレ対策とデフレ対策を整理すると、上の表のようになる。この表から明らかなように、インフレ対策とデフレ対策とでは、内容が正反対となる。

この正反対の対策は、次のようにも言い換えられる。インフレ対策とは、政府が「需要抑制/供給促進」政策によって、人為的にデフレを引き起こすこと。反対に、デフレ対策とは、政府が「需要拡大/供給抑制」政策によって、人為的にインフレを引き起こすことである、と。

さて、「日本は、なぜ90年代半ばから、経済停滞が続いているのであろうか」という冒頭の設問に対する答えは、何か。賢明な読者は、もうお分かりになったであろう。90年代初頭、バブルが崩壊し、不況に突入した。それを受けて、日本では、さまざまな構造改革が進められてきた。

とりわけ、96年に成立した橋本龍太郎政権は、行財政改革、経済構造改革、金融システム改革などの「構造改革」を掲げ、それを実行してきた。具体的には、公共投資をはじめとする財政支出の削減、消費増税、「小さな政府」を目指した行政改革、規制緩和、自由化、民営化、そしてグローバル化の促進である。

この「構造改革」は、2000年代前半になると、小泉純一郎政権によって加速された。09年から3年間、政権を担った民主党も基本的に同じ路線である。その後を継いだ安倍晋三政権は「アベノミクス」の3本の矢として、金融緩和、機動的な財政政策そして成長戦略を掲げたが、成長戦略は、基本的に「構造改革」路線である。また、財政政策も、当初は積極的な財政出動を行ったが、次第に財政支出を抑制するようになり、消費税については、税率を5%から8%に引き上げ、さらに10%にしようとしている。

しかし、既に述べたように、財政支出の削減、消費増税、「小さな政府」、規制緩和、自由化、民営化、グローバル化は、いずれもインフレ対策なのである。

90年代初頭に起きたバブルの崩壊とは、資産価格の暴落であるから、その後は、デフレになるのを警戒しなければならなかった。すなわちデフレ対策を断行すべきだったのである。ところが橋本政権は、愚かにも「構造改革」と称するインフレ対策を断行した。その当然の結果として、日本経済はデフレに陥った。それに拍車をかけるように、小泉政権は「構造改革」というインフレ対策を続け、その後の政権も基本的にその路線を踏襲して、現在に至った。

この一連の「構造改革」の手本となったのは、80年代の英サッチャー政権や米レーガン政権の新自由主義的な改革であった。しかし、重要なので繰り返すが、当時の英米は「インフレ」に悩んでいたのである。だから「インフレを退治するために、人為的にデフレを引き起こす政策」として、「小さな政府」、規制緩和、自由化、民営化そしてグローバル化を推進したのだ。

ところが、日本は、デフレであるにもかかわらず、英米の「インフレ退治のためにデフレを人為的に引き起こす政策」を手本にした「構造改革」を進めてきた。しかも、それを20年間も続けてきたのである。

なぜ日本経済は、成長しなくなったのか。

答えは簡単である。それは、政府が「デフレ下におけるインフレ対策」という愚行を続けてきたからだ。お陰でデフレが長期化し、経済成長もしなくなった。当然の結果であり、何も不思議なことはない。

◆「構造改革」と正反対のことをやれ

では、日本経済の停滞を打破し、デフレから脱却するためには、どうしたらよいか。

答えは簡単だ。要するに、インフレ対策である「構造改革」とは正反対のことをやればよいのだ。すなわち、先の表の右側の政策である。

改めて言うと、デフレとは、「需要不足/供給過剰」の状態であるから、需要を拡大し、供給を抑制する政策がデフレ対策となる。需要を拡大するための政策とは、財政支出の拡大、「大きな政府」、減税である。供給を抑制するための政策とは、規制の強化、企業間の協調(競争の抑制)、産業の保護、労働者の保護、グローバル化の抑制(保護主義)である。

もっと乱暴に言えば、こうなる。「政府は大きくしろ」「公務員を増やし、給料を上げろ」「財政赤字は拡大した方がよい」「生産性が向上しないように、産業や労働者を保護して競争を抑制しろ」「グローバル化には背を向けて、保護主義に走れ」――。

これが日本経済の停滞を打破するための政策だと聞いたら、誰でも「何という暴論か!」と、眉をひそめるであろう。

確かに「暴論」である。インフレ(需要過剰/供給不足)の時には、その通りだ。しかし、デフレ(需要不足/供給過剰)の時には、これが「正論」となるのである。

インフレとデフレとは、正反対の現象であり、原因も正反対である。だから、対策も正反対となる。インフレ時の「正論」が、デフレ時には「暴論」になる。ということは、インフレ時の「暴論」こそが、デフレ時の「正論」なのだ。ところが、このように経済環境の違いに合わせた発想の逆転が、日本人にはできなかった。それが、日本の長期停滞を招いたのである。

なぜ、日本は、インフレとデフレで発想を逆転させることができなかったのか。理由の一つに、先の大戦から50年間、日本のみならず世界がデフレを経験しなかったことがある。過去の世界恐慌(デフレ)の経験を踏まえ、ケインズ主義的な経済運営が主流となり、積極財政が行われるようになったから、デフレが起きにくくなった。その代わりに戦後の経済運営で問題になったのは、高インフレだった。その典型が1970年代の欧米である。

一方、日本は終戦直後、未曾有のインフレに苦しんだ。空襲による生産能力の破壊(供給不足)に加え、戦後復興、復員軍人への給与、発注済みの軍需品に対する支払いや損失補償により財政支出が膨張(需要過剰)したためである。かかる経緯ゆえ、戦後の世界では、経済対策と言えば、もっぱらインフレ対策となり、デフレ対策は忘れ去られた。80年代以降、経済学者たちは、インフレ対策ばかりを提案するようになった。その処方箋が、英サッチャー政権や米レーガン政権の新自由主義である。

(引用終わり:日本衰退の元凶「新自由主義」

以上のように、インフレとデフレが対極の事象であるようにその対策もインフレとデフレで異なるのは当然のこと。

にもかかわらず間違いに気づかずに「デフレ下におけるインフレ対策」を続けてきた原因の一つに「固定観念」があるといえる。

インフレ下の政策を正として思考の枠にはめてしまうと、どうしてもデフレ下の政策は「暴論」になってしまう。必ずしも正解は一つではない。思考の枠(固定観念)を外して試行していくことが可能性といえる。

そこに関連して、政治家も政府も国家も一貫して必ずしも「答え」を持っているとも限らないし、「正しい」とも限らない。

だからこそ重要なのは、自分の頭で考えること。なにが真実でなにが可能性か。

情報過多な現代だからこそ、そこを意識していきたい。国にぶら下がっていては生きていけない。

 

List    投稿者 前の院 | 2021-12-23 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨No Comments » 

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