ハイリスクハイリターン文化が生んだベンチャーキャピタル2~スタートアップの聖地、シリコンバレーの勃興2~
ハイリスクハイリターン文化が生んだベンチャーキャピタル2~スタートアップの聖地、シリコンバレーの勃興1~
について考察していきます。
②軍からの需要拡大
この適応力の高さは他の地域には見られず、例えばボストンの「ルート128」と呼ばれる地域は自己変革が出来ず廃れていきます。
結果として、アメリカ国内の雇用と生産活動の重心は、急速に西へ移動することになったのでした。
➂シリコンバレーというカルチャー
ここが一番重要だと思いますが、3つ目はカルチャー。
シリコンバレーには、そもそもスタートアップを育む基盤、すなわちリスクを奨励し失敗を受け入れる、起業家の可能性を制限するような、年齢や地位、社会的立場による差別が無かった、と言われています。
また、カルチャーとは若干異なりますが、
「私たちはなぜ、この地に引き付けられたのでしょうか?まず、なんといっても気候が世界中でずぬけてすばらしい。いつも天気がよくて、近郊には昔のままの風土がー少なくとも今のところはーそのまま残っているのです。(インテルのロバート・ノイス)」
とあるように、気候が良く働く環境として優れていた、という点も要因として挙げられそうです。
暗くじめじめした所で新しいアイディアが生まれる感じはしないですからね。
さて、このシリコンバレーカルチャーの原点は、1910年代~20年代に流行したハム無線の愛好者グループであると言われています
短波ラジオの愛好者たちは、初期のベイエリアのエレクトロにクス業界に、階級や教育などは全く気にせず、技術上の新しい発見はニューズレターで嬉々として公表されるオープンなカルチャーを作り上げていきました。
この文化が後に新進の起業家たちが「互いに学びあいながら」真新しいキャンバスの上に自分達独自のルールを描くことが出来たのです。
このようなカルチャーをベースに設立されたスタートアップは、非常に民主的で、
例えば、企業名に「平等な人達の団体」を意味する「アソシエイツ」という名前を付け、先進的な企業づくりにチャレンジしたり、ヒューレッド・パッカードの様に、従来の縦割りの企業構造とは異なる分散型の組織構造にチャレンジする企業が現れます。
ヒューレッド・パッカードは、創業者を含む経営幹部が新入りエンジニアと一緒にプロジェクトに取り組んだり、マネジャーたちが社内をうろつきまわったり、ざっくばらんな会話をスタッフとするなど非常にフラットな組織でした。
上が変われば下も変わる。スタッフ側も自分たちのアイディアを主体的に追求する企業風土が作られていきます。
制度面でも先進的でした。当時のアメリカの民法は、雇用契約が終了した後の一定期間は、競合会社に移る事が禁止されていましたが、カルフォルニア州は、1872年に民法を改正し、起業をしようとした従業員が元の会社から制約を受けない仕組をつくりだします。
これは他の州とは一線を画す制度で、制度上も起業家が生まれやすいカルチャーを生み出した。と言えるでしょう。
以上、2回にわたって、シリコンバレーがスタートアップの聖地として勃興した要因を整理してきました。
あらためて整理すると、順番がやや変わりますが、
と言った所でしょうか。
アメリカのバクチ文化は良い面も悪い面もあると思いますが、
スタートアップが数多く生まれ、新しいモノを次々と生み出していく。
という位相においてはプラスの面が大きいと思いました。
アメリカを参考にしながらも、日本は日本のカルチャーに合わせたイノベーション、スタートアップの仕組の構築が必要になるのだと思います。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kanekashi.com/blog/2023/03/10675.html/trackback