2021-04-13

【金による新基軸通貨】ドルショック後の奥の院デル・バンコの仕掛け(中央銀行の金を低利で貸し出させる)

1980年1月、デル=バンコの金価格操作によって、金1オンスが850ドルという最高値に高騰した。これは金を巡るデル=バンコVS米財務省・IMFの闘いの結果であり、勝利したデル=バンコは世界中の金をかき集めた。一方、米財務省とIMFは完敗し、FRBの金庫の金は空になった。

その前提として、中央銀行の保有金を金融市場に引っ張り出すというデル・バンコの仕掛けがあったらしい。

以下、『Electronic Journal』2008年07月17日「中央銀行から低利で金を借りる」の要約。

1971年のドルショック(ドルの金交換停止)でブレトンウッズ体制が崩壊。
それによって金の先物市場とデリバティブという金融技術が生まれた。
直接的な理由は、金が固定相場制から変動相場制になり、変動に対するリスクヘッジが必要になったためであるが、金の先物市場は、金の現物取引を縮小化させ、現物の金を使わないで金価格に影響を与える。つまり、現物の金を使わないでも、これによって、金の価格操作が可能になった。実際の金の生産量は年間2500トン。先物市場で取引される金は1日800~1000トンに達する。
また、本来、防御的手段であったヘッジが投機手段に変質し、実際に金の現物を保有していなくても非現実的な水準まで金の価格を上下させるこの金融技術、これをデリバティブを通じたレバレッジと呼ぶ。

それを可能にしたのが、デル・バンコが仕掛けた「金リース/ゴールドローン」である。
中央銀行は大量の金準備を単に保有しているだけでは利益が得られない。
ロンドンとチューリッヒで金の現物取引をしているデル・バンコ一族が、中央銀行に知恵をつけた。中央銀行が保有する金を特定の銀行に貸し出して、その利子を受け取るというもの。利率は通常年利1~2%で、「金リース・レート」と呼ばれた。

中央銀行の金塊が当時の金相場の1~2%という低利で借りられる。チェース・マンハッタンとJPモルガン、ゴールドマン・サックスとリーマン・ブラザーズがこの金の借入れに加わった。
これがデル・バンコ一族の仕掛けの第一段階である。

銀行や投資銀行は、中央銀行から金を借りた金を金鉱山会社に3~4%の利率で貸出した。金鉱山会社は借入れた金は採掘をした金で返済できるので、金現物を売却して現金を入手できる。この金の借入は低利で現金借入と同じである。

1975年の金先物市場COMEX開設までに大量の金を集める必要があり、その手段の一つが、中央銀行の金を動かす「金リース/ゴールドローン」だった。
このゴールドローンの構想が出たのは1973年頃。そのときの金の価格は年平均で「1オンス=約100ドル」前後と安く、かつ金リース・レートは1~2%という低金利。中央銀行から金を借り入れた銀行や投資会社は、金鉱山会社に貸出しするだけでなく、その金を売却して他の事業に回した。

しかし、これはデル・バンコ一族の仕掛けた巧妙な罠だった。
COMEXの開設後、金の価格はじわじわと上昇を始め、1973年には1オンス=97ドルだった金価格は1975年には162ドルに上昇する。
この罠に陥ったのは、米国の中枢を担うチェース・マンハッタンやJPモルガン、バンク・オブ・アメリカなど。これらの銀行は、金利が2倍→3倍4倍になり、経営を圧迫するようになった。そして、1975~1979年にかけて今度は米財務省とIMFが大量の金を売るという動きに出たが、1980年に金の価格は「1オンス=850ドル」に暴騰。
これを仕掛けたのはデル・バンコ一族であり、敗北したのは米財務省とFRB、および米国の中枢を担う大銀行である。

List    投稿者 tasog | 2021-04-13 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨No Comments » 

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