金貸しは日本をどうする?~近現代の金貸しの戦略(3)’80年先進国の行き詰まり⇒新たな市場開拓(BRICs)
金貸し(ロスチャイルド)がこれから日本をどうしようとしているのか?その意図、戦略は何か?近代~現代の金貸しの戦略を時代毎に見ていく中で、彼らの目論見を読み解いていきます。
前回の記事では、金貸しが中央銀行を乗っ取った19世紀以降、植民地拡大(とそのための戦争)、インフラ、福祉の3つの政策によって市場拡大の好循環を作り出し、順調に富を蓄積していたことが明らかになりました。
■ 市場拡大3つの政策
植民地政策は、大航海時代を起点とする略奪(市場拡大の原資)に始まり、19世紀の産業革命以降は、安い生産力として利用するように変化していきました。植民地で原料を安く生産させ、それを先進国で加工→流通させる手法です。
これに伴いインフラ政策も、大航海時代は港湾整備が中心でしたが、工業生産が盛んになるにつれ、原産地、生産地、消費地を結ぶ流通網の整備に変化していきました。
このようにして工業化による生産力の上昇と、流通網の拡大が加速することによって、20世紀に入ると消費(のためのお金)が不足する事態に直面します。(そのままではデフレ→市場縮小)
その打開策となったのが福祉政策でした。福祉という名目で国家が市場や大衆に資金供給することによって、不足する消費(お金)を補うことに成功し、さらなる生産と消費の拡大が実現しました。
まさに市場拡大の好循環です。
■ 市場拡大の新たな壁(供給過剰)
ところが、思いの外この福祉政策も長くは続きませんでした。1970年以降先進国では、市場拡大が頭打ちになるのです。
なぜでしょうか。
要因は「供給過剰」に陥ったことにありました。上昇を続けた生産力によってついに豊かさが実現し、人々がそれ以上の消費を必要としない状況になっていたのです。(欲しいものが行き渡る)
この状況下では、国家が福祉でどれだけお金をばらまいても消費が増えません。歴史上初めての事態です。
消費が増えなければ市場は縮小するしかなく、金貸はかつてないほどの窮地に追い込まれていました。
■ 戦争の大義名分が消滅
豊かさ実現がもたらしたものがもう一つありました。それは戦争の大義名分が立たなくなったことです。
戦争の最大目的は「国家を豊かにする」ことにあります。ゆえに一度豊かさが実現してしまえば、豊かさ実現のための戦争では、国民が収束できない。そして反戦の空気が先進各国で形成されていきました。
つまり先進国による豊かさの実現とは、市場拡大の常套手段であった「戦争」が封鎖されていく過程に入ったことを意味していました。
事実、豊かさが実現して以降は、イランイラク戦争、フォークランド紛争、湾岸戦争、そして9.11からのアフガニスタン、イラク戦争など、苦し紛れの大義名分(紛争解決、民主主義、テロとの戦い)でしか戦争ができなくなっています。その結果、勝敗のつかない泥沼化する戦争が増え、かつてのような戦争による資力拡大もままならない状況に陥っています。
■ 新たな市場開拓(BRICs)
市場拡大停止と、市場拡大戦略の無効化という未曾有の事態。
この窮地の事態に対して、金貸しは先進国の外に新たな市場開拓(消費者の拡大)を実施します。
市場開拓のターゲットとなったのが「BRICs」。
ゴールドマン・サックス(ロスチャイルド所有)のジム・オニール氏は2001年に4大新興市場国を「BRICs」と命名し、その後の10年以上にわたる投資ブーム(外貨呼び込み)を引き起こしました。
B:ブラジル
R:ロシア
I:インド
C:中国
ゴールドマンサックスは2050年のGDPランキングを以下のように予測しています。上位5位にBRICsが食い込んでいます。
これらの国に共通しているのが、まず人口の多さ(中国 約13億人-世界1位、インド 約10億5千万人-2位、ブラジル5位、ロシア7位)。4国だけで世界の42%を占める。
加えて国土面積(ロシア1位、中国3位、ブラジル5位、インド7位)、そしてその国土を活かした豊富な資源。
これらの要素が市場拡大の恰好のターゲットとなったのです。
■ 共産主義から資本主義へ(中国、ロシア)
1970年代、中国、ロシアは共産主義国家であり、すべての財は国家が管理(所有)していました。共産主義という国家体制が市場開拓の最大の障壁となっていたのです。
よってこれらの国に対しては、資本主義への転換(市場開放)を実施し、市場拡大を実現します。
中国の場合、鄧小平による文化大革命の否定⇒改革開放政策(1978年)。ここから中国は「社会主義市場経済」へと大きく舵を切りました。
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外資の積極利用が奨励され、広東省の深せん、福建省のアモイなどに経済特区が、上海、天津、広州、大連などの沿岸部諸都市に経済技術開発区が設置される。華僑や日欧米資本を積極的に導入することで、資本や技術の移転など成し遂げる一方、企業の経営自主権の拡大などの経済体制の改革が進んだ。
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中国の膨大な人口は、とことん安い労働力として利用され、1990年代には「世界の工場」と呼ばれるまでに成長。
賃金労働者の増加と賃金水準の上昇によって消費が押し上げられ、1990年代後半からGDPが急上昇。
(鄧小平と金貸しの関係についてはこちら→中国の市場経済化を推進したトウ小平の正体)
ロシアは、1985に年最高権力者となったゴルバチョフがペレストロイカを提唱し、急進的な市場開放政策や民主化、グラスノスチ(情報公開)を実施。それにより共産主義国家=ソ連は崩壊し、資本主義国家ロシアが誕生します(1991年)。
豊富な資源を原資に、GDPを拡大させていきました。(原油、天然ガスの生産額は世界一)
※ソ連崩壊→市場化の過程でロスチャイルド財閥の息のかかった新興財閥が、ロシアに続々と登場。これは、旧ソ連の国有財産が、ロスチャイルド財閥の手に落ちたことを意味しています。
(金貸しとソ連崩壊についての詳細はこちら→世界の運命は中央アジアが握る! ロシア編④~ソ連を崩壊させ、ロシア新興財閥を育てたロスチャイルド~)
■ 新興国の開拓(ブラジル、インド)
ブラジルは南米大陸で最大の面積、人口を有しています。加えて豊富な天然資源を有しており、特に鉄鉱石の輸出量は世界一。
そのブラジルは2000年前後より規制緩和(市場開放)を加速させ、外資参入とM&Aによって国内の大手民族系企業が次々倒産。現在ブラジルでは、大手企業のほとんどが外資に買われている状況にあります。
加えて開催国となる2014年・FIFAワールドカップ、2016年・リオ五輪を呼び水に、更なる市場拡大を狙っています。
インドは、10億人を超える世界2位の人口を有し、25歳以下の若い人口が約半数を占めているのが特徴です。
1991年以降、市場開放政策に転換。外資を積極的に導入し、若年労働者を積極活用しました。その結果IT、自動車産業等、世界有数の産業に成長します。
所得水準も上昇し、中・上流所得層の割合が2000年には2.6億人だったものが、2007年には3.5億人に増加しています。
ブラジル、インドとも規制緩和による市場開放(外資参入)によって、GDP成長を実現しています。
■ 台頭したロシア、中国の反撃
金貸しによる新たな市場開拓は現在も継続中で、南アフリカ、東南アジア等、まだ手垢のついていない国を市場に取り込むことをひたすら繰り返しています。(開拓できる国がなくなってしまえばこの戦略は無効化します)
一方、新興国として台頭した中国、ロシアがその経済力を基盤として、金貸し勢力からの脱却を加速させる動きもあります。
アメリカの無能化、ロシア・中国連合の台頭
本格的にほころび始めた米国覇権と中国、ロシアの台頭②
中国とロシアのガス契約締結でアメリカが滅亡する。
中国、ロシアは上述のように最高権力者を使って急激な市場化を実現しました。結果、国内にはそれまでにはなかったような急激な貧富格差が生じます(市場化の歪み)。
そのような歪み、金貸し支配に対しての危機感から、民族主義的な気運が高まったことが、現在の状況につながっているものと思われます。
これは金貸しには思いもよらない事態だったのかもしれません。
以降、トップを送り込んで一気に国家を変える手法から、市民革命路線へと転換しているように見えます(アラブの春、トルコの春)。
他方、日本は未だに従米一辺倒であり、金貸し支配からの脱却姿勢はほぼ皆無と言えます。
(蓄積した資力を武器にした強気の外交も十分可能とも思われるのですが、、)
よって次回の記事では、金貸しが1970年以、日本をどのように利用したのかを詳しく見ていきます。
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