金貸し勢力のスパイの証言(16)~ドイツ原爆は英国チャーチルを通じて米国アイゼンハワーに渡った~
元々英国チャーチルはヒトラーを高く評価していたが、金貸しの差し金による自動車事故:つまり脅しに屈し、金貸し勢力の片棒を担ぐことになった。
その最大の“功績”がドイツ原爆のアメリカへの横流しだという。元々ロンドンに使用されるはずの原爆が日本の広島に投下されることになった。その報償としてノーベル文学賞も・・・
元々ヒトラーも金貸しによって祭り上げられたが、ヒトラーの意に反する原爆横流しは一体どういう意味を持つのか?ドイツで死んだとされるヒトラーも実はその後10年近くも生きていたという衝撃の事実もこの著書には生々しく書かれています。(今回の記事では割愛しています。)
昨日までの友が今日には敵になる。また逆もしかり。そんな金貸し連中に操られる世界の“偉人”たち。その裏側の世界:真実がまたもや明らかになっていく。
以下、「伝説の秘密諜報員 べラスコ」(高橋五郎著)を基に転載紹介しています。
*********************************
◆戦争支配者は「ありものの爆弾」を投下活用する
(前略)
「ナチス原爆の広島投下」。この発言はかつてベラスコの口から唐突に飛び出したものだった。途方もない話だが、迷路に入り込む話ではなかった。なぜなら戦争の素顔が多少でもうかがい知れるようになれば自然に飲めるのがナチス製原爆説だからだ。むろん戦争支配者は「ありものの爆弾」を投下活用するだろう。
原爆発言は1983年秋、ベラスコ家の居間でだった。カナリス長官から直接聞いた話ではあったが、詳細は知らないとベラスコ。後年にシューレンベルグからも聞いて確信したのだと言う。この話を尻切れトンボに終わらせないために、私はナチス原爆情報追加入手をベラスコに依頼した。私は思わず〔超スパイ〕ベラスコに調査命令を下してしまったのだ。ベラスコは優れたエージェントだった。そしてさっそく調査の限界を知らせてきた。ベラスコの言う限界はこの件の背景の大きさを示唆していた。
私の目の前に、幻のナチス原爆の背後にある戦争の素顔らしきものが鮮やかに見えてきた。私のにわか仕立ての「部下」ベラスコからの報告書には、こう書いてあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マドリード1984年1月29日
高橋五郎殿
「ドイツ製原子力爆弾に関するノート」
貴殿の参考になる材料は、私がすでに述べて、書き記したこと、に付け加えるべき材料は実際にはわずかしかない。ドイツの原爆はペーネミュンゲで製造を完了したものの、イタリア人一命を含む製造担当者は、自らも予想しなかった成果を達成したようだ。
予想しなかった理由の中でも、とりわけ、後に日本における爆発というかたちで試されることになるほどの威力を原子爆弾が有していたことが挙げられる。
原爆のエレメント、すなわち爆弾のここの部分と素材は、チェコのボヘミア地方の原生林に移送されて組み立てられ、1942年4月21日に段階的実験を大成功させた。この実験グループの統括責任者はハベルムール氏で、彼は当時最も革新的な兵器の開発研究者らで構成されたグループの統括責任者だった。
ペーネミュンゲ市で二個の原爆は最終的完成に至り、その後ベルギーのリエハ付近に移送保管され、ゾンデルブーロー第十三号と称された極秘の爆撃機でロンドン、リバプールの上空で投下する予定だったが至らなかった。未投下の理由は、ヒトラーが「死体はもうご免だ」と中止を命じたためだった。
ベルギーにおいてアプヴェールとロンメル関係の消息筋の情報を把握していたヴェールマハトの職員を通じて得た情報によれば、二個の原爆は1944年11月にアイゼンハワーに渡されたとのことだった。シューレンベルグ指揮下のV1-C-13のエージェントがこの裏切りをキャッチし、その事実は総統に伝えられ、「砂漠の狐」(ロンメル)を処置するよう総統から命令が下った。しかし時はすでに遅く、対応策は得られなかった。そして三ヶ月後、米国側で関連調査研究が終り、原爆はその後日本投下に使用されたと推測する。
戦後、ドイツ原爆のいきさつを知る何人かのドイツ人が二個完成までの責任者の証言や、ベルギー移送後の極秘の事実を記録すべく調査に着手したものの、CIAはそれらを迅速な方法で妨害し、秘密は消滅したと見られている。不幸なことに、統括責任者ハベルムール氏はソビエト軍によってブレスラウのミテ工場に留置されたのち、モスクワに移送され消息不明になっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この「原爆ノート」はいわばイメージの一つでしかなかったが私にはこれで充分だった。時間はたっぷりある。新しい手掛かりは歳月が運んできてくれることだろう。
この手紙でまず目についたのは、3月という時期だった。
ベラスコがベルリンの地下官邸に呼びこまれたのは同じ1945年3月だった。
地下官邸に入ったその数日後に、ヒトラーはベラスコを執務室に呼んで、米国から入電したばかりの原爆情報発信人の信用度をベラスコに直接尋ねている。電文には、米国が即使用可能な原爆を用意したと書かれていたという。ヒトラーはその原爆情報の確認に異様な意欲を示して、即座に真偽を確かめようとした。そして、もはや戦意もなく緊急調査など無駄に思えたベラスコの態度をヒトラーは罵倒した。
ヒトラーは、「では米国の友人たちに聞いてみよう」。こんな言葉を口にして諦めの表情を見せた。その時期が3月だった。
その3月ことの米国原爆開発状況はどんな具合だったのか。
公式記録によれば、アメリカでの最初の原爆実験日は1945年7月16日の「トリニティ」実験とされている。その実験月をめざした2、3月ごろの様子は、牧草地帯の道路を爆弾用の純度を持つウラン235を積んだトラックがようやく走り始めている。テネシー州オークリッジから西海岸のニューメキシコ州ロス・アラモスへの部品類の長距離運搬だ。それらの部品が完全な爆弾となった爆弾実験を経ないかぎりは、使用型爆弾はつまり使用はできない。したがって、3月という時期は米国が自らの原爆を持っていなかった時期と言える。したがって、1945年3月に米国からベルリンのヒトラーに入電した原爆情報「完成原爆を所有した」とする電文情報は誤報ということになる。
米国流のナチス・スパイが伝えてきた「即使用可能な米国の原爆」とはいったい何のことなのか。
◆ナチス原爆はロンメル将軍からアイゼンハワーに渡された・・・
(前略)
ヒトラーの元支援者ウォーバーグ家やオッペンハイマー家ほかのユダヤ系商人らの意思がナチス原爆の開発事情と投下コストに無関心だったとは到底思えない。彼らがナチ党創設期に大金を投じたその早い時期にナチスによる原爆開発は始まっている。1942年2月にはチェコで爆発実験の段階に入っていた、とするベラスコの「原爆ノート」にもあるとおり、両家を含むユダヤ金融家商人らによる投下資金は実験費用にも回されたのだ。
米国の原爆開発事業(マンハッタン計画)の総予算は約21億ドル。当時では驚異的なビッグ・ビジネスだ。それほどの規模のナチス原爆開発費用をヒトラー支援団の意思がむざむざ失うはずはない。
「原爆ノート」によれば、ベルギーで保管中の原爆の管理責任者はロンメル将軍であり、彼がアイゼンハワー連合軍最高司令長官に原爆を渡した、とある。その裏切り行為が発覚してロンメルは処罰されたという。これまで歴史家が伝えるロンメル自殺の原因は、ヒトラー暗殺未遂事件のカドでとされているが、ナチス原爆横流しの罪だったとはされていない。だが、ベラスコのスパイ「ノート」は後世の歴史学者から無視されることにはならないかもしれない。いつの世も真実は扉の外に残るからだ。
私が、確信した人間の意志とその“おこない”についていくつかの事例を挙げておく。
原爆保管責任者ロンメルの忠実な部下はシュバイデル参謀長だった。ロンメルが直接原爆を管理することはありえないから実際はシュバイデルが現場で扱う。この一件では摩訶不思議なことがある。
大戦終了後に設立されたNATO(北大西洋条約機構)の実質的な初代事務総長は、何と敗戦国ドイツの西部方面司令官ロンメルの参謀長シュバイデルという。元ナチス原爆の管理担当者が、戦争終了後に、それまで敵軍つまり連合国側の、表向きの肩書きではないにしろ総責任者になれたのはなぜだろう。シュバイデルは戦時下の連合軍にどんな貢献を果たしたというのだろうか。
ノーベル賞のスポンサーでもある、ユダヤ国際金融資本家らはギブ・アンド・テイクが得意だ。報償すなわち論功行賞がことのほかお好みなのだ。
意志と“おこない”の事例はこんなものだ。大戦後、米国政府はドイツ高等弁務官の肩書をユダヤ系金融資本家グループの弁護士に与えた。その男ジョン・マックロイ(ケネディ政権時の軍縮局長)は、ユダヤ系商人のクラヴァス&ヘンダーソン商会やユダヤ系銀行のクーン・ロエブ商会などのために献身的に働いてきた人物だ。しかもマックロイを補佐する高等弁務官補のブッデンワイザー(ユダヤ商人)は、クーン・ロエブ商会の商売仲間だ。ついでだが、日本に日露戦争の戦費を融資した相手はクーン・ロエブ商会だ。
報償の対象者は民間人に限らず。軍人にも「天下り先」をちゃんと用意した。ドイツ占領を指揮したクレイ将軍は、ユダヤ系銀行のリーマン・コーポレーションの大幹部の地位に就いた。
ナチス原爆の管理人シュバイデルの天下り先NATOを創設支援したのはドイツ・マーシャル財団だ。財団メンバー組織は、ローマクラブ、チェース・マンハッタン銀行、マニュファクチャーズ・ハノーバー財団、フォード財団、社会主義インターナショナル、KGB、全米自動車労働組合、世界野生生物基金、CBSテレビ、アスペン研究所、カーネギー財団、MITなどのリーダーら幹部が参加して運営されている財団だ。NATOは創設以来、このような錚々たる世界諸組織と人物らが連なって事業を遂行している組織だ。
NATOの創設者はヨセフ・レッツィンガーで彼はイエズス会聖職者でありフリーメイソン最上級の第33階級の人物でもある。この人物と関係して支援する人々と組織のほぼすべてが、世界のユダヤ系金融資本家たちのあらゆる組織だ。意思と“おこない”次第でそうした組織の重要メンバーになれるのだ。
(中略)
ナチス原爆の英国への極秘搬入作戦が事実なら、チャーチルを喚起させたことだろう。というのも、チャーチルはヒトラーを、「ヨーロッパのジョージ・ワシントン」と絶賛してきた男だった。だのに、ニューヨークでユダヤ金融資本家らの差し金で実行された意図的な自動車事故にあってからは、ただちに回れ右してヒトラーを罵倒し始めた、ヤカラつまり「賢くなった」男だ。という理由から、戦争終結まぎわにヒトラーの原爆を連合側に極秘に運び出すために、イスラエル独立運動家に自国の特殊部隊員を協力させる動機は充分あった。つまり、ドイツ側シュバイデルと連合軍側アイゼンハワーのあいだには英国軍のプロとユダヤ人のアマが「仲介役を果たした」としても不思議ではない。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kanekashi.com/blog/2015/11/4600.html/trackback