「資力」が「武力」を上回ったのはなんで?(6)~まとめ
いよいよ、これまで検討してきた「資力が武力を上回ったのはなんで?」のまとめになります。
過去の記事は以下のとおりです。 復習に是非どうぞ☆
(0)プロローグ
(1)“公共事業”としての十字軍と周辺ビジネスで肥大化した「騎士団」
(2)負け組が築き上げた国:スイス
(3)武力が制覇力になりえなくなった時
(4)私権獲得が社会共認となった大航海時代前夜
(5)大航海時代から始まる商取引と分業化のシステム
さて、改めて武力が制覇力になった経緯から整理していきましょう。
■武力による統合・制覇
武力が制覇力になったのは、およそ5700年前に集団同士の掠奪闘争が勃発したときです。集団の統廃合が行われ、その帰結として生まれたのが、今につながる国家でした。国家は武力によって国内を統合し、他国を制覇してきたのでした。(参照:るいネット「力の原理と私権原理の関係構造」)
しかし1314年のスイスの登場により、状況が一変します。(参照:(2)負け組が築き上げた国:スイス )
武力(≒傭兵)の輸出産業がシステム化し、ヨーロッパの各国間の武力は均等化に近づきます。
そのためヨーロッパでは近隣国に攻め入ると、大抵長期化し、勝っても負けても、互いに疲弊するばかりで、戦争には私権獲得の旨みがなくなってきたのです。この段階が、武力が制覇力になりにくくなった状況です。(参照:(3)武力が制覇力になりえなくなった時)
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■武力による統合不全
武力で統合を果たした国家(≒国王)は、封建制により戦果を挙げた貴族たちに領土や資産を与えました。その領土は世襲制により貴族の息子たちに受け継がれていき、次第に既得権化していきます。それにより、本来は領土をくれた王へ感謝と忠誠を誓うはずの貴族たちと王との序列関係が、徐々に薄らいでいきます。そして、強制力を行使しない王に対しては、負っている義務を放棄する貴族さえ出てきます。例えば、いざ戦争が始まっても、出兵する代わりにお金を差し出して済ます貴族さえいました。 そのため国王はお金を使って傭兵を他所から調達することになったのです。これは武力による国内統合そのものが弱くなりつつあることを示します。
(参考:「ヨーロッパ史における戦争」マイケル・ハワード著)
さらに戦争は参加国を疲弊させるばかりとなり、武力が決して外部世界に対する制覇力とも言えなくなりつつあります。
しかし武力に力がなくなったわけではありません。むしろ今でも武力の高度化は進んでおり、原爆や細菌兵器などを例に出すまでもなく、現代でも進歩し続けています。
これはつまり 国家自身が、武力そのものを統制下に置けなくなった ということなのです。
■武力と資力の再結集
結果として、統合者を失ったため、行く当てのなく拡散し始めた武力を、再び結集させ統合するのが、「資力」なのです。
具体的には、15世紀半ばから始まった大航海時代に行われたアフリカ・アメリカ・アジアのための侵略船隊の結集です。(参照:(5)大航海時代から始まる商取引と分業化のシステム)
この時代の武力を規定するのは兵隊の数です。兵士一人では大した力になりませんが、数が集まれば“一国の軍隊並み”の力を持つことになります。その数を結集させるために、大量のお金が必要になります。しかし戦争で疲れ果てた国王には、もはやその資力を残っていません。そこで代わりに登場したのが、資金力のある王侯貴族や大商人たちです。
では、国家の起こす戦争とこの掠奪事業は一体何が違うのでしょうか?
特に大航海時代では、最終的に国家のお墨付きをもらうことになるので、実質的には海賊船が正統な船になりました。ならば、最初から国家主導の軍隊を派遣するので良いのではないでしょうか?
実は、国家の軍隊とこの掠奪部隊との違いは、簡単に言うと正社員とアルバイトの違いなのです。
国家の軍隊はいつ何時有事が起きるか分からないこともあって、平和な時期でも軍隊を常備する必要があり、その費用負担はバカになりません。平和な時期の兵隊は、語弊を招く言い方ですが、何の成果も出せない、タダメシ食いです。
対して、大航海時代の掠奪部隊は、その掠奪事業のためにだけにかき集められた者たちですので、費用はその事業分だけを用意すればよく、事業が終われば解散です。投資家という立場で考えれば、どちらに投資すべきか?は明らかでしょう。
しかし「腐ってもタイ」とまでは言いませんが、貴族や大商人たちは国王の手前、大航海での投資をアカラサマにしにくかったと考えられます。投資額が分かれば、国王に自分の懐具合(≒資産)もバレるでしょうし、投資に成功すれば儲けもよく分かります。そうなれば国王はそれらに多額の税金をかけたり、何らかの理由をつけて没収することもあるでしょう。(実際に、過去その手の事例は多々あります。)
■強固な金庫番の登場
そんな国王が権力を行使し資産没収してくるリスクを回避できるのが、スイスの存在なのです。
スイスは国家でありながら、本来国家の基盤となる武力を他国に輸出していました。これにより他国との協力関係を構築したのです。 そして1516年「これ以上領土の拡大はしない」と外国に対して初めて永世中立と侵略戦争の放棄を宣言。1798年に一時期フランスに支配されたが、1815年には完全に「永世中立国」として世界に認められたのです。(写真はイタリアミラノとスイスを結ぶザンクトゴットハルト峠)
永世中立国とは、武器を放棄している国家というわけではありません。むしろ今や各住戸はシェルターを完備していて、国民皆兵制を敷いている軍事大国でもあります。武力による掠奪闘争には参加しないというだけです。
しかし各国が戦争や侵略といった武力による私権闘争に明け暮れる中で、そこから「一抜け」したことで、スイスの資力は国家間の武力闘争に振り回されることがなくなりました。
普通であれば、所属している国家戦争の勝敗によって、あるいは国王の都合で、貴族や大商人は自ら保持する資産を没収されるリスクがつきまといます。しかしスイスに預けていればそのリスクがなくなり、安全に保管されるのです。
こうしてスイスは世界の金庫番として、世界中の王侯貴族や商人の資産を預かることになると同時に、国境を越えた儲け話情報が集約されるところになります。
そうして蓄えられた資産は代理人(≒金貸し)によって大航海時代の投資など、より投資効果の高い掠奪へと向けられていき、その蓄財は再びスイスに保管することで守られることになるのです。
つまり「資力」と「武力」の力関係の逆転は、「傭兵産業」による国家統合の弱体化と、国家管理から資産を剥ぎ取った「世界の金庫番」としてのスイスが世界的地位を確立した1516年に、実態はほぼ出来上がったと考えられます。
それから二つの世界対戦を経た後に、IMFなど国家を超えた金融組織を、世界が認知したことで、「資力」は国家(≒武力)から完全に独立した存在として確立できたのです。
金貸しが「グローバルスタンダード」を推し進め、国家を借金まみれにしても平然としていられるのは、スイスという特有の存在があるからであり、逆に言えばスイスの役割が変われば、国家(≒武力)と金貸しの力関係は大きく変わっていく可能性があるのです。
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