2022-04-07

ロシア発 新金融システムが構築されようとしている今、改めて「お金の歴史」を学ぶ ①

拙稿「ルーブルの復活とロシアの反撃」より

連日、マスコミ、SNSから流れるフェイクかも分からない悲惨な映像に感情を揺さぶられてる場合ではない。裏では粛々とBRICSを中心とする新金融システムが構築されようとしている。

このような局面だからこそ、如何に現在の金融システムが構築されたのか、歴史から学ぶ必要があるように思う。
次に紹介する記事が簡潔にまとめられているので紹介したい。

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お金の歴史①より
 ※引用元のリンクが切れているが、安倍芳裕著「日本人が知らない 恐るべき真実」として書籍化されている 

〔貝殻貨幣〕
最初にお金として世界的に広く使われたものはタカラ貝でした。この貝は珍しく、希少で、美しい色艶をしており、硬く、粒も揃っているので、ネックレスなどのアクセサリーとして大切にされ、皆が欲しがりました。皆が欲しがるからお金として成立したのです。ちなみに、買・資・財・貯などお金に関する漢字に”貝”がついているのは、この頃の名残です。
ここからお金は「必需性に基づいたもの」から「希少性に基づいたもの」へと変わってゆきます。希少性とは、それ自体が少ししか存在しない珍しいもので、皆が欲しがるようなものです。
このことは後の社会を形成する際に多大な影響を与えてゆくことになります。なぜなら希少性に基づくということは常に大衆に「足りない」という意識を植え付けるからです。「足りない」という意識は競争を生み出します。誰かが豊かになればなるほど別の誰かはより足りなくなってしまうのです。それを手に入れるためには競争に勝たなければなりません。

〔金属貨幣〕
やがて鉱石から金属を採る技術が発達してくると貴金属がお金として使われるようになりました。貴金属は腐ったり、磨り減ったり、なくなったりすることがあまりありません。また、自由に分割したり足し合わせたりすることもできますし、少量でも交換価値が高いので持ち運びにも便利です。こうして長い年月が経つうちに世界中のほとんどの地域で金・銀・銅などの金属がお金として使われるようになりました。このようなお金を「金属貨幣」といいます。 金属貨幣の最大の特徴は「腐らない」ということです。ですから商品貨幣と違い、保持していても交換価値が落ちません。これによりお金に「価値の貯蔵手段」という機能が加わります。
しかし、金属貨幣も最初の頃は受け取るたびに品質を調べたり、重さを量ったりと、不便な点もありました。そこで大きさと重さ、混合物の量がきちんと決められたお金=鋳造貨幣(コイン)がつくられるようになったのです。

〔鋳造貨幣〕
紀元前6世紀頃には、各国で盛んに鋳造貨幣がつくられました。重量や混合物が一定の鋳造貨幣は、交換価値の尺度となります。たとえばボールペンと箸はまったく別の分野のモノなので、本来は比較できないのですが、価格という価値尺度を間に挟むと、不思議と100円のボールペンと500円の箸ならば500円の箸の方が価値が高く感じられ、逆に500円のボールペンと100円の箸ならば500円のボールペンの方が価値が高く感じられます。このようにあらゆる分野の商品の価値を、価格という一定のモノサシで測ることができるようになりました。
ただ、誰もが勝手にこの鋳造貨幣をつくってしまっては、本当に重さは正しいのか、混合物の量が一定なのか不安になります。信憑性が薄くなると、やはり取引の度に調べなければなりません。そこで次第に国王や貴族など、権威のある人に鋳造貨幣をつくる権利が集中していきます。
これまで、お金の量は「どれだけ金(銀・銅)が発見されるか」にかかっていました。しかし、貨幣発行権の集中は、誰にどれだけお金を分配するかを決める権利を時の権力者に与えることになりました。これにより、お金は「支配の道具」にもなっていきます。

●お金の歴史②より

〔兌換紙幣〕
さて、中世の後期、最も価値の高いお金の単位は金のコインでした。その金の純度をチェックするのは金細工師の役割です。金細工師の家には、大きな金庫があり、当時のお金持ちは金貨を強盗や空き巣から守るために、その金庫に預けていました。金細工師は金貨と引き換えに受領書を渡し、保管のための手数料をもらっていました。
お金を預けていたお金持ちのAさんは、何かを購入するときに金細工師に受領書を渡し、引き出した金貨で支払いをします。その代金を受け取ったBさんは、金貨を持っていると強盗や空き巣に入られると困るので、やはり金細工師の家の金庫に預け、受領書を受け取ります。それならば、わざわざAさんは金貨を引き出さなくてもBさんに受領書を渡せば、それで済むことです。次第に人々は金貨を使って取引するより、直接、受領書を使って支払する方が便利で安全であることに気づき、その受領書が紙幣の役割をすることになります。
こうして人々が紙幣で取引をし始めると、金細工師の金庫の中にある金貨は眠ったままになります。「もし預金者全員が一度に金貨を引き出しに来なければ、この金貨を担保に紙幣を発行してもよいのではないか」そう考えた金細工師は、お金に困っている人に紙幣を貸し出し、その貸し出し料として利子を受け取るというビジネスを始めたのです。
こうして13世紀のイタリアで近代式銀行業が始まりました。この時から、お金は銀行から紙幣融資を受けた時に生み出されるようになったのです。(編集部補足:これを、経済学者は「信用創造」という、なんだか高級な感じのする言葉で表現していますが、むしろ銀行による意図的な「貸付膨張」と呼んだ方が実態に近い仕組みであり表現だと思います。)
実際、よく考えてみれば、預かっている金貨は金細工師の金ではありませんし、勝手にそれを貸し出しているのですから、これは横領です。しかし、その方法は秘密裏にされていたために非難されることはありませんでした。
お金が、銀行が発券する紙幣に変わっていくと、これまでのように国家がお金をコントロールすることができなくなりました。近代になると、政府と銀行の間で一つの取引がなされます。それは政府が必要とする資金を常に供給する代わりに「銀行がお金を発行し管理する権利を得る」というものです。このような取引は、1668年にスウェーデンの不動産銀行(現在のスウェーデン中央銀行)と初めておこなわれ、これをモデルにイギリスでも1688年にイングランド銀行が誕生。その後、そのような役割と特権を持った中央銀行が各地で誕生しました。

〔金本位制の崩壊〕
1929年、ニューヨークのウォール街で株式が大暴落したのをきっかけに、世界大恐慌が起こりました。経営がおかしくなった企業は、銀行に駆けつけて預金を引き出します。はじめのうちは要求に従っておとなしく銀行券を渡していた銀行も、苦しくなった企業が増えるにつれ、預金引出しを渋るようになりました。そうなると預金を引き出すのに銀行券をもらうのが不安になり「金で返せ」というようになります。
しかし、それだけの金貨が銀行にはありませんでした。既にみてきたように、銀行は手持ち以上の銀行券を発行していたのです。ますます銀行券は信用されなくなり、兌換要求に応じられない銀行は倒産に追い込まれました。そうなると倒産した銀行に預金していた企業や融資を頼っていた企業も巻き添えになり、倒産してしまいます。このように倒産の嵐が吹き荒れ、失業者が街にあふれてしまったのです。こうして大恐慌が原因となり、主要各国の金本位制は崩壊しました。

〔金為替本位制〕
第二次世界大戦は膨大な物資の消耗戦となり、広大な国土に豊富な資源を持つ米国は、その資源の供給国となりました。戦後、全世界の70%、約22000t(全盛期の英国でさえ1000tといわれる)もの金が米国に集まっていたことが決め手となり、ブレトン・ウッズ会議で「米ドルのみが金と交換可能で、他国のお金は米ドルと交換できる」という金為替本位制がとられることになります。

今回の記事での紹介はここまで。
ロシアが資源の供給力を武器に、金融の主導権を奪おうとしている構図は、ブレトンウッズ体制を構築した米国の姿に重なる。

 

List    投稿者 simiz-ma | 2022-04-07 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨No Comments » 

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